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大阪市交通局ニュートラム 101−34 ポートタウン西駅 2017.3 
101−34 (OTS100系) 1997年5月 新潟鐵工所 製
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
8.075 2.290 3.150 10.8
駆動方式 制御器(電圧) モーター(kw) ギア比
サイリスタ位相制御 100×1 6.83
ブレーキ 定員(座席) 冷房機 台車(製造)
電気指令式 42(16) セパレート式
14000×1
4輪ゴムタイヤ式


鉄道車両諸元表:新車年鑑 1998 鉄道ピクトリアルNo660 1998.10




OTSの忘れ形見 大阪市交通局ニュートラム 100A系 101−33〜35

OTSは、大阪港トランスポートシステムの略号で、大阪市が51%を出資する第3セクター会社の商号でもあります。
現状は、南港トラックターミナルなど流通施設の管理などを行っていますが、かつては第1種鉄道事業者として
「南港テクノポート線(大阪港―コスモスクエア―中ふ頭 )3.7キロ」の区間を営業していました。
「南港テクノポート線」とご紹介しましたが、大阪港―コスモスクエア間が、大阪地下鉄中央線の延長区間と見なされるのに対し、
コスモスクエア―中ふ頭間は、「OTSニュートラムテクノポート線」と呼ばれる、いわゆる新交通システムで、
1997年12月の コスモスクエア - 中ふ頭間の開業当初から、
大阪市交通局のニュートラム(正式名称は大阪市中量軌道南港ポートタウン線)と相互直通運転を行ってきました。

OTSは、第1種鉄道事業者でしたから、当然自前の車両も保有しており、
地下鉄規格の第3軌条である南港・港区連絡線(テクノポート線)用には、大阪市交通局中央線用24系と同タイプのOTS系を2編成、
OTSニュートラムテクノポート線用には、同じくニュートラム線用100A系と同タイプのOTS100系を3編成所有していました。

さて、路線開業以来、OTSは毎年15億円(累積50億円)近くの赤字を出し続けました。
建設費880億円のうちトンネル構造物など基礎部分(520億円)は大阪市が建設し、OTSはこれを無償で占有していたのにもかかわらずです。
これほどの赤字を出したのは、ひとえに利用者が少なかったからですが、なぜそれほどに利用者が少なかったのでしょう。

それは、市内中心部から思いの外時間がかかることに加えて、運賃がべらぼうに高かったのがその大きな理由です。
開業当社、私も利用しましたが「これは高すぎる!」と実感したのを覚えています。
なにせ運賃体系が別立て(大人全線230円均一)のため通算運賃は、通常の倍近い割高なものだったのです。
利用者数が開業当初の見込みより低迷したのは当然でしょう。
そこで、OTSは、2005年2月、
ニュートラムテクノポート線の「コスモスクエア- トレードセンター前」間の路線以外の施設と車両などを大阪市に売却。
(トレードセンター前 - 中ふ頭間については軌道事業を大阪市交通局に譲渡)
第三種鉄道事業者として線路を第二種鉄道事業者となる大阪市交通局に貸与する形で、
同年7月、南港ポートタウン線の再生を期することになりました。
大阪市交通局のニュートラムと運賃体系を統一することで運賃を値下げし、なにはともあれ利用者の増加を図ることにしたのです。

こんなことになるなら、はじめから大阪市交通局として、開業しておけばよかったような気もしますが、
南港テクノポート線は、「テクノポート大阪」計画という大規模開発の一環としてスタートしたものです。
北港地区の舞洲・夢洲に南港地区の咲洲コスモスクエアを加えた3地区から構成され、
先端技術開発機能、情報・通信機能、国際交易機能、文化スポーツ・レクリエーション機能、住居機能などを
併せ持つ「新都心」として構想されました。
つまり、交通渋滞を緩和するために、地下鉄は必要不可欠であるというような公共性から必要とされた路線ではなく、
新都心といわれる地区の価値を高めるため、いわば新しい価値を生み出すための起業的側面を強くもっていたがため、
交通局自らが、多額の借金をして工事をするのにはなじまないという性格のものであったといえそうです。
とはいえ、
大阪湾の人工島に新都心を生み出すという「テクノポート大阪」計画が策定されたのは1988年。バブル景気に浮かれていた頃の話です。
その数年後にバブルが崩壊したのにもかかわらず、後も変更されることなく、無謀とも言える計画が遂行されていったのはなぜでしょう。
それは、大阪五輪招致運動に欠かせないものだとされたからです。
人工島は五輪の主会場予定地となり、住宅は選手村に、地下鉄計画は五輪開催に欠かせない都市基盤と叫ばれるようになりました。
オリンピック地下鉄線は、コスモスクエア駅から新桜島駅まで大阪港の埋立地7.5キロを走る地下鉄線で、OTSが営業する予定でした。

大阪五輪招致は、ものの見事に失敗に終わりました。所詮、大規模開発の隠れ蓑だったのだという声もあります。

中央線のラインカラーである緑色とは、違うブルーを基調とするOTS系は、
前述したように2005年7月の大阪市交通局譲渡され、大阪市交通局の車両となりました。
今は谷町線用の車両となってしまい、紫のラインカラーを身にまとったその姿から、もはや、もとOTS系と判別することは困難です。
OTS OTS系 651            朝潮橋駅  
一方、OTS100系を名乗っていた33 - 35編成については、こちらも2005年7月の大阪市交通局譲渡時に100A系に編入されました。
しかし、こちらはOTSのマークをニュートラムのNマークに変えただけで、ほぼ昔の姿で活躍しています。
この秋には東京にオリンピックが招致されるかどうかが決まるそうですが、
もう、忘れ去られた大阪オリンピック招致運動の忘れ形見が、まだ当時の姿のままに走っていることに感慨深いものがあります。

「当時のキャッチフレーズは、「海にオリンピックを浮かべたい…」だったか?」
オリンピアブルーと称される青いマスクの100A系-33を見て、ふと、そんな言葉を思い出したりするのです。
大阪市交通局ニュートラム 101−26 ポートタウン西駅 2016.11 

−鉄道車両写真集−
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参考文献;鉄道ピクトリアル新車年鑑 1998 鉄道ピクトリアルNo660 1998.10
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