2006.12.31UP 2014/04/01更新 |
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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>三井三池港務所 11号電気機関車+デ4形電源車
電気機関車は当然電気で動くのですが、その電源はというと架線から或いは第三軌条を含めて 外から供給されるということが無意識のうちに大前提になっているような気がします。 しかし実際には、機関車に積み込まれたディーゼルエンジンでもって発電した電気を使ったり、 同じく機関車に積み込まれたバッテリーに充電した電気を使う場合もあるのです。 前者の場合は、これもディーゼル機関車と呼ばれていますが、後者の場合、蓄電池機関車=BL(battery loco)と呼ばれています。 これなら架線のないところでも活躍できます。ただ、BLのほうは、普段人目につかないところで活躍しているものですから、 一般人には、鉱山博物館のようなところでしかお目にかかれません。 でも鉱山やトンネルの工事現場など、とりわけ閉ざされた場所にあっては、 DLの排気ガスはチョット厄介なものですから、結構BLの出番は多いのです。 さて左上の写真をご覧ください。古典的な電気機関車ですが、パンタグラフがあがっていないのをお気づきになられたでしょうか。 実はこの機関車、隣の電源車に積み込まれたバッテリーの電気でもって動いているのです。 蒸気機関車における炭水車みたいなものだといいたいところですが、SLは炭水車がなければ動けません。 タンク式機関車はさておき、SL本体と炭水車は一体のものです。 対してこの11号機関車は電源車線用に改造されましたが、もともとは電気機関車です。 その気になれば、架線のあるところで、パンタを上げて、単体で自走できるのです。 つまり非電化区間ではBL的な使い方が出来るという、日本では稀な機関車なのです。
彼らの活躍場所は大牟田市の宮浦と言うところです。 かつて、このあたりに点在した三池炭鉱と工場そして国鉄線を繋いでいた三井三池港務所専用線は、 一時は地方鉄道として一般客まで乗せていたのですが、炭鉱の閉山(H9.3.30)により、その大部分を廃止しました。 ただこの宮浦にある三井化学の製品輸送のため、三井化学専用線としてその一部が存続していたのです。 上の写真は三井三池港務所時代のものですが、 今もほぼ同じ光景を目にすることが出来ることをインターネットで知って正直驚きました。 しかし、半信半疑の私は、なかなか彼らと再会することはできませんでした。 何せ、彼らと出会ったのは、1987年のことなのです。まだ国鉄の時代です。青函トンネルも瀬戸大橋もありません。 果たして、今更どんな顔をして、27年前に別れた恋人に出会えるというのだろうか。 まあ、そんなところです。 そんな私が三井三池のELたちに再会しようとしたのは2014年3月28日のことです。 大牟田駅を下車したのは、午後3時。3月なのに汗ばむような陽気です。 HPによると列車は午前中に設定されているとかで、今回は、空振りかもしれません。 ダメだったときのいいわけを自分に言い聞かせながら、 それでも…何か撮影できるだろうと思い、暑い中を歩きました。 歩くこと数十分。 なんと。 いるではないですか! 私の目に飛び込んできたのは、まず18号機です。︎ それも、ピカピカ。 まだまだ元気そうな姿に、嬉しくなってしまいました。 そしてその奥にはバッテリー車を従えた小型EL 12号機が! 27年前に撮影したときのあの興奮がよみがえってきました。 それにしては、撮影するには少し遠いなあ…と思っていると、 作業服を着た方が数名、12号機に乗り込みました。 えっ…。ひょっとして、今から動くの? 期待して待つこと数分。なんと動きだしたではありませんか。 思えば、私がここにたどり着くのを待っていてくれたかのようなタイミングです。 軽めのツリカケサウンドを響かせながら、駆け抜けてゆく12号機を目の当たりにしたとき。 胸に熱いものがこみ上げてきました。 それにしても、この電源車が登場してかれこれ、64年の歳月が過ぎたわけです。 そして、機関車に至っては、齢97歳というご高齢です。 なぜ、ディーゼル機関車(移動機クラス)に置き換えないのでしょう。 その秘密は、きっとこの工場の中にあるのでしょう。 残念ながら私には、その秘密を知るすべはありませんが、その秘密のおかげで、 この電源車とペアを組むがゆえに、大正生まれの電気機関車が今なお生き延びるという奇跡が起こっているのです。 前述のように、鉱山などの専用線は、人目につくことが少なく写真を撮るのも難しいのですが、 この宮浦付近では、踏切もあり粘り強く待っていれば、その姿を見ることができます。 ぜひ、21世紀の奇跡をご自身の目でお確かめください。
参考文献は「私鉄電気機関車ガイドブック西日本編」誠文堂新光社刊
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