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*札幌市交通局 M101+Tc1= 親子電車1972年、冬季オリンピックにあわせて札幌の街に地下鉄が登場しました。 このことで札幌の交通事情は劇的に変化したわけですが、 以前、札幌市は日本有数の路面電車都市だったのです。 1969年には、車両数は162両を数え、系統は5つ。 路面電車としては、日本で唯一のディーゼル動車まで走らせていました。 しかし、現在は1系統のみの運行となり、A830形連接車などは見られなくなりました。 デザインの点でも大変洗練された彼らは名鉄に引き取られ活躍を続けましたが、今はその姿もありません。 さて市電全盛期の頃、大量輸送の切り札となったのは前述の連接車ですが、 これ以外に電動車が付随車を牽引する親子電車が、札幌の名物電車として存在しました。 (親=両運転台形のM100形(M101号)子=運転台形のTc1形(Tc1号)) 親子電車が日本車輛で製造されたのは1961年7月。 ラッシュ時の輸送力増強用として試験的に導入されました。 両開きの大型ドアが往時をしのばせます。 混雑時は親子を連結した2両編成で運行し、閑散時はM100形の単行で使用する という合理的な発想で生まれた親子電車でしたが、その後量産されることなく、 連接車が増備されることになりました。 なにがいけなかったのでしょう? Tc1形は、トレーラーでありながら、モーター(1台)が装備されていました。 国鉄札幌駅構内を横断する陸橋の勾配に対応した登坂性能を確保するためです。 でも片運転台のTc1形のみでの単独運転は出来ません。 連結、開放するためには常に親が面倒を見てやらなければなりませんでした。 手間がかかるということから、実際には常に連結状態で運用されていたようです。 加えて親子電車では、常に前の車両は運転手と車掌の二人、後ろの車両は車掌一人の乗務となります。 貫通路があるわけではないので、すぐに応援に駆けつけることもできません。 連接車の登場以降は、運賃収受の方法も連接車と共通に出来ないため増備はされず、 連接車が本格導入されることになります。 1970年にM101号はワンマン化改造を受けましたが、自走ができないTc1号は廃車となってしまいました。 M101号は330形同様40.0kwモータ車でしたので、 3300形と同様の車体に更新されるのではとも思われましたが実施されていません。 2014年12月、唯一クリームとグリーンの旧塗色で残っているM 101号の姿を見ることができました。 元気に頑張っている姿を見てうれしくなりましたが、もはや50年を超える車齢です。 引退も近いのではないかと思われます。 なお、Tc1号は、D1041などとともに真駒内の地下鉄高架橋の下で保存されています。 願わくは親子の再会を果たしてほしいものです。 Tc1(保存車)
M101/Tc1ともに,S36.7 日車製 |
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