2007.5.6UP | ||
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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>EF30 3たった1両 JR九州に継承されたEF30JR発足時、関門トンネル用の機関車として、ステンレス車体のEF81 300番台4両(昭和48から50年にかけて新製)と、普通鋼製のEF81 400番台(昭和60から61年にかけて一般型のEF81を関門向けに改造した)が14両いました。 これらのうち大半はJR貨物の車両となり、貨物列車の牽引にあたりましたが、 山陽本線区間とはいえ、JR九州に継承された下関−門司簡には、客車列車も通過します。 EF81 400番台うち、409〜414の6両はJR九州に継承され、ブルートレインの先頭に立ちました。 そして、どういうわけか。EF30も1両だけがJR九州に継承されたのです。 関門トンネル用 初の交直流機関車としてデビューしたEF3022両増備されたステンレス車体のEF30は、いわば関門トンネルの顔ともいうべき存在でしたが、昭和61年末に大量廃車となり、JRに継承されたのは、この3号機。たった1両だけとなってしまいました。 EF30は。昭和36年の鹿児島本線電化(門司港−久留米間)にあわせて配備されたものですが、 ラストナンバーの22号機が落成したのは昭和43年ですから、EF66のデビュー年と同じになります。 わずか18年で廃車されてしまったのは、何故なのでしょう。 関門トンネルのこと昨年夏、関門国道トンネル(人道)を歩いてみました。国道とは2層構造になっており入り口は別で、海岸縁にあるビルから、エレベーターに乗って人道階まで降り、 そこから緩やかに県境へ向かって下ってゆきます。 気のせいかもしれませんが、塩っぽい空気が感じられ、塩害防止のためEF30にステンレス車体が導入されたというのも、 妙に納得出来るところです。 しかし、世界初の鉄道海底トンネルである関門トンネルが、開通したのは昭和17年。 1500V直流電化区間をEF10が、走行をはじめて、20年近く経っているのです。 当然EF30には十分な対策が施されているはずです。 短命に終わった理由は、どうやら別の所にありそうです。 関門トンネル自体が、交直流の切り替えとなるデッドセクションと思っておられる方も多いのではないか、と思うのですが、 前述したとおり、昭和17年の開通以来、関門トンネル区間は直流電化区間です。 デッドセクションは、門司駅構内にあり、下り列車はそのまま惰力で進んでゆきます。 上り列車にしても、デッドセクションまでは平坦線であり、低速で通過さえ出来ればいいのですから、 交流区間においてのパワーは低くても良いのです。 関門トンネル専用機EF30EF30こそは、まさにその必要条件を満たした機関車でした。つまり、EF30は交直流機関車といいながら、交流区間での出力は、直流区間のそれに較べて全くもって非力で、 門司駅へ列車を運んできた後の交流区間では、使い物にならず、EF81のようにそのまま足を伸ばして活躍することはできない 門司−下関間限定の機関車だったのです。 JR化を前にJR貨物は、貨物輸送の体系を、ヤード形から直行形へ大転換しました。 ですから、門司駅での機関車交換が絶対条件となるEF30を速達性重視のJR貨物は使いたくはありません。 それをいえばJR九州だって同じことです。 それでもJR九州はEF30 3を継承しました。 重連で使うのが定番の関門トンネルで1両だけ継承したというのも不思議なら、 なぜ車体の古い3号機を選んだのかもわかりません。 結局EF30は中途ハンパな存在となり、たった一両継承されたEF30も臨時用ということで、活躍の機会はあまりなかったようです。 そういうわけで、私は赤字のJRロゴ入りのEF30に、とうとうお目にかかれませんでした。 EF30 3は平成7年3月。客車列車の廃止に伴って廃車されたED76 8両とともに姿を消してしまいました。 EF30 21 |
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