ローカル線切符紀行 新潟交通 電車線
2006.7.22 UP JS3VXWHP TOPへ  
TOPへ
切符INDEXへ
珍車(JR/JNR)へ
珍車(私鉄)へ
鉄道資料室へ
新潟交通 硬券
新潟交通 軟券
参考文献;鉄道ピクトリアル
#652 「新潟交通」
鈴木大地氏
「ローカル私鉄の現状と近年の動向」
佐藤信之氏
#431 「新潟交通」
阿部堅司氏 瀬古龍雄氏      
     
Yahoo! JAPAN
  新潟交通 モハ16
モハ16
 小田急デハ1409の車体に買収国電(旧伊那電)モハ1924の足回りを組み合わせた珍車。
他の電動車が、すべて戦後製である日本車輌の標準車体に更新された中にあってまさに異色の存在でした。

モハ16 東関屋駅  83.1.5    

*新潟交通というバス会社の電車線

 新潟交通を最後に訪れたのは、92年12月28日です。その時の切符はありません。
実は、乗車しなかったのです。
 元小田急の2220形を撮影しようと東関屋へはJR東日本の関屋駅から歩いていったのです。
そのまま久しぶりに乗りたいなという思いはもちろんあったのですが、
当時の終点、月潟駅からどうしたらいいのかがわかりません。

 前回(83.1.5)は燕駅まで乗車し、JR弥彦線に乗り継ぎました。
しかし月潟−燕間は92年2月に廃止されています。新潟から燕(燕三条)まで新幹線なら13分。
1時間以上かかる新潟交通をわざわざ利用する人はそうはいないでしょう。
それでもやはり鉄道はつながってナンボのものです。
孤立した路線は利用客を限定してしまうだけです。

 当時東関屋駅には、新しいバスターミナルが出来ていました。
市内中心地へあるいは新潟駅へのアクセスを考えてのことだとは思うのですが、
案内が私のようなヨソ者にはよくわからず結局、そのまま踵を返して関屋駅に戻りました。

 廃止区間といえば92年4月に東関屋駅から白山下までの軌道区間が廃止されています。
白山下は、もともと県庁前と呼ばれていました。
県庁が移転してしまったことで県庁前が白山下に改称されたわけですが、
市内へ乗り入れる大きなメリットがなくなったわけです。

 またこの区間の廃止については地元の商店街が大歓迎したそうです。
彼らとてこの電車が新潟駅まで乗り入れていたらそのメリットを享受できたとも思うのですが、
なにせこの狭い道路幅では電車を渋滞、騒音の元凶と見なし、
廃止を長年の悲願としたというのも、また如何ともしがたいものがあります。

 一方97年4月新潟交通が全線廃止の意向を表明したとき、
沿線の七市町村が存続に向けて協議を重ねました。
しかし会社側の態度は、廃止にむけ、かたくなであったようです。
 いったい何故?
 
 新潟交通の社紋は、レールの断面にバスのハンドルが覆い被さるというシンプルなものです。
中之口鉄道由来の新潟電鉄が、44年にいわゆる戦時統合で
新潟合同自動車と合併させられたことで生まれた新潟交通の姿を、
まさに、象徴しているデザインといえるかもしれません。
 
 かつて、新潟交通電車線は63年には、630万人/年の乗降客を数え、
バス事業と共に新潟交通の事業の柱であったわけですが、それでも電車線は赤字で、
バス事業部がこれを補っていました。
 
 新潟交通は、県下に100以上の系統と2000キロを優に超える路線をもつ巨大なバス事業者です。
新潟の人々にとって、新潟交通は、バス会社であり、
電車線を「電鉄」と呼んで区別していたのもうなずけることです。
 
 加えて64年6月。新潟地震が、この地を襲いました。電車線は、1ヶ月。
そして軌道区間は半年もの間、運休が続きました。
 当然その間、バスが代役を務めたわけですが、同一企業であったということで、
そのメリットが十分に活かされたと思われる反面、
電車線の存在感をさらに失わせる結果になったとも思われます。
  
 新潟交通電車線は、CTCをいち早く導入するなど、地方鉄道としては先端の技術を取り入れながらも乗客の減少に歯止めをかけられませんでした。
 新潟地震による運休が、モータリゼーションの波と重なってしまったなど、
数多くの不運が重なったことが原因です。
 でも、廃止に至ったその原因について、私は、戦時統合に遡る鉄道軽視
(バス事業が安定しているときは鉄道事業に対して危機感を持たなかったのが、
 バス事業の悪化にあっては一転して鉄道事業を切り捨てようとする。)の企業風土と、
これまた日華事変勃発による県庁前−新潟駅前の軌道工事凍結が、
大きな影響を及ぼしているように思えてなりません。

 もし戦争がなければ、
新潟駅前から市街を抜け郊外に至るLRTの姿を見ることが出来たのではないでしょうか。


新潟交通 モハ2229上の写真は、モハ2229 東関屋駅   92.12.28
85.1.30に導入されたもと小田急の2220形です。
新潟交通電車線初の新性能車ではありますが、
MMユニットであるがゆえに単行で用いることが出来ず、
朝夕のラッシュ時専用ということになってしまいました。

下の写真は モハ14 県庁前駅  83.1.5
主力のモハ10形で、日車が地方鉄道向けに製作した標準車体による在来車の更新車両です。
 モハ2220形もモハ10形もそうですが、
昭和30年代に作られた電車は、張り上げ屋根のスマートな車体が軽快に感じられる反面、軽量化が進んだ分、きゃしゃで冷房化もかなわず、痛みも早かったように思われます。

 


新潟交通 モハ14 県庁前駅

 








鉄道マニアにとっては、その来歴も含め、非常に興味深いこれらの電車たちも、日々利用する地元の方々にとっては、魅力に乏しい存在だった気がします
−鉄道車両写真集−
 新潟交通電車線の車輛たちへJUMP

   
珍車ギャラリーへ     TOPへ   切符INDEXへ   リンク集へ  鉄道資料室へ
JS3VXWのHPです