鉄道写真管理局 JR東日本 301系アルミカー  2007.3.21UP
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国鉄 301系 クモハ300-1 クモハ300
(CM2相当)
(アルミ試作車) 1966-69年 川崎車輛 /
日本車輛製
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
20.000 2.832 3.935 31.6
駆動方式 制御器(M1車に) モーター(kw) ギア比
中空軸
平行カルダン
CS−20B
1500V/DC
MT−55
110×4
6.07
ブレーキ 定員(座席) 冷房機 台車
HSC−D 136(48) 当初なし DT-34
*クモハ102は、クモハ300より、6.6t重くなっています。
鉄道車両諸元表:出典はJR全車両ハンドブック1995
国鉄 301系 クモハ300-1  三鷹駅

*営団東西線乗り入れ用車輛は、国鉄初のアルミカー 301系

国鉄は、昭和41年、営団東西線との相互乗り入れが始まった時に、301系を登場させました。
国鉄初のアルミカーであるのにもかかわらず、900番台(試作車)が登場しなかったのはちょっと不思議なくらいです。
しかし、考えてみれば、301系は営団地下鉄5000系アルミカーと同時期に登場し、
使われる路線も東西線に限定、終生三鷹電車区を離れることはありませんでした。
A-A基準を満たすべく、先頭車には貫通路を設ける一方で、側窓の開閉は制限され、シートなどは難燃化素材が用いられています。
どれもこれも、地下鉄線内での安全を考慮したものです。
つまり301系は、国鉄が次世代の通勤電車にアルミを用いるか否かを問うために作った車両ではなく、
あくまで営団地下鉄へ乗り入れるために作られた特別な車両として、位置づけられていたということになるのでしょう。

とはいえ、国鉄301系は、営団5000系アルミカーの、OEMではありません。
貫通扉の窓を含めて正面の3つの窓が一体となる凝ったデザインもさることながら、
通勤電車としては、初めてのエアサス台車を導入、そして、むらなく暖まる座席暖房(シーズ式)も初めて採用しました。
座席幅も広がり、明るい車内とともに、次世代における通勤電車のアメニティを追求したものでした。
このことは、申し添えておかなければならないでしょう。
また301系を56両製造したということは、試作車としての域を超えていたことになると思われます

   
   クハ301 2 (冷房改造後)西船橋駅              クハ103-1000番台  (国鉄時代)   我孫子駅?
JR東日本 クハ301 2    国鉄 103系1000番台
 
    
クハ102 1009(冷房改造後) 西船橋駅JR東日本 103系1000番台
クモハ102
(CM2相当)
1200番台 1970年 −月 −−製
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
20.000 2.870 3.939 37.2
駆動方式 制御器(M1車に) モーター(kw) ギア比
中空軸
平行カルダン
CS−40
1500V/DC
MT−55
110×4
6.07
ブレーキ 定員(座席) 冷房機 台車
HSC−D 136(48) 当初なし DT-33
鉄道車両諸元表:出典はJR全車両ハンドブック1995
  203系の常磐線緩行(営団千代田線乗り入れ)投入後、東西線に転属してきたもの。(ラインカラーが、東西線色に合わせ青色に変更)

*営団千代田線乗り入れ用車輛は、なぜか103系

さて、国鉄は、昭和46年より常磐線緩行を営団地下鉄千代田線に乗り入れさせることになったのですが、
なんと301系ではなく、103系を投入することになりました。
もちろん従来の103系には、地下鉄線内へ乗り入れるため対策はとられていませんから、新たに、103系1000番台が登場します。
汎用の103系とはいいながら、なぜ新しい番台区分を起こしてまで、これを地下鉄線内に投入する必要があったのでしょうか。
理由は明快。高価なアルミカーを投入するだけの財政的余裕が、当時の国鉄には、なかったからです。
一方、千代田線開業当初。103系投入でしのごうとした国鉄とのおつきあいで千代田線にも5000系ステンレスカーを投入した営団でしたが、
いつまでもチープな国鉄につきあってはいられません。
営団は、あの革命的新車両、電機子チョッパを搭載したアルミカー6000系を千代田線に投入することになります。
国鉄も負けじと301系アルミカーを増備したいところですが、ふところ具合が気になってそういうわけにもいきません。
国鉄は、とうとう千代田線用の301系アルミカーを導入することは出来ませんでした。
以後、10年の長きに亘って、国鉄車は、営団6000の引き立て役となり、肩身の狭い思いをすることになるのです。

*その10年後、千代田線用に国鉄は、203系を導入

昭和57年。その溜飲を下げるかのような、新車が国鉄からデビューします。203系です。
 201系に搭載されたCS53の改良型である電機子チョッパ制御器CS53Aに加え、冷房装置も備えたアルミカーです。
 おそらく通勤用量産型車両としては、最も車両単価が高い系列であろうと思われますが、
それが千代田線用車両であるというのも、その経緯をみてみれば、
営団に負けていられない国鉄の意地みたいなものが感じられ、納得がゆくところです。
 とはいえ301系の増備がままならなくなって、たかが12年ほどです。
この間に国鉄の財政事情が、好転したのでしょうか。それは違います。
ただ国鉄というもののあり方が大きく変わったということはいえます。
 それを端的に表したのが、昭和55年に成立した国鉄再建法です。
全国一律のサービスを社是としてきた国鉄の全路線について、半分近くにあたる9000kmを「ローカル線」と規定し、
そのうちの5000kmをバス転換または第三セクターの経営に移すべきという運輸政策審議会の提言をうけ成立させたものです。
 そして翌56年には 、「第二臨時行政調査会(第二臨調)」が、国鉄の財政破綻の解決に「分割民営化」という方針を打ちだし、
それが現在のJRとなることは誰もが御存知のことです。
 誤解を恐れずにいってみれば、収益力のある大都市圏の鉄道にあっては、その収益をそれらの鉄道の利用者のために還元し、
採算のとれない地方の鉄道にあっては、受益者である地方の鉄道利用者に応分の負担を求める。ということになるでしょう。
 203系は、そんなJRにつながってゆく国鉄最後の姿を映したもののように見えます。

国鉄 203系 クハ203 モハ203-1
(M1)
Mcは存在しない 1982年−月 −−製
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
20.000 2.800 4.086 35.9
駆動方式 制御器 モーター(kw) ギア比
中空軸
平行カルダン
CS−53A
電機子チョッパ
MT−60
150×4
6.07
ブレーキ 定員(座席) 冷房機 台車
回生ブレーキ付き 145(54) AU75G
42000×1
DT-46A
鉄道車両諸元表:出典はJR全車両ハンドブック1995
国鉄 203系 クハ203 松戸駅

*301系の遺伝子は203系に

千代田線用の営団5000系は、6000系の投入により東西線に里帰りしました。
国鉄にあっては千代田線用の103系1000番台と同時期に東西線用の103系1200番台が投入されていましたが、
千代田線用の1000番台も203系の投入により、一部東西線に転属してきました。
東西線は一世代前の抵抗制御車でまとめられたということになるのでしょう。
旧国鉄車両については、
車体のカラーを合わせたので、一般の乗客には103系も301系もほとんど区別はつかなかったと思われます。
 でもマニアが見れば、やはり103系は103系のデザインを引き継いでいると見えますし、
301系については、次世代の軽量車両系列である203系へとつながる点が感じられるのです。
国鉄というもののあり方が、もっとも問われていた時代に、生まれたが故に、メジャーになれなかった301系ですが、
アルミカーであることも含め、次世代における通勤電車のアメニティを追求したその遺伝子は、203系に受け継がれていったと思うのです。

103系1000番台 2003.5廃車
103系1200番台 2003.5廃車
301系   2003.6廃車
クモハ300-4のみ保存予定
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