2013/05/12 UP | |||||||||||||||||||||||
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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>京阪電気鉄道 1000系
−−急場しのぎではなかった更新車−− 京阪電気鉄道 1000系(3代目)かつて、新しい電車がきたと思って乗ってみると、「ドウェーーン」と懐かしいツリカケサウンドが聞こえてくる電車がありました。関東では、東武の5000系、小田急の旧4000系、関西では近鉄の920系、阪急の1200系などがその例としてあげられます。 私はこれらを特に「更新車」と区別して整理しています。 例にも挙げたように大手私鉄でも多く見られたこれらの更新車ですが、 ツリカケ駆動は1950年代以前のメカです。さすがに新性能車に伍して働くことはことはできません。 本線系の列車からは早々に外され、比較的長生きだった東武の5000系なども支線で活躍していました。 そして、2011年2月。ツリカケサウンドを永く伝えてくれた更新車も、 名鉄瀬戸線の6750系を最後に、もうその姿を見ることはできなくなってしまったのです。 いや。その姿はというと、実は今でも見ることができます。 今回、ご紹介する京阪の1000系(3代目)の車体こそは、更新車である700系の車体なのです。 つまり、この車はかつてはツリカケ駆動だったということです。 下の写真の台車でご確認ください。 ところで、どうしてこのような更新車が誕生することになったのでしょうか。 それは、ツリカケ駆動の台車や電装品がかなり丈夫にできているのに対し、 旧型車の車体はというと貧相なものが多かったというのがその理由です。 戦中戦後という厳しい時期を経てきたこともその理由に挙げられるでしょう。 加えて京阪700系更新車が登場したのは1967年です。 当時、日本は高度成長のまっただ中にあり、 私鉄大手各社は輸送力の増強に待ったなしの状況となっていました。 1967年というと、京阪は2200系を量産しているのですが、電車は高価な買い物です。 投資はなるだけ安く抑えたいものです。 京阪にとっても、あるものを有効利用できるなら、それにこしたことはないのです。 このように、更新車は旧型車の足回りを再利用して逼迫した状況を乗り切ろうとしたわけです。 こういえば、急場しのぎの感は否めないでしょう。 しかし、私にいわせれば、その再生された足回りも、新たに作られた車体も実に魅力的です。
700系更新車が履いていた台車はというと、戦前流線型がはやっていた頃のスマートなボディを持つ旧1000系(2代目)のものです。 旧1000系はというと、初代京阪特急でもあった高速性能を有する車両です。 700系更新車の総勢は44両、このうち41両がこの旧1000系の台車を再利用しています。 残りの3両はというと、大津線の旧60形の台車を譲り受けました。 大津線?と馬鹿にしてはいけませんよ。旧60形は「びわこ号」用に作られたものです。 これまた本線を高速で駆け抜けるパフォーマンスを持つ車両で、今、復活運転の計画がある名車です。 ともに「老いたり」とはいえまだまだ使えると判断されたのです。 京阪には、600系という更新車もいました。これについても少し触れておきたいと思います。 600系更新車は、1961年に登場しました。700系更新車の6年前ということになります。 旧600形をメインにその足回りを再利用しています。 旧600形は1927年にデビューした元祖ロマンスカーです。車体長は16.9m。 これに当時の新車と同様の18.7mのものを乗せるのですが、旧600形のモータは、出力も59.7kw×4と小さいのです。 ちなみに2200系が130kw×4ですから、その半分にも満たないことになります。 さすがに、このままでは具合が悪いと言うことで90kwに出力をUPして搭載しましたが、 いわば、CPUのクロックアップをしているようなもので、無理させているというのが実際のところです。 それでもパワー不足ですから、M車の比率を高めて編成を組みました。 かつて京阪5000系のところでお話ししましたが、複々線化以前の守口市−萱島間は渋滞多発区間でした。 それ故、5ドアの5000系が必要とされたわけですが、 600系更新車にとっては、フルノッチで加速したかと思うと、全制動で減速。というような過酷な現場であったように思われます。 700系更新車にとっても同様です。本線で働き続けるのには限界が見えてきました。 さて、京阪は、京都市電(78年全廃)との平面交差が存在した関係で、架線電圧は開業以来600Vのままでした。 これを1983年に1500Vに昇圧することになったのです。 京阪ではこれを機に、ツリカケ駆動の旧性能車を全て淘汰することとしました。 更新車は見た目とは違って旧性能車です。当然、これらも整理の対象となりました。 しかし更新車の車体は新しいのです。 京阪ではまだまだ使える700系更新車の車体を再度利用、新性能車の足回りを組み込んで再デビューさせることにしました。 これが、1000系(3代目)です。 1977年から78年にかけて、7連×4本=42両が新性能車として生まれ変わりました。(書類上も新車扱い)
このように更新車の車体が再度利用され、新性能車に生まれ変わるパターンは、近鉄の1010系←920系のように他にも例が見られます。 しかし、京阪1000系の凄いところは、もう一度大がかりなリニューアルがなされているという点です。 これは、1000系の全編成を対象に1991年より施工されました。 2200系などと同じく制御方式を1C8M化し界磁添加励磁制御(+回生ブレーキ HRDA-1)に変更しました。 それに伴って車両の編成位置を変更(車種の入れ換え)も行われています。(編成表を参照ください) このことで2400系や5000系とも同じ構成の編成となり、メンテナンス上での便宜が図られています。 車体についても乗務員室を拡大、マスクのデザインも変更されました。 内装も一新、各車に車いすスペースも設けられ、とりわけ2008年以後は、新塗装に改められ、 これが45年前の車体とは、到底思えないほどです。(ページトップの写真参照) さて、更新車というカタチで世に送り出された車両のその多くが姿を消してしまった中で、 なぜ1000系(700系)がこうして生き延びてこれたのでしょう。 その理由を3つにまとめてみました。 まず、その1は、京阪本線の1500V昇圧です。 700系が建造された時点(1967〜68)年で、昇圧に向けての具体的な工程表ができていたわけではありませんが 700系は昇圧に向け、新性能化されることは十分予想できることでした。 そのためにも、長く使える耐久性のある車体が用意されたのではないでしょうか。 その2は、600系更新車の存在です。 前述したように600系更新車には、性能的にもかなりの無理をさせていたようです。 少しでもその負担を軽減するために軽量化を図ったことも、車体の傷みを早めてしまう原因になりました。 700系の車体製作にあたったのは川崎重工製ですが、 600系更新車が、その身を削って提供した貴重なデータを活かすことができたのではないでしょうか。 その3は、7両固定編成であったということです。 いまや8両編成が京阪のスタンダードですが、 1500V昇圧という節目を越えてきた多くの系列のうち、2200系.2400系.5000系は7両固定編成です。 これらと共通して運行、そしてメンテナンスできることは大きなメリットなのです。 運転台を撤去するなどの手間もかからなかったことも特筆できるでしょう。 旧3000系特急車や5000系5ドア車のような存在感がない1000系(3代目)は地味な存在です。 しかし、その母体となる700系更新車は、京阪の歴史に名を残す1000系(2代目)を引き継いだものでした。 むろん、現在の3代目にそれをしのぶよすがとなるものは何も残されていません。 でも、3代目1000系には、使えるものは大切に使い続けようという京阪のポリシーと、 それを実現するための、優れた先見の明が感じられるのです。 参考文献; 鉄道ピクトリアル 京阪電気鉄道特集 1973年版 No281 私鉄の車両15 京阪電気鉄道 保育社 1986年刊 鉄道ピクトリアル 新車年鑑 1990年版 No534 |
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