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  広島電鉄 3100形  
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−鉄道車両写真集−
広島電鉄 宮島線直通 旧型 新型
2000形 2500形3000形 1300形(もと西鉄福岡市内線)
3500形 70形  3100形
3950形 3900形 3800形 3700形 5000形 5100形
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形式 3100  3102 A-C-B 1964 自社
もと2503-2504-2507 1986年 改
25.310: 2.440: 4.170   34.1 t   130 名 64 席
台車:NS-508 日本車両 モーター:TDK-546/2 東洋 40kw×6
制御装置 間接自動 ブレーキ HRD-1 電気併用空気
参考文献 rp593 1994.7
私鉄の車両3 広島電鉄 保育社 1985年
広島電鉄 3100形 3102B 鹿児島駅前

広島電鉄 3100形−−自社製 ぐりーんらいなー −−

ぐりーんらいなーは、広島電鉄宮島線の直通車につけられた愛称です。
1980年に登場した日本初の軽快電車3500形をはじめ、1997年製の3950形に至るまで、
広島電鉄の最新鋭新性能車に付与されるものだ と私は思っていました。

対して、3100形は、カルダン駆動の新性能車ではありません。
1985〜86年にかけツリカケ駆動の旧型車である2500形を3車体連接化したものです。
1980年〜改造で、宮島線の主力であった3車体連接車3000系は、ぐりーんらいなーとはならなかったのに、
なぜ3100形はぐりーんらいなーとなったのでしょうか?

さて、3000形にせよ、3100形にせよ、2車体連接車を3車体連接車に改造することになったのは、
宮島線直通車両を増強する必要があったからです。

宮島線直通の乗客は、1962年、本格的に直通運転を始めてから、沿線のベッドタウン化もあって順調な伸びを示していました。
しかし、当時、競合する国鉄が勝負を挑んできました。
線形も良く、停車駅も少ない国鉄に、スピードでは到底かないません。
それならば、列車本数を増やすという手もあるのですが、それは人件費の増大につながり、運賃に跳ね返ります。
また、小単位輸送は元来、路線バスが得意とするところで、同じことをやっていたのでは、より小回りのきく路線バスに対抗できません。
乗り換える手間なく市内中心部に行けるというメリットを活かし、利用者をつなぎ止めるために
広電にとって重要な課題は、車両の大型化だったのです。

とはいえ宮島線は市内線と違って片側輸送です。
つまり、朝、混雑する上り列車に対して、宮島ゆきは宮島駅に近づくに従ってガラガラとなる効率の悪い路線なのです。
よって多大な投資はできません。
手持ちの資材で何とかしなければということから、在来車を改造、3車体連接化が進められることになったのです。

3車体連接編成化は1985〜86年にかけて施工されました。
種車となる2500形は1961〜67年にかけ導入した宮島線直通用2車体連接車で、
新製車と大阪市電1601形の車体流用車の2グループに分類できます。
車体流用車は大阪市電1601形の車体を切断し連接車にしたもので、クラシックな外観のままですが
新製車は広電オリジナルの2000形に類似した全金属製の車体となりました。
3100形に改造されたのは、もちろん新製車のほうです。

改造後は3100形と改称・改番されました。
車番は西鉄風に、1編成ごとに同一の車番とし、車番末尾にA・B(先頭車)およびC(中間車)の記号を付与して区分する方式に改められました。

3101A-3101C-3101B← 2501・2502・2505  1985年12月改造。
3102A-3102C-3102B ←2503・2507・2504  1986年7月改造。
3103A-3103C-3103B ←2509・2508・2510  1986年12月改造。

中間車となる3101C・3102C・3103Cには2500形であった2502・2507・2508の運転台部分を切断してこれを取り付けました。
(余剰となった2506は、車体流用車とともに1985年12月除籍され、2500形は形式消滅しています。)

2車体連接車を3車体連接車にするために、先頭車を中間車へ転用する手法は3000形において実施されたものとおおむね同様です。
でもそれだけでは、ここで取り上げる意味がありません。
3100形は3000形とは違うのです。

そうそう、ここで、広島電鉄3000形について、お話ししておかねばなりません。
3000形(3001〜08/ABC)は、1976年に西鉄から譲渡された連接車である元1101形・1201形・1301形を改造したものです。
(1100形は1954年製、1200・1300形は1962〜64年製)
先に1300形が譲渡され、最初は広島電鉄1300形(1305・1306/AB)として運用を開始していました。
A/Bとあることからもおわかりいただけると思いますが、2車体連接車です。
これを1100形・1200形の到着後、1300形も含め3車体連接の3000形へ改造することにしたのです。
先に1200形が3車体連接車(広電初)に改造され、宮島線直通運用に充当されました。
1980〜1981年の改造ですから、3100形の5年前ということになります。
1101形も1300形とあわせて改造され、全部で8編成が登場しました。
一部1101形などに存在したカルダン駆動車も、すべて吊り掛け駆動に統一。
あわせて主電動機もブレーキも統一しました。
宮島線直通車両の主力として運用されたのも、この仕様の統一がモノをいっているように思われます。
1980〜83年にかけては冷房化もなされました。

ところが3000形は電気ブレーキがなかったため、
鉄道線である宮島線内では使用しづらいものであることがわかってきたのです。
西鉄 福岡市内線用の1101形・1201形・1301形は、もともと強力な車両ではありません。
(1100形、1200形:38kw×4/1300形:45kw×4)
ですから中間車をプラスした際、出力を62kw×4にUPしました。
そうなれば、その分ブレーキ力もUPしたいですよね。
SMEブレーキに仕様は改められましたが、電気ブレーキがないというのはやはり厳しいといわざるを得ません。

そうした経緯を踏まえて3100形が作られました。
2500形に搭載されていた主電動機では出力不足となるため、
付随台車であった中間連接台車にも主電動機を各1基新たに搭載、1編成当たり6基搭載としました。40kw×6 
3000形の反省をもとに電気ブレーキも搭載されることになりました。
しかし、6基全ての主電動機を使用するのは強すぎるということでしょうか、
両端台車に搭載された4基の主電動機のみ電気ブレーキが作動する方式を導入しました。

結果、制御装置はES-255Bを一部改造した上で2台、各々両先頭車へ搭載し、
一方の制御装置で両端台車に搭載された主電動機4基を制御し、
他方の制御装置で中間連接台車に新たに搭載された主電動機2基を制御する変則的な構成です。

ところが、問題はそれで解決ということにはなりませんでした。
3000形の場合、車体は台車取り付け位置でカットしました。
連接車は、車体のつなぎ目に台車を取り付けるわけですから、これは理にかなっています。
しかし、2500形の場合、同じことをしていたら、車体長が足らなくなることが発覚したのです。
なぜそんなことになるのでしょうか?
それは、ドアの形状です。
3000形の種車である西鉄車が折戸であることに対し、
3100形の種車2500形は引戸なのです。
ちなみに、3000形のドアは引戸に改造されています。
ただ先頭部運転台横のドアだけは折戸で残されているのは、ここを引戸にするには、車体をストレッチする必要が出てくるからです。
対して先頭部のドアも引戸である2500形は、戸袋部分のスペースを確保したため、
台車の取り付け位置が車体中央部寄りに位置することとなり、ここで車体をカットするとどうしても中間車の車体長が短くなってしまうのです。
このままでは、せっかくの大型化も中途半端なモノになってしまいます。
扉の位置も変わってしまいます。
3000形のように折戸を導入する手もあったとは思うのですが、
よりスムーズに出入りできる引戸に広電はこだわりました。
そこで扉の戸袋窓を境界線として構体を切断、台車取り付け位置(心皿位置)を切断部分へ移設するということをやってのけたのです。
車体をつなぐ肝心かなめの台車部分を大胆に変更したわけですから、これは、すごいですよね。
2500形(2次車)が自社製の車両であったということも影響しているように私には思われます。

かくして3100形は、3700形に伍する性能を有するに至ったのです。そう、その証こそが「ぐりーんらいなー」なのだと思われます。

広島電鉄は、各地から路面電車をかき集めていることから、
「動く電車博物館」といわれています。
が、決して安易に中古車でことを済ませているわけではありません。
多くの歴史的名車を走らせているわけですが、
彼らは、かつてその地で育まれたその土地土地でのこだわりを受け継いできた車両たちなのです。
それらを同じ路線で、同じように運用し、維持し続けることは、並大抵なことではないと思われます。
自社で車両を製造し、困難な改造もこなせる技術力があるからこそ、成し得たことなのだと私は思います。

広島電鉄は1999年、ドイツシーメンス社から車両を導入しました。5000形 グリーンムーバー です。
今の広島電鉄に必要なモノは何か、ひいては21世紀の路面電車に必要なモノは何かを考え抜いたあげくに導き出した結論です。
とはいえ、勇気のいる決断です。
この決断を後押ししたのも、自社工場の技術力あればこそではないでしょうか。

広島電鉄 2500形 2504 己斐 広島電鉄 3000形3005A 猿猴橋町

形式 2500  2503-2504  1964年 自社製
1986年に3車体連接車3100形に改造、現存せず。
18.320:2.440:3.760  23.0 t  130 名 56 席
台車 NS-508CD 日車 モーター: 40kw ×4
制御装置:間接自動 ブレーキ:SLED 電気併用空気
参考文献 rp319 1976.4 私鉄の車両3 広島電鉄 保育社 1985年

形式 3000  3005 A-C-B  1954年 汽車製
もと西鉄福岡市内線 1101AB+1102A  S56 改
25.250: 2.400: 3.940   30.1 t   180 名 76 席
台車: KL-13 日立  モーター:FM-62 富士 62.4kw ×4
制御装置:間接自動  ブレーキ:SME 空気.
参考文献 rp593 1994.7 私鉄の車両3 広島電鉄 保育社 1985年


3100形では、3車体連接化に併せて冷房改造も実施されました。
先頭車にはCU77A(冷却能力21,000kcai/h)を、
中間車にはCU127A(冷却能力10,500kcal/h)を各1基、屋根上に新設しました。
両先頭車の屋根上には冷房装置用電源として静止形インバータ (SIV) が新設され、
これらの搭載スペースを確保するためパンタグラフの位置を変えています。パンタグラフそのものも台座も新品に交換されました。
ちなみに、冷房改造については、3000形のほうが手が込んでいます。

この件については、こちらを珍車ギャラリー 広島電鉄1900形 1901

 参考文献 鉄道ピクトリアル 特集 路面電車 1976年/1994年/2000年/2011年版 No319/593/868/852
        特集 広島電鉄 1990年11月 No535
        私鉄の車両3 広島電鉄 保育社 1985年




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