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  JR東日本 115系 房総各線用 91編成  2009/11/14UP
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JR東日本 115系 91編成JR東日本 113系 75編成
  左 115系 91編成                         右 113系 75編成   2枚とも 京成 千葉中央駅より  1993.8  

JR東日本 房総各線用 115系 91編成−全く同じに見える2枚の写真−

京成の千葉中央駅では、京成線と内房、外房線の電車が撮影できました。
そこで、この91編成(写真左)を撮影したわけですが、撮影しながら
「えっ、115系?」
と車体番号を見て、ビックリ。
「へぇこんなのもあるんだ。中央線からもってきたのかなあ?」
などと、その時はぼんやりと考えていました。
本来、当線には、かねてから113系が配属されていて、115系がいること自体、とてつもなく珍しいことなのですが、
できあがった写真を見ても、その珍しさに気づかず、そのまま113系のところに、整理したまま、ほったらかしになっていたのです。

さて、私は数年前から、昔の写真をスキャナーで取り込み、デジタル化する作業を進めてきているのですが、
幕張電車区の113系をデジタル化する際に
「そうだ、確かここでスカ色の115系を撮影したぞ。
でも、ここに入れるわけにもいかないし…。中央線のところにいれるべきかなあ。」
などと考えて、整理し始めたのです。
しかし、いっこうに115系の写真が見あたりません。あきらめて113系を編成ごとに整理し始めました。
その時「91」の編成番号をもつ一連の車両に行き当たったのです。
そして当時の編成表と、照合してビックリ。これが115系だったのです。

なににビックリしたか?おわかりいただけますか?実はその塗り分けです。クハ115 1次形(湘南色)
よく似ているようでも、実は115系と113系の塗り分けは違うのです。
鉄チャンならば、
この塗り分けの違いから一目瞭然、どちらか判断します。
ですが、91編成の塗り分けは、
115系でありながら113系の塗り分けだったのです。
「これでは、区別できないのも当然だ…。
でも、なぜ113系の塗り分けにしたんだろう?」
と思わずつぶやきながらも、それらの違いについて、
なぜ気がつかなかったのかと自分自身に腹が立ち、
その写真を別の観点から判別できないか。
と穴のあくほど眺めたのです。
すると、それらの写真から、
まさしく115系であるという点が見えてきました。
まずは、ドアです。
手で開ける際に便利なように金具が取り付けられています。
115系は、半自動ドアが標準です。
そして雨樋の形状です。
乗務員扉のところまで伸びてはいません。
ちなみに、クハ111の1次形とクハ115の1次形のみがこのようになっているのですが、
113系の1次形については、平べったい円筒形の(グローブ形)ベンチレータですから、
四角い(押し込み形)ベンチレータ+この雨樋の形状が、115系と判別できるポイントです。
それにしても重箱の隅をつつくような違いでしかありません。
でも、この違いこそ、91編成の運命を物語っているのではないかと私は思っているのです。

そもそも、115系と113系の違いは何なのか?。

ここで、もう一度、このことについておさらいしてみたいと思います。

115系は、「113系の抑速(電気)ブレーキ付車両だ。」ということは、ご承知の方も多かろうと思います。
しかし、デビューしたのは115系のほうが先なのだということはあまり知られていないのではないでしょうか。
115系は、実は111系の発展改良型で、抑速ブレーキを必要とする山間部で使用することを前提に制作されました。
よって115系は、モーターもMT-46から強力なMT-54に変更されています。
でも、115系は、111系とほぼ同様の車体と座席構成をもつ近郊用電車です。
素人目には、なかなか判別できるものではありません。
それでも、前述したように、寒冷地仕様ということから屋根上のベンチレータの形状に違いがあり、
半自動ドアなどもその違いとしてあげられます。

115系登場の1年後、113系は、その111系のモーターを115系と同じMT-54に変更したタイプとしてデビューします。
以後、同時期に量産された113系と115系は、兄弟のように進化してゆくことになるのです。
クーラーの取り付け、シートピッチの改良等も115系と同じペースで進められてゆきました。
…そうこうしてゆくうちに、113系のベンチレータも同じ押し込み形になり、半自動ドアの113系700番台も登場することになります。
もっとも、115系1000番台の中間電動車などは、車端部にモーターの冷却風取り入れ口を設け、新たな違いがあるにはあるのですが、
クハ、とりわけ冷房改造車などは、ますます、その区別が曖昧になってゆきました。

そして、配属先の輸送実態に合わせて、様々な編成が双方に登場することになるのです。
2M1Tの3連を基本とする115系が多く存在したのに対し、あくまで111系は、2M2Tを基本としていました。
でも113系にも、後年、クモハも製造され、2M1Tの3連が113系にもいます。
また中間車に運転台を取り付け2両編成となったものも双方に登場します。

参考文献である「115系誕生のころ」久保田博氏(鉄道ピクトリアルNo459(1986.2))によると、
S37年、ちょうど113系と115系電車の計画をしている段階で、会計検査院から、
「近代化電車の形式がいたずらに多すぎないか」
と指摘されたそうです。
つまり必要以上の多形式の電車を制作することは新製費のコストアップ、整備保守費の増加を招くというのです。
しかし、担当責任者であった久保田博氏は
「各用途、各線区の要請に対して、主要部品の標準化を徹底しながら 最も合理的と考えられる所要電車とした結果で、
トータルコストの点でも有利であります。」
と自信を持って強調されたそうです。

小山電車区には、115系が当初から東北線(いまの宇都宮線)や高崎線にむけて投入されています。
もっとも、東北線や高崎線にそれほどの勾配があるとは思えません。
なぜ小山電車区に115系が?という疑問が湧いてくるのは当然です。
しかし、関連線区である上越線や日光線など勾配のある路線にも入線できることが条件となっていました。
また、東海道線や房総各線とちがって、強風が吹く沿線の冬は、いっそう厳しく半自動ドアも必須の条件だったのです。

115系-91編成が幕張電車区へやってきたわけ

1985年、東北線、高崎線の輸送力増強に、東海道線に投入されたのと同じく211系が投入されることになりました。
もちろん同じ電車ではありません。勾配区間での使用も考慮し、寒地むけ仕様となった1000.3000番台です。
幕張電車区に115系が貸し出されたのは、
これら211系が小山電車区に大量増備され、115系に余裕が生じてきたからなのです。

一方都市における鉄道輸送が堅調なのに対し、地方における鉄道離れは侮りがたく、
どちらかといえば山間部の地方向けである115系はダブついてゆきます。
冷房化のペースも113系ほどではなく、非冷房車である初期の115系は、多くがそのまま淘汰されました。
そして一部の115系は、都市部にも進出することになります。
JR西日本でも、115系は、一時アーバンネットワークに進出してきました。
91編成は、115系としては珍しいクモハを持たない6連で、幕張電車区における房総各線用の113系と同様、
両端にクハを配置した同じ構成の6連(4M2T)です。
でも前述したように、おなじMT構成の6連が、登場しても何も不思議なことはありません。
また115系は113系にないもの、つまり抑速ブレーキがあるということで使用線区も広がり万能選手といえるわけです。
房総各線用としても十分使用できます。
加えて、彼らは冷房化改造がなされていました。
まだ非冷房車が、数多く存在していた房総各線にとって、冷房車はありがたい存在です。
歓迎されたに違いありません。

編成表93年冬版によると、
小山電車区のY62編成(Tc115-28+M115.114-62)とY71編成(M115.114-71+Tc115-46)
を組み合わせた91編成は、H4.3.13大宮工場にて、塗装を変更。
翌日の3.15に幕張電車区に貸し出されたとなっています。

小山電車区の115系は、東海道線と同じ湘南色です。
これを房総各線用の113系と同じくスカ色に変えるのは納得がゆきます。でも、なぜ113系と同じ塗装にしたのでしょうか。
理由は定かではありませんが、一時的なものなら、塗装変更まではしないでしょう。
首都圏の103系のように、ステッカーでごまかすことも出来たはずです。
おそらく、115系であることを捨て、
抑速(電気)ブレーキを使用せず113系と同様の車両として永く当線で用いることを考えたからではないしょうか。

でも、同書93年夏版によると、91編成は10月.29日に返却されたとあります。つまり半年あまりです。
91編成は、千葉の地で長くは用いられなかったのです。  −−−それでは

なぜ、115系−91編成は、幕張電車区で長く用いられなかったのでしょう。

これから述べることは、臆測にすぎませんが、理由があるとすれば、113系と115系の間にあるこんな違いが原因なのかもしれません。
まずは、ドアです。全く同じように見えますが、手動で開け閉めするための持ち手金具が付いています。
半自動ドアの115系は開口部一杯に開ききることはなく、手で動かすためにひきしろが残る構造になっているのです。
普段は気になりませんが、ラッシュ時などは、このわずか数十センチがドアの開口部を狭くしてしまい、
昇降時間に大きく影響してきたのではないでしょうか。
東北、高崎線では良くも悪くも皆同じですが、ここではこの1編成だけが、この問題を抱えることになったのです。

そしてもう一点、これらの写真には違いがありました。115系91Fの先頭車であるクハ115-28/46の雨樋です。
乗務員扉上まで伸びてきていません。
91編成のクハ115-28/46は、それぞれの電動車ユニットよりも古い初期のものです。
クハ111も初期のものは、雨樋が乗務員扉上にまで届いていませんが、このことが乗務員の方々に好評であるわけがありません。
実際のところ、115系も113系も2次形以降のクハには雨樋が延長されています。
現場で、あまり乗務員にウケの良くなかった編成として、早々に返却されたのではないかと思えるのです。

さて返却されてからの91編成ですが、小山電車区では、4連または7連が基本になってしまい、
6連の91編成は宙に浮いた存在となってしまったようです。
一部はその後、訓練車となったようですが、いつ元の湘南色に戻されたのか。詳しいことは分かりません…。


−鉄道車両写真集−
  JR東日本 115系91編成
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参考文献;「115系誕生のころ」久保田博氏
ほか鉄道ピクトリアルNo459(1986.2)及び鉄道ピクトリアルNo820 (2009.7)の各記事
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