2016/08/15 UPのHPです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
えちぜん鉄道 5001形−ピグモンの風船−娘たちが「モンスターストライク」というゲームにはまっています。何でもウルトラマン50周年記念コラボというのをやっていて、ピグモンという怪獣を一所懸命に集めているのです。 スマホの画面にずらり並んだピグモンにはお約束の風船が描かれてありました。 実は私はこのピグモンに対して思い入れがあります。 そこで私は娘たちに風船の話をしてやったのですが、その後、懐かしさのあまり、ユーチューブで検索してみました。 ほんとにネットは便利ですね。いろんな事がわかりました。 『ウルトラマン』第8話「怪獣無法地帯」 科学特捜隊が、多々良島で行方不明になった調査団を探しに行った時。 目の前に現れた怪獣ピグモン(身長1mほど)に隊員たちは驚きます。 しかしピグモンは、彼らをどこかへ誘導しようとするのです。 ピグモンを追ってジャングルをさまよう隊員たちは、再び走り出そうとするピグモンに目印を付けようとして特殊風船爆弾を放ちます。 この時点ではピグモンを得体の知れない怪獣として恐れていたのです。 風船爆弾などというものを 何で、この時 もっていたのか理解に苦しむところですが、 これがお話の結末に大きな意味を持つことになります。 それはさておき、見事ピグモンの背中に命中した風船爆弾を目印に隊員は追跡を再開、 岩のくぼみに人が横たわっているのを発見します 行方不明になっていた団員でした。 彼を抱き起こし自分達の任務を説明する隊員たちに、 団員はこの島が2年半のあいだに怪獣たちの島となり、島に着くなり怪獣たちに襲われ数名が死亡。 そして自分はというと、このピグモンが、以来、今日までジャングルの中から食べ物や水を運び命を救ってくれたことを告げます。 その時です。叫び声とともに怪獣レッドキングがこちらに向かって来ました。 隊員はレッドキングを食い止めるべく出撃して行きます。しかし、隊員よりも先に最前線にいたのがピグモンだったのです。 ピグモンは、レッドキングの気を逸らそうとして、目の前でおどけてみせます。 そのときの風船が私の記憶にしっかり残っているのです。 前述のようにピグモンが自らの意思で自分の姿を目だたたせようとして風船を付けているわけではなかったのですが、 「この場を何とかしなきゃあならない。」というピグモンの存在にレッドキングは気がつきます。 「なんだお前は。」と言わんばかりに凶悪怪獣レッドキングはその怪力で大岩を地面にたたきつけます。 あたり一面に飛び散った岩がピグモンを襲い、ひとたまりもなくピグモンは倒れてしまいます。 そのときです。目印につけていたの風船がピグモンの体から離れ、空へと、そしてレッドキングの目の前に舞い上がってゆくのです。 これはただの風船ではない。風船爆弾だ。ピグモンが命がけでくれたチャンスだ! と悟った隊員はスーパーガンを発射。風船は見事レッドキングの目の前で大爆発。 レッドキングは持っていた大岩を自分のつま先に落とし痛手を被ります。 そしてその姿を見届けたピグモンは、静かに目を閉じるのです。 京福電気鉄道福井鉄道部(旧福井支社)は1990年代に入り、ますます経営が厳しくなり、廃線を検討するようになっていました。 かねてから新車を投入することなどできず、南海や阪神などから中古車を譲り受け、 一部はそれに旧型電車の足回りを組み合わせるなどして工面していたのですが、 これでは冷房化もできず、乗客減を食い止めることはできませんでした。 そこで、京福電気鉄道は沿線自治体から補助を受け、新造車を投入することにしたのです。 これが5000形です。 武庫川車両で1999年に2両が製造され、2000年より運行につきました。 新車とはいいながら、これとて新製したのは車体のみで、 台車・電動機・クーラーなどは阪神・豊橋鉄道などから譲渡を受けた旧型車から流用しています。 それでも前面が「く」の字形となる近代的な車体は京福電気鉄道のイメージを大きく変えることにはなったでしょう。 5001号機は恐竜(フクイサウルス)のイラストをあしらった「ダイナソートレイン」となりました。 7月から9月にかけ、勝山市では「恐竜エキスポふくい2000」が開かれ、5000形は大活躍しました。 しかし、その年、悲しい事件が起きます。 2000年12月17日 永平寺発東古市行き列車は、福井発勝山行き列車と正面衝突。 25人が重軽傷を負うことになり、この事故で永平寺発電車の運転を担当していた佐々木忠夫運転士は殉職しています。 (この事故については、「珍車ギャラリー 京福電気鉄道 モハ251」でも取り上げていますのでこちらも是非ご覧ください。) 安全運転の要であるブレーキの故障が原因でした。 風船を上げて存在感をUPすることも大事だったに違いありません。 しかし鉄道会社は安全こそが至上の使命なのです。 公共交通として鉄道が一番大切にしていることをまず行政は気遣ってしかるべきだったと思います。 京福電気鉄道はこの教訓をもとに安全対策をとることになります。 当時の旧型電車の多くは、車体床下に装着された1個のブレーキシリンダーから、ロッドによって各台車にブレーキ力を伝達し、 各車輪のブレーキシューを車輪に押し付ける方式をとっていました。 ですからブレーキロッドが折損するとその車両の全車輪のブレーキが効かなくなるというわけです。 2両連結以上であれば、制動距離は長くなりますが停止させることができます。 京福電鉄では、これ以降、2両編成で永平寺線の運行を再開しています。 しかし、まったくもって無駄な話です。 1両に2系統のブレーキシステムを搭載させることもできなかったということですが、 安全のためには、車両もさることナハら、まず保安システムに投資をすることこそが先決だったはずです。 悲しいことに、貴い犠牲をもってしても、事故の再発を防ぐことはできなかったのです。 2001年6月24日 越前本線で2度目の列車衝突事故が発生します。 今度は信号無視が直接の原因でした。ヒューマンエラーです。 そのとき、犠牲となったのは、ほかならぬ5000形 5002号機だったのです。 何という因縁でしょう。 翌日から全線で運行が休止され、京福電気鉄道(福井支社)はその姿を消すことになりました。 そして5002号機は、新製後わずか1年半で廃車となる憂き目を見たのです。 その後、京福電気鉄道は2002年9月、えちぜん鉄道への譲渡されることになりました。 えちぜん鉄道は沿線自治体等の出資により設立された第三セクター鉄道です。 永平寺線以外の運営を引き継ぎ、2003年8月から順次運行が再開されました。 主力車両は京福電気鉄道から引き継いだもと阪神の中古車ですが、 京福最後の新造車であるモハ5000形もMC5001形に改称、5001の1両のみではありますが、 これも引き継がれ他の車両と同様にカラーリングを変更し、2年ぶりに使用を再開しました。 当然のことながら、ATSも取り付けられ、老朽化した設備も取り替えられつつあります。 公共交通に対する地元の方々への理解も深まり、事業報告書を見ると当初予想より業績は順調に回復しているようです。 前述の阪神の中古車たちも2014年に姿を消し、京福電気鉄道時代の車両は もはや5001号機のみです。 二度目の事故から15年。事故を風化させないためにも、5001号機にはまだまだその存在を示して欲しいと思います。 無念の最期を遂げた5002号機のためにも。 参考文献:鉄道ピクトリアル「北陸地方のローカル私鉄」 1986.3 No461
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