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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>JR東海 キハ47形
なぜJR東海のキハ47形が撮影できなかったのか?40系気動車は、ここ数年、バリエーションも増え、最近では40系気動車もしっかり撮っておかなくっちゃ。 と必ずカメラを向けています。 実際、当HPの珍車ギャラリーでも、いくつか取り上げています。 JR北海道 キハ40形400番台 JR東日本 キハ40形 キハ40-1006 JR東海 キハ40形3000番台 JR西日本 キハ41形2000番台 JR九州 キハ147 1045 などです。 バリエーションが複雑になればなるほど(=番台区分が増えれば増えるほど)、 少数派(=珍しい)ものが増えてくるのは当然のことなのですが、 画像を整理していて、思わぬところに穴があるのに気づきました。 番台区分どころか、元になるその形式自体、撮影できていないものがあったのです。 それが、JR東海のキハ47形です。 キハ47形は40系気動車の3本柱となる主要形式です。 まず40系気動車について、簡単にまとめておきましょう。 40系気動車は、1977年から投入されたローカル線用標準型気動車です。 1982年までに888両が製造されました。 形式は両運転台車であるキハ40形、片運転台車であるキハ47形とキハ48形に大別できます。 (キハ40形376両、キハ47形362両、キハ48形122両) キハ47形と基本形となる0番台は暖地向けです。(キハ48形の0番台は準寒冷地向け) トイレがなければ+1000するというルールがあります。 金属バネ台車装備しているのが識別ポイントです。 エアサス台車を装備するのは寒冷地向け、これらは各々+500します。 ですから、1500番台は寒冷地向けのトイレなし車両ですね。 キハ47形とキハ48形の違いはドアです。 片開きのキハ48形に対して、両開きのキハ47形は扉を車体中央寄り2か所に配置した いわゆる「近郊形」を志向した車両となっています。 キハ47形はキハ40形、キハ48形とは違ってデッキがありませんから、 北海道向けの酷寒地仕様は存在しませんが,寒冷地向けの500(1500)番台が、22両(21両)作られています。 キハ47形0番台は、1977年に製造が開始されました。 1983年までに193両 (1 - 193) が製造されています。 トイレなしの1000番台車については、 1978年から1982年までに134両 (1001 - 1134) が追加されています。 番台区分まで含めるとキハ40系では、この温暖地向けキハ47形(0・1000番台)327両が最大のグループとなります。 うちJR西日本に継承されたのは189両ですから、関西人である私にとって、 キハ47形という気動車は全く珍しいものではありません。 これが、JR東海のキハ47形を撮影し損ねた大きな原因です。 ここで、JR各社に継承された40系気動車の数を示しておきます。 キハ47形:キハ48形:キハ40形 合計 JR東日本 28:74 117 219 JR東海 5:40 14 59 JR西日本 189:5 63 257 JR九州 106:0 36 142 JR四国 42:0 11 53 JR北海道 0:7 150 157 JR合計 370:126 391 計887両(事故により−1両) (*JR北海道向けのキハ48形は、酷寒地向け300番台 さて、ご覧のように、JR東海に継承されたのは40系気動車は全部で59両でした。 内訳は次のようになっています。 キハ40形14両(500番台2両・2000番台12両)、 キハ47形5両(0番台2両・1000番台3両)、 キハ48形40両(0番台3両・500番台18両・1000番台2両・1500番台17両) いかがでしょう。 JR東海に継承されたキハ47形が、5両しかいなかったというのは意外ですよね。 それどころか。国鉄時代、JR東海管内に配備されていた40系気動車ですが、 キハ47形を除くそのすべてが、伊勢区と美濃太田区に新製配置されていたのに対し、 JR東海所属となるキハ47形5両は、そのすべてが、新製時、福知山区に配置されており、 JR化に直前に、転属してきたものだったのです。これも驚きですね。 このことは国鉄時代、JR東海管内の非電化区間において、 暖地向けキハ47形のニーズがなかったということになるのでしょうか。 さて寒冷地向けのキハ48形がやたら目につくJR東海ですが、 対して、JR西日本のキハ47形は、そのほとんどが暖地向け0番台です。 183両もいます。そして、キハ48形はわずかに5両。 奇しくもJR東海のキハ47形と同じ数しかいなかったのです。 この際、JR西日本のキハ48形も珍車としてあげておくべきですね。 そこで彼ら5両が新製配置されたところも調べてみました。 すると…敦賀区、すなわち小浜線用です。 なるほど、ここなら寒冷地向けのキハ48形というのもうなずけますね。 どうやら新製配置されたところをチェックしてゆくと何か見えてきそうです。 そこでJR西日本(JR九州やJR四国も)に寒冷地向けのキハ48形がいないのは理解できるとしても、 寒冷地向けのキハ47形500番台がいたりするのはどういうことなのか。 これも新製配置された区所を調べてみると、その理由が見えてきました。 新潟区です。越後線、弥彦線が国鉄末期に電化されたため西日本各地へ転属してきたのです。 おそらく国鉄は、中部北陸地方以東にキハ48形を、 近畿地方以西にキハ47形0番台を新製配置するという方針で臨んだものと思われます。 (例外:水戸区配属のキハ47形0番台(5両)1982年製) ですからJR東海のキハ47形はその数自体が少なかったというより、 もともといなかったものと割り切ってしまってもいいものだったのです 国鉄末期、福知山線電化などにより余剰となったキハ47形が、たまたま伊勢区に転属してきた という偶然のなせるワザだったと申せましょう。 (正確に言うと、福知山区から一旦豊岡区、亀岡区に転属されています) それにしても、JR東海の40系気動車の総数は59両。 そのうちキハ47形は5両。つまり1割弱はいるのです。 JR東海に限って、キハ47形の写真が撮影できなかったのはどうしてか? 単に巡り合わせが悪かったのか。とも思いましたがそれだけではないような気がします。 もう少しつっこんでみます。 JR東海のキハ47形 5両の内訳は 0番台が2両 (3.4) トイレなしの1000番台車が3両 (1027.1109.1110)です。 寒冷地向けはありません。 JR東海のキハ47形5両は、JR化された1987年。まず伊勢区に配属されていました。 そして1989〜90年に冷房改造され、1991年には名古屋車両区に転属、5両すべてが武豊線で活躍しました。 JR化以後、40系気動車は思い思いに改良され番台区分も各社のルールに従って付与されてゆことになるのですが、 0番台は5000番台に、1000番台は6000番台に改められました。 1997〜99年にエンジンをC-DMF14HZBに換装したことによるものです。 (3・4 → 5001・5002) (1027・1109・1110 → 6001 - 6003) 改造後、2000年に美濃大田区へ転属した彼ら5両は、高山線で最後の活躍をし、 2015年この地で使命を全うすることになります。 さてJR東海に継承された40系気動車59両はそのすべてがハイパワー改造(+5000)を受けたのですが、 そのうちワンマン改造(+300)を受けたものが表れます。 しかしキハ47形には、ワンマン改造対象車である5300番台、6300番台がいません。 なぜでしょう。 キハ47形の特徴は両開きドアです。 両開きドアは、朝夕のラッシュ時に大量の乗客を捌くのには適していますが、 運転室から離れていることもあって、一人ずつ運賃を収受するワンマン運転には適していません。 JR東海が、片開きドアのキハ48形を優先的にワンマン改造したのは至極納得できます。 結果、キハ47形は、ワンマン運転をする閑散時を外し、主に朝夕のラッシュ時に充当されたということが考えられます。 なるほど。 つまり、なかなか撮影できなかったのは、私の個人的理由のようです。 幸か不幸か、大阪に住む私にとって、中京圏は日帰りゾーンです。 キハ47形が、動いていたとおもわれる朝のラッシュ時に撮影することは難しかったということです。 もっとも、夕方のラッシュ時に岐阜で撮影し、大阪に夜帰る事もできたわけです。 しかし、もっぱら青春切符を使っている私は、岐阜から乗車したのでは米原までの間はまず座れない ということを経験的に知っていました。 そんな情けない理由が撮影できなかった原因でした。 つまらないオチで申し訳ありません。 そんなわけで、冒頭の画像は、2013年の春に覚悟を決めて撮影した1枚です。 参考文献;鉄道ファン 597 特集キハ40系一族 2011.1 鉄道ピクトリアル 特集キハ40系 T、U 2008.7 2008.8 RailMagazine 356 キハ40系気動車のすべて 2013.5 *JR九州にもキハ47形5000番台が存在します。JR東海同様、エンジン出力UP車です。 ただしJR東海と違って、現番号に+5000しているので重複番号はありません。
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