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高松琴平電鉄のスタア 10000形(1001.1002)高松琴平電鉄(琴平線)は、今でこそ元京急、元京王といった新性能冷房車の舞台となっていますが、十数年前までは名鉄のHL(手動加速操作)車を中心とするツリカケ電車天国で、 車両の近代化にかけては一歩出遅れた感が否めませんでした。 ところがこんな琴電にもスタアと言うべき高性能車が存在していたのです。 その名は10000形(なぜかナンバー表記は1桁少ない1001+1002ですが…)。 昭和27年、日立製作所で作られた複電圧対応、MMユニットの新性能車です。 こんぴら号とネーミングされ昭和34年には急行専用車としてクロスシートが取り付けられました。 当時14m級の小形車(もちろんツリカケ駆動)が主体だった琴平線において ノーシルノーヘッダーのスマートな17m車は際だった存在だったと思われます。 さて、彼女には、ちょっとお洒落な田舎電車ですまされない、凄いメカが装備されていたのです。 それはブレーキシステムです。 今日、ワンハンドルのマスコンでブレーキまで操作することは何も珍しいことではありませんが、 昭和27年という時代に、この10000形はこの操作を導入していたのです。 すなわち、電気ブレーキが弱まった段階で6ノッチへと進めるとここでエアーブレーキが動作し、 5ノッチ(重なり)4ノッチ(弛め)を適宜使用することで停車へと導くことができるのです。 つまりワンハンドル制御です。(もっとも10000形には独立のブレーキ弁もついていたようです。) 実はこのシステム。日立が次世代の高速電車のブレーキシステムとして開発したもので、 実用第1号がこの10000形だったのです。 しかし、急行列車の廃止後、編成の長大化にともない、 他のHL車と総括制御できない10000形は運用上使いにくいものとなり、 昭和55年。あわれにも、なんと!HL化されてしまうのです。 昭和61年には1070形の導入にともない、デビュー34年目にして廃車となるのですが、 彼女の命日は6年前の昭和55年と言うべきかもしれません。 琴平電鉄創業時(大正15年)生まれの古武士1000形3000形が、 今なお健在であることを思うと、美人薄命と言う言葉が、ふと思い出されるのです。
参考文献;「高松琴平電気鉄道の10000形の足跡(地方鉄道が生んだ名車の一例)」 真鍋裕司氏 鉄道ピクトリアル #509 1989.3 |
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