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  広島電鉄 1900形 1901  
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−広島電鉄 1900形 1901−路面電車の未来の未来を切り開いた冷房改造車

広島電鉄 1900形 1901 冷房能力 25.000kcal×1
−鉄道車両写真集−
広島電鉄 市内線旧型 新型 700形〜
700形   800形(電機子チョッパ車)
1900形(もと京都市電1900形)
900形  (もと大阪市電2600形)
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広島電鉄 1900形 1901 冷房能力 25.000kcal×1

 広島電鉄1900形は、もと京都市電の1900形です。
かつて京都市電を見慣れていた人なら、そう言わずともわかる昔の出で立ちで活躍しています。 
私の鉄仲間のサイキョージ氏は京都の大学ご出身です。
広電1900形を見るなり、「うわー懐かしいなあ!」を連発しておられました。

 1977年に広島にやってきた1900形は1957年製。
つまり京都で20年、広島で37年、あわせて57年という永きにわたり活躍してきたということで、これはすごいことです。
 もちろん動態保存をしてきたわけではありません。京都から移籍してきたのは14両。
2014年10月現在、そのすべてが現存するのです。
そう、とりもなおさず1900形は広島市民の足として、しっかり働いてきたということです。

 さて広島には1900形だけでなく、日本各地の路面電車が集結し、同じように現役で活躍しています。
路面電車の博物館などといわれることもあるのですが、それは結果論というべきです。
一時、モータリゼーションの煽りを受け、絶滅しかけた路面電車は、今や力を盛り返し
再び都市交通の立役者として脚光を浴びるようになりました。
広島での活躍が大きいと私は思っています。

なかでもこの1900形がその鍵を握っていると思うのです。
それは、冷房化です。1900形は路面電車の冷房実用化に大きな足跡を残してきたのです。

路面電車の冷房化は、熊本市電がその先鞭をつけたことになっています。
しかし、それが実用化され、当たり前のように搭載されるのには、まだ少しばかり時間が必要でした。

広島市は広い道路に加え、電車優先信号などの設置がなされ、行政も路面電車と自動車との共存に力を入れてきました。
しかし、経営状態は芳しいものではなく、新車をガンガン投入するほどの体力はありませんでした。
その体力を補うべく、広島電鉄では各地から状態のいい車両をかき集めてきたわけです。
当然、どの車両もクーラーなどついていません。

もともと、路面電車は停留所の数も多く、信号待ちも頻繁にあります。
それでなくても熱気のこもる夏場の電車は、乗客にとってもつらいものです。
乗客離れを食い止めるためにも、冷房化はなんとしても実施しなければならない施策だったのです。

当時、広島電鉄は関係各メーカーに冷房化の話を持ちかけました。しかし
 「今更、路面電車にクーラー?」とか、
 「電源はトレーラーに乗っけて運びますか?」などと言われ、相手にされなかったそうです。
それでもやっと3社目にして、バス用のクーラーを転用できることがわかり、1980年、早速実装することになったのです。

それが、1901です。

さて、ここで画像をご覧ください。
どこにクーラーがあるんだ?と思われませんか?
実は私も、1901にはクーラーはついていないと思っていたのです。
クーラーは、今でもそうですが、天井に乗っかっているのが定番です。
もっともJRなどでは、床置き形、床下形クーラーというのも少数ですが、あります。
しかし路面電車は低床車です。普通に考えても床下のスペースはわずかです。

いったいどのようにしたのでしょう。

ここで、クーラー(エアコン)の仕組みについておさらいします。
まず、その原理から−−−
気体に高圧をかけて圧縮すると高温を発し液体に変化します。
この液化した気体が常圧で気体に戻るとき、周りから熱を奪っていきます。
これを潜熱といいます。
例えば注射のとき消毒アルコールで腕を拭くと、冷たく感じます。
これも液体であるアルコールが気化するときに腕から熱を奪っていくからです。
ほとんどの冷却(冷凍)装置はこの潜熱を応用したものです。

エアコンではこういう流れになります。−−−
まずコンプレッサーによって圧縮された冷媒(フロンガスなど)は高温高圧の半液体の状態でコンデンサーに入ります。
(室外機と思ってください)
冷媒はコンデンサーでコンデンサーファンの風によって排熱=冷却され、さらに液化が進みレシーバーへ送られます。
液化された冷媒はエキスパンションバルブ(膨張弁)の微小なノズル穴からエバポレーター内へ噴射され一気に気化します。
(室内機と思ってください)
気化した冷媒はエバポレータ周りの熱を奪っていき、それによってエバポレータが冷やされるのです。
そこにブロワファンの風を通過させれば冷風が発生するというわけですね。
エバポレーターを出た冷媒はまたコンプレッサーに戻り再び圧縮されます。
このように冷媒を循環させてひとつのサイクルを構成する。
これがエアコンの仕組みです。

電車のユニットクーラーは、一連の器機をあの中にパッケージングしているわけですが、
1901の場合、それを室内と床下に分散させたと考えればわかりやすいでしょう。
さて、バス(キハ40系なども)で用いられるクーラーはエンジンの回転力でもって冷媒を循環させますが、
電車の場合、大抵、定速度回転で効率のよい交流(AC)モータを使います。
この場合直流を交流に帰るインバータ装置が必要になります。
しかし、そのスペースを切り出せなかった1901では、直流(DC)モータを採用しました。
加えて放熱器であるコンデンサは前後の運転台の下、台車の前に装架しました。
まさにスペースとの戦いですね。
富士電機の担当者は大変な苦労をされたのではないでしょうか?

それでも何とか収まったその理由の一つは1900形が直接制御車であるということです。
運転台にデーンと居座っている大きなマスコン(KR-8)こそが直接制御車のあかしです。
マスコンの軸がそのまま直に抵抗の繋ぎを変えるシステムだから、床下に抵抗器を配置する必要がないのです。
旧態然としているこのシステムではありますが、これ故に1901の冷房改造は可能になったともいえるのではないでしょうか?

さて、はじめは広島電鉄の申し出を袖にしていたメーカーも、富士電機に触発されたのでしょうか、やる気を出したようです。
三菱電機はACモータを採用するユニットクーラーシステムMDA方式を提案します。
まずコンパクトにまとめられたユニットを二つ天井に載っけました。
これが1902〜04です。(1981年改造)

広島電鉄 1900形 1904 冷房能力 10.500kcal×2
広島電鉄 1900形 1904 冷房能力 10.500kcal×2

そして、1982年から改造された1905〜では、ユニットクーラーが一つにまとめられました。
急速に進化していたことがうかがえます。
結果、富士電機の分散型を搭載したのは、1900形では、あと1913に搭載されたのみです。
他形式はというと宮島線直通の連接車である3000形にも搭載されますが、やはりこれのみで、
あとは三菱電機の集中型に統一されてゆきます。
構造が複雑で、製作時もメンテナンス時にも車種ごとに対応を変えてゆかねばならない分散型が不利なのは致し方ないところでしょう。

ここでもう一つ広島電鉄のスゴいところをお話ししましょう。
それは、900形(もと大阪市電2601形)の冷房改造にあたって、そのすべてがモータを取り替えていることです。
もともと900形のモータ出力は38kw×2でしたが、これを1900形と同じ 45kw×2 にしました。
クーラーは重いのです。改造車の重量は約1t重くなっています。
このままでは後続車にすぐ追いつかれ、足手まといになってしまうことは必至です。
広島電鉄では、当時、廃車が進んでいた750形(もと大阪市電1601形/1801形)のモータを転用しました。

こうした実績がモノをいい、広島電鉄のみならず、多くの路面電車事業者が冷房車を導入することになります。

結果としては、前述したように三菱電機のMDA方式が、路面電車冷房化のスタンダードとなりますが、
富士電機が手がけた分散型冷房改造車−1901−の存在が、起爆剤になったと私は思うのです。


広島電鉄 1900形 1910  冷房能力 21.000kcal×1
広島電鉄 1900形 1910  冷房能力 21.000kcal×1


 参考文献 鉄道ピクトリアル 「特集 広島電鉄」 1990年11月号 No535
        私鉄の車両3 「広島電鉄」 1985年4月 保育社 





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