長良川鉄道 NTB209形 トロッコ列車牽引機
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鉄道写真管理局
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長良川鉄道 トロッコ列車 NTB形 209 92.4.1 自社改造
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
7.050 2.890 3.805 16.0
エンジン 定格PS(rpm) 変速機 制動装置
E120-T
×1
235
(2000)
液体式×1 自動空気B
鉄道車両諸元表:出典は新車年鑑93年版 鉄道ピクトリアル
日本のローカル私鉄(寺田裕一氏)
美濃白鳥駅 1994.5.3 トロッコ列車
(NTB形(209)・ナガラ3形(3001,3002)・ナガラ5形(5001,5002)・ナガラ7形(7001) 

長良川鉄道のトロッコ列車牽引機は,保線用の移動機(モーターカー)だった。--NTB209--

長良川鉄道は国鉄越美南線を引き継いだいわゆる第三セクターの鉄道です。
典型的なローカル線を引き継いだということに加えて、その路線長も長かったものですから
開業当初より、厳しい経営状態にあったといわざるをえません。
イベント列車を走らせることで、増収を図るのは他の第三セクターの鉄道でも同様の手法ですが、
長良川鉄道もトロッコ列車を走らせることにしました。 1992年のことです。

ところが実は当路線においては、国鉄時代にもトロッコ列車は運行されていました。
1985年7月に運行を開始した「清流ながら号」です。
予土線に続く国鉄で2番目のトロッコ列車となるものです。
気動車に牽引される「清流しまんと号」に対し、
「清流ながら号」はDE10形(またはDD16形)ディーゼル機関車が
一般客車(オハフ46形)2両とトロッコ客車(トラ90000形改)3両を牽くと言う堂々たる編成でした。

しかし1986年12月、越美南線が第三セクター「長良川鉄道」に転換された折、トロッコ車輌の継承はなされませんでした。
つまり1992年までの6年間、トロッコ列車は運行されなかったということになります。

そんなわけで車両は新たに導入されました。
でもその編成を見てみると、
機関車NTB209を先頭に
   3001(とみか) - 5001(しろとり) - 7001(トロッコ車両) - 5002(みのし) - 3002(はちまん)
となっています。
ナガラ3形となる(3001,3002)はもと国鉄ヨ8000形・ナガラ5形となる(5001,5002)はもと国鉄ヨ5000形で
4両とも車掌車(正確には緩急車)です。
また開放型客車となるトロッコ車両はナガラ7形となる(7001)、すなわちもと国鉄トキ25000形です。
すべて中古車両のオンパレードです。

そして、今回の主役、NTB形ですが、なんとこれは、保線用の動力車でモーターカーと称されるものでした。
モーターカーとはいっても、電動機で動くわけではありません。
ディーゼルエンジンのパワーを液体変速機で車軸に伝える普通のディーゼル機関車です。
そして、彼らは、どこの鉄道会社にも多かれ少なかれ存在するもので、
動いている姿をご覧になった方も多いと思われます。
--終電が去った後に、保線作業をされる方々を乗せ煌煌と明かりを灯して現場へ向かう--
あの鉄道界の裏方こそが彼らです。

結構個性的なスタイルをしたものも多いのですが、これを専門に狙う鉄チャンは希少な存在です。
何でもかんでも鉄道車両なら、撮影してきた私でさえ、彼らをほとんど撮影していません。
言い訳かもしれませんが、とにかく、データがないのです。
撮影しても整理のしようがなかったため、それでなくても少なかった画像は散逸してしまいました。

しかし、ATSも取り付け、NTB形が本線用の鉄道車両となった以上、当然ターゲットです。
94年の5月、越美北線の九頭竜湖駅と越美南線の美濃白鳥駅が、まだバスで結ばれていたとき、
美濃白鳥駅から、たしかこの時は郡上八幡まで、トロッコ列車を利用しました。
画像はこの時撮影したものです。

一番驚いたのは、機関車の向きを変えるときです。
本体をジャッキアップし、作業をされる方が手動でくるりと半回転。
そのまま車輪を降ろして、レールにタッチダウン。
「こんなことができるんだあ。」と感心しきりでした。
ちなみに、伊予鉄道の坊ちゃん列車は、同様のやり方で機回しを行いますが、
こちらが先輩です。

当時、東海地区には、長良川鉄道のみならず、
天竜浜名湖鉄道「そよかぜ」号樽見鉄道「うすずみ1形」、そしてJR東海 飯田線「トロッコファミリー」号
とトロッコ列車が数多く走っていました。
いま。それらのトロッコ列車が、すべてなくなってしまったということを思うとき、
時の流れの速さを感じずにいられないものがあります。

さて、真っ先になくなったのが、長良川鉄道のトロッコ列車です。
長良川鉄道については2003年には運行を取りやめ、車両も機関車を除いて取り壊されてしまいました。
なぜでしょう、個性に乏しかったから?
とんでもない。トップの画像をご覧ください。
他社のトロッコ列車と違うのは、車掌車を、(それも4両も)連結したことです。
白を基調とした、見るからに楽しい編成。
貴重な車両を活用していただけでなく、見るからに楽しい絵になる列車だっただけに残念です。

長良川鉄道でトロッコ列車が運行されなくなったその原因は、トロッコ列車自体が、脱線事故を起こしたからとされています。
ネットで調べてみると、

 「2003年7月21日午前11時15分ごろ、岐阜県美並村の長良川鉄道福野-美並苅安駅間で、
トロッコ列車(6両編成)の先頭の機関車が脱線、そのまま約70メートル進んで止まった。
乗客10人と運転士、車掌ら3人にけがはなく、乗客らはタクシーで目的地の郡上八幡駅まで搬送された。
 八幡署や国土交通省中部運輸局によると、現場は緩やかな左カーブ。
機関車がカーブを曲がる際に左側の先頭車輪が外れてレールの内側にずれ込み、レールを押す形で進んだという。…以下略」

とあります。その原因についても、ネットに国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の報告として記事がありましたので引用しますと

 「事故は昨年7月21日、岐阜県郡上市の福野-美並苅安間の上りこう配曲線で、
6両編成のトロッコ列車が時速約30キロで走行中に、先頭の機関車が脱線した。  
報告によると、現場付近約140メートル区間の枕木は1986年に1本が交換されただけで、その後は取り換えられなかった。
線路と枕木を固定する「犬くぎ」の力が、枕木の腐食のため低下。
腐った枕木が4本並んだ個所を、機関車が通過し、線路の幅が広がり事故につながった。
 長良川鉄道は現在、枕木をコンクリート製に交換するなど事故対策を進めている。」--

…1986年といえば、国鉄から長良川鉄道に転換された年です。
いかに厳しい経営環境とはいえ、公共輸送に携わる鉄道会社にとって、安全はそのすべてに優先するものです。
こんな恐ろしい状態が、放置されていたとは…。

思えば、事故を起こしたNTB形は、もとは保線用の動力車です。
何かしら私には、彼が身をもって、この危機的な状態を世に知らしめたような気がしてならないのです。


参考文献;鉄道ピクトリアル 新車年鑑 93


            
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