鉄道写真管理局 珍車ギャラリー 西鉄宮地岳線 313系  2007.10.6UP
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西鉄宮地岳線 313系 クハ366 モ313 (新性能化) 1952年3月
(1992.6)
近畿車輌 製
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
18.697 2.740 4.130 37.6
駆動方式 制御器(電圧) モーター(kw) ギア比
平行カルダン HT−20A(日立)
1500V/DC
HS-836-Frb
120×4
84:.15
ブレーキ 定員(座席) 冷房機 台車(製造)
AMA 130(46) 8500kcal/h×3 FS-342A
(住友)
ツリカケ駆動のままの モ314は、
台車:TR-22   モーター:MT-7(100kw×4) 自重は42.2tでした。

鉄道車両諸元表(電車):出典は鉄道ピクトリアル 「特集西日本鉄道」No668

3回も台車を取り替えた電車 西日本鉄道 313系

なんでもそうですが、ものには早く痛みが出てくるものと、そうでないものとがあります。
電車の場合、特にツリカケ駆動の古いものに関して言えば、台車は、その構造上極めて頑丈にできています。
そんなわけで、古い台車をそのまま流用して、新しい車体の電車がデビューするというケースは、大手の私鉄でも結構見られました。
しかし、今回ご紹介する西鉄313系は、4種類の台車を履いた経歴をもつ珍車です。
もっとも、取り替えた3種類の台車は全て中古品ですし、
車体も数回にわたって更新修繕していますから、とびきり丈夫な車体を持っていたわけではありません。
では、なぜ?
その謎解きをする前に、彼らの活躍場所である貝塚線(宮地岳線)について述べてゆきたいと思います。

宿命のローカル線 西鉄宮地岳線→貝塚線

西鉄は、この春(2007年4月)宮地岳線の新宮−津屋崎間を廃止。
宮地岳駅も廃止になったことから、線名も貝塚線に改めました。
乗客離れがその最も大きい原因ですが、もともと収益性の乏しい路線でした。
全線単線で、典型的な片側輸送の非効率な路線。とりわけ先端部は、閑散路線そのものです。
博多湾鉄道汽船が前身の宮地岳線は、戦時統制により、西日本鉄道となったものですが、
軌間が1067mmであったがために福岡市内線に乗り入れができず、孤立した存在でした。
また傍系の悲しさで、西日本鉄道となってからは、車両も全て中古車で、宮地岳線向けの新車は只の一両もありません。

もっとも 1986年11月。貝塚まで福岡地下鉄2号線が開通。
軌間が同じの地下鉄へ相互乗り入れすることも話題に上ったようです。
しかし輸送力に差がありすぎることからか、実現には至らず、結局、乗客は乗り換えを強いられることになりました。
それでも、輸送人員を2.1万人/一日を3万人台へと延ばしたのです。
せっかくのチャンスを活かせなかったかと残念でなりません。

宮地岳線の不運は続きます。
JR鹿児島本線は、新駅を開業させ、快速の増発させるなど本気で宮地岳線に勝負を挑んできました。
宮地岳線は、フリークエンシーサービスでこれを迎え撃つものの、
高速道路が開通し、マイカー利用に拍車がかかります。
加えてその高速道路に、西鉄バスが乗り入れ、乗り換えなしで天神へのりいれるようになりました。
身内にまで裏切られたのが宮地岳線といえるでしょう。
でもそんな歴史に背を向け、健気に生き延びてきたのが、313系であると思うのです。

313系の生い立ちと台車の変遷

313系は、昭和27年3月に大牟田線用として4組8両が、近畿車輛で新製されました。
半鋼製、張り上げ屋根の18m級2ドアクロスシート車です。
西鉄宮地岳線 313系 モハ315 @KD-2→DT-12(国鉄TR-23タイプ) 1977年
急行としても活躍したことのある313系でしたが、
宮地岳線に転属させられることになりました。理由は二つ。
まずは、大牟田線の輸送力増強のため、5000系が増備されたためです。
そして、博多湾鉄道汽船時代の旧型電車が、
いよいよ取り替え時期を迎えたからです。
でも、1067mm線である宮地岳線
に、1435mm線用である313形をそのまま持ってくることは不可能です。
313系は、台車を履き替えることになりました。

参考文献である「私鉄の車両9 西日本鉄道」によると、
この際、台車はM車がDT−12(主電動機はMT-15C)に
T 車はTR-23に変更されたとあり、
これらは西武鉄道から調達されました。

左上の白黒写真が当時のものです。
残念ながら、この写真では、よくわかりませんが、
国鉄のオハ35系客車についているようなタイプの台車が取り付けられました。



西鉄宮地岳線 313系 モハ315ADT-12→DT-11(西鉄ではTR-22) 1985年
313系のあと、旧型車を一掃するため、
翌1978年、120系13両と300系4両が、大牟田線より転入してきました。
彼らも313系と同様、
その多くが西武の旧型車に使われていた台車に取り替えられました。
ただ、わずか1年後のこととはいいながら、
この時、西武から調達できた台車は、
DT-11(主電動機はMT-7)と変化していたのです。

さて、7年後の1985年。
昭和33年更新の車体をもつ120系改は、東急5000系の台車、
TS-301を譲り受け、新性能化されることになったのです。
そして、その時、はじき出されたDT-11を
313系に取り付けることになったのです。(写真左)
これによって、
宮地岳線の旧性能車の足回りを統一できることになりました。
今更こんな古い台車に取り替えなくてもという気もしますが、
博多湾鉄道汽船、大軌、そして国鉄と様々な経歴をもつ旧型車の、
それこそとてつもなく多種多様なメンテナンスを余儀なくされてきた現場の悩みは、幾分か解消されたと思われます。



西鉄宮地岳線 313系 モハ313BDT-11→FS342(国鉄DT-21タイプ) 1992年
1988年には、冷房化され、車体更新もなされた313系ですが、
台車はというとDT-11のままでした。(写真左)
しかし1992年ともなると、さすがに、もう限界だったのでしょう。
またもや台車を取り替えることになりました。
ところが、当時、適当な台車が見あたらなかったのです。
というのは、JRにせよ大手私鉄にせよ、ご用済みの車両は、おしなべて、
1C8M(一つの制御器で2両分8個のモーターを制御するもの)だったからです。
宮地岳線は、完全なネットダイヤの路線です。
突出したパワーを持つ電車は、必要ないのです。
でも仕方がありません。
またまた西武鉄道から、1C8Mの日立製HT-20A主制御器とともに、
FS342台車(モーターは日立製HS-836-Frb:120kw)を導入しました。
新性能化された313系の誕生です。

この時、ク363形は、電動車化され、モ363形となりました。
しかし、おもしろいことに、
台車の一つはT 台車のままとされ、
編成あたり6個のモータをもつ、1.5M:0.5Tの構成となりました。
今はJR西日本の223系にも0.5Mが、存在しますが、当時としては珍しいものです。

ちなみに300系では、唯一307編成が、新性能化されましたが、もともと3両編成だったので、2M1TでMMユニット化されました。

2007年4月1日。新宮-津屋崎間が廃止され貝塚線となった後は、600系の天下といったところです。
しかし、307編成のみが残る300系とともに、313系も313編成315編成が、今なお健在です。
300系や313系が、登場したのは昭和20年代です。半世紀以上生き延びてきたことになります。
大手私鉄に、いまなお、こんな車両がいるとは驚きです。
思い返せば、お荷物といわれた宮地岳線にあって、使えるものをとことん使い回す。
いや、そうせざるを得なかった事情があったからこそ、生き延びてこれたのだとも思われます。

とはいえ、中古車ばかりをあてがわれ、貝塚の工場
で、黙々と改造を続けてこられた現場の方々のご苦労は並大抵ではなかったと思われます。
でも、そんな努力と工夫の結果が、今なお現役で、313系が活躍しているという一つの奇跡を生んだのです。
まだしばらくは、活躍する姿が見られそうです。 
ガンバレ313系!ガンバレ貝塚線!

残念なことながら、307編成は2008.2.21に 313編成は2008.1.18に 廃車、解体されました。(2008/10/11追補)
−鉄道車両写真集−
宮地岳線 120系 300系 313系
宮地岳線 1形 10形 20形 600系 
      西日本鉄道 宮地岳線 車両諸元表

参考文献;鉄道ピクトリアル 「特集西日本鉄道(私鉄車両めぐり162)」No668
      「私鉄の車両9 西日本鉄道」保育社
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