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  三岐鉄道 北勢線 クモハ270形  2008.4.6UP
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三岐鉄道 クモハ270形 272
阿下喜駅 2007.1.8
モ270
(クモハ270形)
(高速化対応車) 1977年10月
(2005.6改)
近畿車輌 製
(北大社工場)
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
15.600 2.110 3.670 15.6
(15.9)
駆動方式 制御器(電圧) モーター(kw) ギア比
ツリカケ ABF MB464AR
38×4
(38×2)
13:71
ブレーキ 定員(座席) 冷房機 台車(製造)
HSC 75名40席
(72名28席)

(床置き形*2)
KD-219
(KD219.KD219A)
鉄道車両諸元表(電車):出典
   モ270−鉄道ピクトリアル 「特集近畿日本鉄道」No668

  クモハ270−ウィキペディア 「三岐鉄道北勢線」のページより

  270形インクレディブル −三岐鉄道 北勢線 クモハ270に与えられた使命とは−

 
明治43年に「軽便鉄道法」翌年には「軽便鉄道補助法」が公布されました。
762mm軌間の鉄道にも適用されることから、地方で、こぞって軽便鉄道が開設されたのは、これらの法律のおかげといえるでしょう。近鉄 北勢線 モ223
でも、このことは、国の後押しがなければ、成り立たないほどの需要しかない鉄道を多く造り出したというわけで、事実、多くの軽便鉄道が泡沫のように消えてゆきました。
今や、高規格の地方鉄道でさえ、廃止の憂き目にあっている時代です。
地方鉄道冬の時代にあっても、いまなお生き延びている762mm軌間の鉄道は、奇跡といってもいいかもしれません。
 それが、三岐鉄道 北勢線と近鉄 内部八王子線なのです。

270形のご紹介をする前にもう少しこの北勢線のことについて、お話ししておきたいと思います。
北勢線のルーツは、大正3年に西桑名−楚原間を開業させた「北勢鉄道」です。
762mm軌間のSL鉄道でしたが、昭和4年に全通したその2年後に電化されています。

時代は変わり、「三重交通(1943)」そして「近畿日本鉄道(1965)」と会社名は変わりましたが、私が初めて、北勢線を訪れた時には、まだこの電化当時に製造されたモニ220形の天下で、終点の駅では、機関車のように機回し線を通って最後部のサハ(客車)に連結。
向きを変えて、3,4両のサハをしたがえ、元来た道を帰って行くという、
言わば時間が止まったのではないか、という光景を眼にすることができたのです。

さて、近鉄 モ270形は、近鉄に統合されてから12年目になる1977年に北勢線近代化のヒーローとして登場しました。
三交時代に作られたサ147から数えて15年ぶりの新車です。
収容力を増すために車体長は、15.6mとモニ220形より4m以上長くなりました。
一方で脆弱な軌道でも走行できるよう15.6tと、モニ220形より、なんと0.2t軽量に作られています。
クーラーこそ付いてはいませんが、ラインデリアを備え、それでなくても低い天井をスッキリさせています。
制御器は近鉄得意のABF。
間接式で、同時に制作されたク170形から総括制御することができます。
もう機回しをする必要はないのです。
在来車であるモニ220形も総括制御ができるように改造され、北勢線のスタイルは大きく変わりました。
古き良き時代に終わりを告げたモ270形は、鉄道マニアからは、歓迎されたとは言い難いのですが、
北勢線の歴史を大きく変えたヒーローであることには違いありません。

でも、彼らが登場してから、30年近い歳月が過ぎました。
北勢線に限らず、地方鉄道は、じり貧状態が、改善されることはなく、
とうとう親方の近鉄も、北勢線に見切りをつけることになります。
第3セクターに転換することさえ時間切れで無理だと解ったとき、
老体化したヒーローたちも自分たちの最期を悟ったに違いありません。

そこに、救世主が現れました。
三岐鉄道です。
北勢線の南にほぼ並行する形で路線をもつ、三岐鉄道は、旅客輸送だけに携わる北勢線とは違って、
藤原岳周辺の石灰岩から作られたセメント輸送が、大きな収入源となっています。
加えて2000年から2003年まで中部国際空港の埋め立てのため土砂輸送が、三岐鉄道の財政を好転させていた点も見逃せません。
しかし一私企業である以上、慈善事業で赤字ローカル線を引き受けることはありません。
もちろん自治体からの支援はあります。
しかし、それ以上に潜在的な輸送需要を引き出せるとの信念が、三岐鉄道にあったと思われます。

もともと、三岐線は北勢線に比べ沿線人口も少なく、ターミナルである富田も桑名に比べマイナーです。
貨物あっての三岐線といえる状態が、長く続いていたのですが、近鉄富田駅への乗り入れや車両の冷房化、
そしてパークアンドライド等、積極策に転じた結果、いつしか、輸送人員は北勢線を上回っていたのです。
そんな、実績と自信が、北勢線を引き継ぐ気持ちを生み出したに違いありません。
ウィキペディアの「三岐鉄道 北勢線」のページには、平行するバス路線との比較が載せられているのですが、
列車ダイヤという商品が、いかに集客に大きく影響しているかが、はっきりと見えてきます。
大事なのは、フリークエンシーサービスと速達性です。
運賃と定時性で、優位に立つ鉄道は、やり方次第で、バスに負けることはないのです。
そして自家用車に対しては、勝てないまでも共存できる交通機関となるのです。
利用客の少ない駅は、廃止し、自家用車との乗り継ぎを考慮した新駅に統合する。
こんなやり方が、今、よい結果を出しつつあります。
しかし、従来のようにのんびり走っていたのでは、乗客は逃げてしまいます。
現在の最高速度は45km/hですが、これを75km/hにする高速化計画があります。

とはいえ、762mm軌間の鉄道である北勢線の現実には厳しいものがあります。
もともと高速運転することなど考えていないので、曲線が多く、それも、急カーブが多いのです。
脆弱な軌道を改良しようと、枕木一つ強化しようとしても、コンクリート製のものなどありません。
文字通り木製で調達する以外ないのです。
高速で通過できる転轍機(ポイント)も、オリジナルで作るしかありません。
それでも、創意と工夫で乗り越えてきたものがいっぱいあります。
車両もそうです。新車など作っている余裕はありません。
老体化したヒーローたちにも再起してもらうことになりました。
冷房機器を装備した編成は、電動機を分散配置し、2M1Tの構成にし、制御装置も改良しました。
クーラーだって、重心の高い車両の天井に設置することはせず、床上に据え付けました。
軌道側の高速化対応がなされれば、いつでも75km/h運転OKです。

「Mr.インクレディブル」というアニメーション映画があったのを、覚えておいででしょうか。
引退に追い込まれたヒーローが、復活し家族ぐるみで大活躍をするというストーリーです。
「異端者はサラリーマン社会では苦労をする。」というのが、そのテーマの一つですが、
下津井電鉄のメリーベル号は、ナローゲージの異端者であるが故に、他に働き場所もなく消えてゆく運命にありました。
ところが、モ270には「高速化することでローカル線は生き返る。」ということを身をもって証明せよという使命を与えられたわけです。
インクレディブル一家の家族たちは、目の回りを黒いマスクで覆うことで、そのスーパーヒーローぶりを発揮します。
三岐鉄道のクモハ270となった彼らのそのマスクと、インクレディブル一家が、私には、何かしら繋がって見えてしようがないのです。
「インクレディブル」とは、「信じられないような」という意味です。
マッチ箱のような軽便鉄道の車両が、75km/hで駆け抜ける…
まさにインクレディブルな光景ではありませんか。
高速運転するツリカケ電車は、SLに負けず劣らずその懸命さが伝わってくるものなのですが、
270インクレディブルが、北勢線を疾走する姿を、私は心待ちにしています。

−鉄道車両写真集−
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参考文献;鉄道ピクトリアル 「特集 近畿日本鉄道」No727、668、313
ウィキペディア 「三岐鉄道北勢線」のページ
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