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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>大阪セメント いぶき500形
専用線用機関車の頂点に君臨した王者−大阪セメント いぶき500形電気機関車−近江長岡駅からは伊吹山がよく見えます。そこには大阪セメントの工場があり1999年までは、ここからの専用線が近江長岡駅まで繋がっていました。 今でも空き地となって残っているヤード跡地には、タキ7300形などのセメント輸送用貨車が数多く見られました。 そしてその傍らには、箱形電機の姿が見られたのです。 大阪セメント「いぶき500形」電気機関車です。 1956年に日立製作所で2両が製造されました。 「いぶき」は、この伊吹工場専用線の由来となる伊吹山から取られたものです。 愛称として「ひらがな」が用いられることは一般的ですが、形式名としては「カタカナ」が当たり前で「ひらがな」は珍しいですね。 運転整備重量が50.0tであることから「500形」が付加されました。 車体中央側面に掲げられた大阪セメントの「ライオン印」が印象的です。 いわば専用線用の機関車ですが、その威容は堂々たるものでした。 同時期に造られた国鉄の貨物用直流電気機関車EF15形を彷彿させるほどのインパクトがありました。 スペックを見てみましょう。 全長:12600mm 全幅:2700mm 全高:3830mm 運転整備重量:50.0t 電気方式:直流1500V(架空電車線方式) 軸配置:B-B 台車方式:組立台枠 主電動機:HS277-Br-16形×4基 歯車比:16:76 (1:4.75) 1時間定格出力:600kW 1時間定格引張力:9000kg 最大運転速度:65km/h 1時間定格速度:23.8km/h 動力伝達方式:1段歯車減速吊り掛け式 制御方式:抵抗制御、直並列2段組合せ制御 制御装置:電磁空気単位スイッチ式 ブレーキ装置:EL14AR 空気ブレーキ、手ブレーキ、発電ブレーキ 数値的に比較するとF級(動軸が6つ)のEF15形に対しD級(動軸が4つ)の「いぶき500形」は重量から比較しても半分に過ぎません。 しかし専用線用の機関車といえば、日車製や北陸重機製の25t機といったディーゼル小型機が定番です。 彼らは移動機やスィッチャーと呼ばれ、鉄道マニアからも「おじゃま虫」というあだ名を奉られているほど存在感は薄いのです。 そう考えると「いぶき500形」の存在感は別格です。 ちなみに「いぶき500形」と同様の日立製50t電機といえば秩父鉄道の「デキ100形」があげられます。 本線用電機としても十分なスペックを持つものなのです。 「いぶき500形」はまさに専用線用の機関車の頂点に君臨する王者だったと申せましょう。 −−車体側面に掲げられたライオンマークは伊達ではありません。−− 「いぶき500形」の所有者である大阪セメントは、ライオンセメントとして有名で、ライオン印が入ったセメント袋を私は記憶しています。 大阪セメントは 1888年(明治21年)に設立された大阪窯業株式会社がルーツです。 1926年(大正15年)にはセメント部門が独立、大阪窯業セメント株式会社として発足しました。 (大阪セメント株式会社に社名変更したのは1963年(昭和38年)) 伊吹工場の開設は 1952年(昭和27年)です。 専用線が敷設され当初は蒸気機関車が活躍していました。 東海道線の電化に合わせて電化されたのが1956年。 このときに日立製の50t電機「いぶき501・502」号が導入されたのです。 戦後の復興期から高度成長期に至る日本の建築ブームを陰ながら支えてきたのが伊吹山のセメントであったと申せましょう。 しかし、成長にも陰りが見え始め、バブルが崩壊。 セメント業界も再編が進められることとなります。 1994年10月、大阪セメントは合併により住友大阪セメントととして再スタートを切ったのですが、 1999年6月に専用線は廃止され、伊吹工場も4年後の2003年にセメント製造を停止、廃墟となってしまいました。 同線のセメント輸送が1999年6月末限りでトラックに切り替えられお役ご免となった「いぶき500形」でしたが、 なんと大井川鉄道に譲渡され、ED500形(ED501・502)として再出発することになりました。 専用線用の機関車が鉄道会社に転籍して本線を走った例は他にあるでしょうか。 2000年3月から大井川鐵道で運転を開始した「いぶき500形」でしたが、 急遽、三岐鉄道へ異動(501は貸出、502は売却)することとなりました。 2005年2月に開港する中部国際空港の埋立土砂を輸送するためです。 三岐鉄道では重連で運用することが多いのですが、「いぶき500形」が2両揃っていたことで活躍の場が与えられたように思えます。 このとき重連総括制御が付加され2000年5月には三岐線での運用を開始しました。 2002年10月に中部国際空港埋立土砂輸送は終了。 502はそのまま廃車となりました。(2015年5月に解体) 501は、2003年3月に大井川鐵道に返却されました。 返却の際「ライオンマーク」は消され、そこには今、大井川鐵道の社紋が取り付けられています。 少し寂しく感じられたのは私の思い過ごしでしょうか。 参考文献:「私鉄 電気機関車ガイドブック 西日本編」 誠文堂新光社 杉田肇 著 1977.2 |
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