鉄道写真管理局京福電気鉄道 251形
2014/05/17 UPJS3VXWのHPです。
 
京福電気鉄道 モハ251形 252 東古市駅 モハ251
もとホデハ251形)
種車ホデハ11形
昭和4年7月
昭和32年8月
改造
日本車輌 製
長さ(mm) 幅(mm) 高さ(mm) 自重(t)
15.772 2.690 4.055 28.0
駆動方式 モーター(製造) ブレーキ 台車(製造)
ツリカケ
直接制御
電磁空気カム軸式
SE-131-B
(東芝)

モーター(kw)出力
45×4
AMM D-16
(日車)

改造当初はD-14
京福電気鉄道 モハ251形 252 東古市駅 車両諸元表 鉄道ピクトリアル「北陸地方のローカル私鉄」 1986.3 No461より

永平寺線とともに散ったモハ251形。

 モハ251形(251〜4)は、福井口車庫火災(1957年)で被災した車両のうち、
1928〜1930年にかけて製造された車両を再生すべく車体を新造して再登場させたグループです。

 車体は日車の標準車体と呼ばれているもので、日車が地方私鉄向けに製造した車体です。
松本電鉄の100形や新潟交通の10形などがその例となります。
丸みのある張り上げ屋根、上段Hゴムのいわゆる『バス窓』などが特徴で、
年配のローカル私鉄マニアなら、ぱっと見ただけで、それとわかるのではないでしょうか。

彼らが活躍していた当時は個性の強い旧型電車が数多く残っていましたので、
おもしろみのないスタイルだなあ…と思ったこともありましたが、今見直してみると
17m級2ドアが標準となる車体はバランスのとれた秀逸なデザインであったとも思われます。

さて、多くの地方私鉄は30〜40年代にかけて、
この車体をもとに、古い木造電車などを更新しました。
ですから下回りは、古くかつ個性豊かです。

さて京福のモハ251形ですが、片側が非貫通となっていますので前面の印象が異なります。
車体も標準仕様とは寸法が異なります。車体長が短くなっているのです。
30kg/mレールが大半を占める低規格路線であった永平寺線はカーブがきつく、
そのため南海からやってきた大型車は使用することは困難でした。
そこでモハ251形を車体長15.7m、車体重量28tの小型車としたのです。
あと、ドア間のシートが転換式クロスシートとなっている点も見逃せません。
クロスシート車となったのは、福井−永平寺間を直通運転する特急列車に優先的に使用するためです。

モハ251形は、まさに永平寺線用に作られたと申し上げてもいいのではないでしょうか。

でも、そのことが悲劇を生む原因ともなったような気がするのです。

2000年12月17日13時ごろ、
永平寺発東古市(現在の永平寺口駅)行き列車(モハ251形251・1両編成)は、終点となるはずの東古市駅に停車できず、
そのまま越前本線に進入、福井発勝山行き列車(モハ1101形1101・1両編成)と正面衝突しました。

ブレーキのレバーは緊急停車用の「非常用」になっていたのですが、
事故車両の車輪ブレーキパッドは開いたままで全く作動していなかったのです。

その原因は、ブレーキを作動させるロッドが、破断したためでした。

モハ251形に限らず、当時の旧型電車の多くは、
車体床下に装着された1個のブレーキシリンダーから、ロッドによって各台車にブレーキ力を伝達し、
各車輪のブレーキシューを車輪に押し付ける方式をとっていました。
ですからブレーキロッドが折損するとその車両の全車輪のブレーキが効かなくなるというわけです。

2両連結以上であれば、制動距離は長くなりますが停止させることができます。
京福電鉄では、これ以降、2両編成で永平寺線の運行を再開しています。
しかし、まったくもって無駄な話です。
1998年の資料によると当時永平寺線の1日あたりの乗降客は全線で400人にも満たないのです。
当時、京福福井駅だけで5000人近くの乗降客であったことと比べてみてもおわかりいただけるでしょう。

1両に2系統のブレーキシステムを搭載させることもできなかったということですが、
まあ、こんな不採算路線を抱えていた京福電気鉄道です。
安全のための投資をする余裕などなかったのでしょう。

永平寺線スペシャルであったモハ251形は、勾配のきつい山岳路線での使用がメインでした。
そめため足回りは相当痛んでいたのではないかと思われます。

京福電気鉄道 モハ251形 251 東古市駅

繰り返しになりますがモハ251形は1957年火災で被災した車両を再生させた車両です。、
足回りは1928〜1930年にかけて製造されたオールドタイマーなのです。
−−よくぞここまで頑張った−−といってあげたいし、
現場で保守整備をされていた方々には想像を超えるご苦労があったに違いないと私は思います。

この事故でモハ251(永平寺発電車)の運転を担当していた佐々木忠夫運転士は殉職しています。
佐々木運転手は、乗客に安全な後方へゆくよう指示し、緊急事態であることを無線で連絡しました。
そして、自らは電車を止めようとして最後の最後まで運転席にとどまり、懸命にブレーキをかけ続けていたのです。
結果25人が重軽傷を負うことになりましたが、乗客には一人の死者も出しませんでした。
乗客を残したまま我先に脱出したどこかの船長とは大違いです。

でも、貴い犠牲をもってしても、事故の再発を防ぐことはできませんでした。

2001年6月24日、越前本線で2度目の列車衝突事故が発生します。
今度は信号無視が直接の原因でした。

しかし、事故の責任を現場に一方的に押しつけることだけは厳に慎むべきです。

なぜヒューマンエラーをカバーできるだけの安全対策がなされなかったのか。
なにが現場の士気をこれほど低下させてしまったのか…。

翌日から全線で運行が休止され、京福電気鉄道(福井支社)はその姿を消すことになります。
その後、2002年9月、えちぜん鉄道への譲渡が決定しましたが、
永平寺線は利用客が見込めないことから、2002年10月をもって廃止されました。

活躍の場を、そして相棒を失ったモハ252は、そのまま廃車されることになるのです。

参考文献:鉄道ピクトリアル「北陸地方のローカル私鉄」 1986.3 No461
      京福 佐々木忠夫運転手 (社会貢献支援財団 HP)

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