JR西日本 オハ25 57 きのくにシーサイド
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オハ25_57 きのくにシーサイド 1999年4月 鷹取工場改造
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
20.800 2.903 4.900 31.4
ブレーキ 定員(座席) 冷房機 台車(T台車)
CLE空気B AU77
10000×2
TR217C
きのくにシーサイド オハ25 57(美章園) 鉄道車両諸元表:出典は鉄道ピクトリアル 新車年鑑 2000

世界遺産(紀伊山地の霊場と参詣道)登録と「きのくにシーサイド号」

きのくにシーサイド号は、1999年(4月〜9月)開催の南紀熊野体験博に協賛するということで企画、制作されました。
参考文献によると、仕様決定から、なんと約4ヶ月で
「設計から、試運転、展示会まで」のスケジュールをこなさなければならなかったということです。
まあ、急造車両ということが言えそうですが、その割には、実に魅力ある車両で、
グリーン車仕立てではない普通車のジョイフルトレインとは思えない、豪華なものでした。
残念ながら、2007年8月に、その使命を終え、過去帳入りしてしまったのですが、
指折り数えてみると、8年ほどの短い生涯だったと言うことになります。
彼らはなぜ、かくも短命だったのでしょうか。

博覧会に協賛するカタチで制作された車両といえば、当珍車ギャラリーでもご紹介した、JR北海道のキシ80_501があります。
こちらも気合いの入った車両でしたが、博覧会以後は、もてあまし気味で、ひっそりとした最期をむかえました。
「きのくにシーサイド号」はどうだったのでしょう。

きのくにシーサイド号は、博覧会場へのシャトル列車であると同時に、動くパビリオン的な位置づけがなされました。
その核となるのが、オハ25 57展望車です。
25系寝台車、オハネ25 57を改造したものですが、
大胆にも車体構体の中央部分の側窓から上部をすべて取り除き、ステンレス製角パイプで、フレームをくみ上げました。
そこに新たに作られた側窓は、オープン構造にもなり、トロッコ形車両と同様、自然を直に体験してもらおうという趣向です。
オープンで使用することが前提でしたので、雨が吹き込んできても大丈夫なように防水処理された設備を備えています。
博覧会終了後は観光列車として、また団体列車として使用するため、AU77形冷房機はそのまま残されましたが、
なんと暖房装置は撤去され、照明装置も最低限のものしか備えていません。

言ってみれば、寝台車改造のトロッコ形車両だったのです。
きのくにシーサイド号が、夏期を中心に運行を行っていたわけは、そういうことです。

でも季節限定の車両を抱えるということは経済的とは言えません。
経済的でなかったといえば、きのくにシーサイド号の普通座席車もそうです。
オハ12系を改造した3両が用意されましたが、
381系のグリーン車から流用した座席を向かい合わせにし、ボックスシートを構成していました。
そして、そこには、幅60センチという大きなテーブルが各々用意されており、じつにゆったりとした室内でした。
でもその結果、座席定員はスハフ12-128が40、オハ12-228が44、運転台を取り付けたオハフ13-27が40と
全部でわずか124席しかありません。
きのくにシーサイド号は、特急でもなければ、グリーン車でもありません。
いわば青春切符でも乗れてしまうわけですから、これはもうけを度外視したものと言わざるを得ません。

きのくにシーサイド号は和歌山列車区 新和歌山車両センターの配属でしたが、
この車両だけしかいないというのも非効率的です。
牽引機のDE10 1152は、専用機で注目度は抜群ですが、トラブルを起こしたらという不安は常につきまといます。
そして、オハ25 57展望車です。これだけ大胆な切り取り工事をした以上、車体強度は当然低下します。
これは、永くはもたないだろうな…と思っていました。
案の定というかなんというか、早々に姿を消してしまった「きのくにシーサイド号」ですが、
彼らが生まれてきた、意味−その使命をもう一度考えてみたいと思います。

南紀熊野体験博は従来のパビリオン中心の博覧会ではなく、南紀熊野の魅力を全国にPRする博覧会でした。
メイン会場は田辺市の新庄総合公園と那智勝浦町の2ヶ所にありましたが、いずれの会場へも入場は無料。
これらは、南紀熊野を体験するための拠点(インフォメーションセンター)として機能しました。
実態はというと、協賛した各市町村での自然体験を中心とした様々なイベントがメインで、まさに体験博だったのです。
そしてオハ25 57もまた、南紀熊野の自然を直に体験してもらおうと、
その身を大きく切り欠いて自然とふれあってもらう空間を提供していたのです。

南紀熊野体験博は、南紀・熊野の魅力を全国に発信するだけでなく、
体験博をきっかけにして、紀伊山地の霊場と参詣道を世界遺産(文化遺産)に登録しようという運動に火を付けました。
しかして、2004年7月7日に、これは実現する運びとなったのですが、
その成果があった背景に「きのくにシーサイド号」の姿もあったのでは…と私は考えています。
自然と人々の祈りが形成した紀伊山地の霊場。そして、その癒しの地へと導いた熊野古道。
きのくにシーサイド号は、どちらかといえば海岸の景観を楽しむ列車であったとは思いますが、
採算を度外視しても、豊かな自然に触れることで、癒しの空間を提供し、
訪れる人々に大きな満足を与えたのではないかと思うのです。


きのくにシーサイド DE10 1152(美章園)

参考文献;鉄道ピクトリアル 新車年鑑 2000 10 no692

            
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