蒲原鉄道
2005.10.10UPJS3VXWのHPです
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平成11年10月廃止
蒲原鉄道の切符
参考文献;
 鉄道ピクトリアル No652 
 「蒲原鉄道」「新潟交通」 
            98.4      
 
鉄道切符管理局ローカル線切符紀行
 
  蒲原鉄道 モハ71 加茂駅 モハ71  加茂駅     83.1.5    
 

*新潟県で最初、かつ最後の私鉄 蒲原鉄道


国鉄のルートからはずれてしまった村松町(本社の所在地)は、村松藩3万石の城下町。
東南部の山間地域の薪炭や木材輸送のほか、各種の鉱石が豊富に産出されたこと、
かつて旧陸軍歩兵30連隊があり、軍事物資の運搬が必要だったことなどから、
町民は鉄道敷設を渇望していました。
 
 しかし、折からの大不況によって鉄の相場が大暴落、
鉄道建設の目的のひとつ白滝鉱山も事業縮小を余儀なくされ、
計画されていた村松・川内間の工事は取りやめとなり、第1期工事を五泉・村松間に変更して、
工事に着手、大正15年の10月に五泉・村松間の運行が開始されました。

 しかし、当初から鉄道の建設が磐越西線五泉駅と信越線加茂駅を結ぶことが目的だったことから
昭和4年に60万円を増資し第2期工事となる村松・加茂間17.7Kmの工事に着手します。

 昭和5年7月に東加茂駅までの15.2Kmが、同年10月加茂駅までの2.5Kmが完成し、
村松・加茂間の全線21.9Kmが開通しました。
 
 以後、全線21.9Kmの蒲原鉄道電車線は自然災害(豪雪、水害)や不況を克服しながら
地域の足として活躍、昭和41年には年間利用者302万人を記録しました。

 しかし、地方鉄道の例に漏れず、沿線地域の人口の減少に加えモータリゼーションの影響によって
次第に利用客が減り、昭和60年3月に村松・加茂間17.7Kmについて廃止せざるを得なくなります。
そして14年後の平成11年10月3日には
残されていた村松・五泉間の鉄道路線も廃止となってしまいました。

 こういっては何ですが、蒲原鉄道は、同時期(平成11年4月)に鉄道線が廃止となった
新潟交通と較べて資本金は8分の1以下。有力企業の後押しもなく、
株主には地元有志の個人名が並んでいます。
 また県都、新潟市をターミナルとしていた新潟交通とは比較にならないくらい地の利には恵まれていません。
しかし鉄道存続への思いは強く、
古い車両を大切に使い続ける一方、大胆な合理化を推し進めていたのです。

 新潟県初の電気鉄道、蒲原鉄道電車線は、
県内最後の私鉄として77年の歴史の幕を閉じることになりました。


わずか半年ではあっても、蒲鉄が最後であるということに私は重さを感じています。


蒲原鉄道 モハ31モハ31 大蒲原駅      83.1.5

−鉄道車両写真集−
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