鉄道写真管理局 珍車ギャラリー
  JR東日本 クモハ123_1  2008.9.7UP
追記 2013年4月
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クモハ123形 クモハ123_1 1986年改造 国鉄長野工場
(改造)
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
20.000 2.870 3.645 43.0
駆動方式 制御方式 モーター(kw) ギア比
カルダン駆動 抵抗制御 MT57A
100×4
17:82
ブレーキ 定員(座席) 冷房機 台車(製造)
電磁直通B
発電B併用
勾配抑速B、手B
126(54) H5.7冷房改造
AU712×2
DT-21C
クモハ123_1 撮影2007.8  辰野駅
もとクモニ143-1  愛称;ミニエコー H2.3 ワンマン改造 及び塗装変更
     ;クリーム10号に緑14号の帯→白と赤のツートンカラーに
鉄道車両諸元表:出典はJR全車両ハンドブック 1995.8
 新車年鑑 1987

一日9往復−18回も−分水嶺を越える電車 
   JR東日本 クモハ123形 ミニエコー クモハ123−1

中央本線の塩尻-岡谷間は、かつて辰野回りの大きく南へ迂回したルートでした。
懸案のこの区間を短絡する塩嶺トンネルが1982(昭和57)年に完成すると、優等列車は、すべて新ルート経由となり、
辰野回りのルートは超ローカル線と化しました。
そこで通称辰野線(辰野-塩尻間)の区間運転用に、1986(昭和61)年11月ダイヤ改正に合わせて単行で運行できる車両が登場します。
クモハ123-1ミニエコーです。
荷物輸送廃止により、余剰となったクモニ143形を旅客車に改造したクモハ123-1ミニエコーは、
他の電車には見られないユニークなものとなっています。

まずは車体です。
側扉には片開き1,000mm幅(半自動対応)のものが運転台のすぐ後ろの片側2箇所に設けられました。
当初よりワンマン運転を意識していたのでしょう。
そしてその扉の間を埋める側窓は、幅674mmのユニット窓がずらりと並ぶ異様な外観で、以後の123系には見られません。
その客室内はオールロングシートで、定員は126(座席54)名。ミニという割には収容量は大きいのです。

また、パンタグラフ(PS23A)は冬季の霜取用として2基取り付けられており、暖地向けである以降の123系にはない個性です。

それにしても1両しか作られなかったというのは、すごいですね。
車両の検査時などには115系が充当するし、ミニエコーが踏切事故で損傷したときも115系がカバーしたそうです。
まあ、運用上2両もいらないと言えばそれまでですが、ミニエコー1両体制をずうっと続けてきたというのは一つの奇跡であるようにも思えます。
ミニエコーの台車はDT21C、主電動機はMT57Aで、種車のものの再利用です。
MMユニットの115系とは違い、当然互換性はありません。
ただ同じ1Mシステムをもつ、クモヤ143が、一両事業用として同じ松本車両センターに存在しており、
いざというときのバックアップ用になっているのかもしれませんが、異端車を維持し続けるのは大変なことです。

JR東日本は、巨大な企業で、いったん会社の方針が定まると、凄い勢いで車両を取り替えて行きます。
15両編成でばんばん走っていた東海道本線の113系や、東北高崎線の115系なども、あれよあれよといううちに姿を消してしまいました。
JR東海では、2007年3月にすべてその姿を消した123系です。
JR東日本に残るたった一両の123系であるミニエコーを整理することなど、いとも簡単なことのはずです。
それでも、そんな波に飲み込まれることなくミニエコーは生き残ってきました。

私には、このミニエコーが、松本車両センターの方々に愛されているからこそ、ここまで長生きできたのだと思わざるを得ません。

2008年9月現在、ミニエコーは、松本を朝6時04分発の150Mで辰野線に赴き、塩尻−辰野間をピストン輸送。
最後は辰野20時56分発の171Mで松本まで帰るという日々を送っています。
おそらく20年以上、こんな日々を延々と繰り返してきたのでしょう。

ところで、この辰野線の区間(小野−信濃川島間)が、分水嶺だと言うことをご存じでしょうか。
日本一高所を走るのは小海線で、1位の野辺山から9位までが当線の駅です。
10番目にようやく、中央東線が登場するのですが、富士見駅で当辰野線の区間ではありません。
しかし辰野は、すぐ近くにある諏訪湖を源流とする天竜川水系で浜松市内域をへて、太平洋に流れて行きます。
一方塩尻は、日本一長い川である信濃川水系に属し、長野市内域から新潟市内域をへて、日本海に注いでゆきます。
ともに大きな流れの分かれ目ともなる日本のど真ん中をミニエコーは、行ったり来たり、なんと一日9往復もしているのです。
いかな、上越新幹線でも9往復するような運用はないでしょう。

廃止という大きな波に、飲まれることなく長生きして欲しいものです。
追補 ミニエコー クモハ123-1は、2013年3月、廃止されてしまいました


参考文献;新車年鑑1987 鉄道ピクトリアルNo480 1987.5
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