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2013/9/29 UP |
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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>阿武隈急行 A417系
− 阿武隈急行 A417系 −A417系は2007年に阿武隈急行がJR東日本から購入した417系3連です。その417系はと申しますと、国鉄時代となる1978年にデビューした交直流近郊形電車です。 まずここから、お話を始めたいと思います。
日本国有鉄道 417系 近郊形交直流電車クモハ417(Mc)+モハ416(M')+クハ416(T'c)の3両編成が基本となる417系は、5編成 計15両が仙台運転所に配置されました。もともと客車列車が主体であった仙台地区の輸送改善を目的に製作されたものです。 しかし、仙台地区は交流電化区間です。なぜ交直流電車が投入されたのでしょう? 事実,,417系は、国鉄時代でさえ、営業運転で直流区間に入ったことはなく、交流それも50Hz区間しか走行したことがありません。 1987年のJR化時には、全車JR東日本に承継されましたが、以後も変わらず、仙台の地を離れることはありませんでした。 ずーっといらないものを抱えていた…。というなんとももったいない珍車なのです。 (ちなみに試運転はというと、日立製作所笠戸工場で製作されたこともあって、山陽本線や鹿児島本線で行われており、 交直切り替えや交流60Hz区間での走行も行われており、仙台まで自力回送されてきたいう記録が残されているそうです。) 調べてみると、50Hz、60Hzの交流区間に加え直流区間にも対応できる417系は、計画では秋田地区や金沢地区などにも配置され、 当時、数多く残っていた客車や気動車列車を置き換える予定だったそうです。 しかし、国鉄の財政難の影響を受け、計画は頓挫.。 もともと交直流電車であった急行用の455系や寝台特急用583系の近郊型改造による転用で置き換えがすすめられることになったのです。 というわけで、417系は、この第1陣15両で増備が打ち切られてしまいました。 そうそう417系の外観上のポイントはというと、雪切室です。 雪切室とは電動機などの床下機器を冷却する際に、取り込む冷気と一緒に吸い込んでしまう雪を 電動機などに入るのを防ぐための機器を備えたスペースです。 雪切室では送風機で空気を循環させるため車端部に空気採り入れ口(ルーバー)が装備されています。 ちなみに雪切室は、この417系の他に115系1000番台(1977年〜)にも採用されています。 ただ115系1000番台のそれはコンパクトで、417系ほど大きいものではありません。 なぜ417系に、大きなスペースが必要だったのでしょうか?。 私は、417系には、試作車としての要素が取り込まれていたのではないかと考えています。 雪切室は、後に登場する413系、717系へと受け継がれてゆきますが、コンパクトです。 115系1000番台のコンパクトさでも通用することを逆に証明したことになるのではないでしょうか。 また、デッキなしの片側2扉(両開き)構造とした417系の車体は、暖地向けキハ40系であるキハ47形(1977年〜)に類似しています。 多客時の混雑緩和を図るため、出入口付近はロングシート、中央部はクロスシートという座席配置になっているのですが、 これも後に登場する413系、713系、717系へと受け継がれていきました。 (413系:北陸地区向け471.473系の電装品流用交直流電車 1984年〜) (713系:九州地区向け新造交流電車 1983年〜) (717系:東北地区向け451.475系の電装品流用交流電車車 1985年〜(900番台を除く)) つまり、417系は、寒冷地を含め、全国の地方都市で活躍できる新しいタイプの近郊形電車を確立すべく 開発されたものではないかと考えられないでしょうか。 でも、なぜ仙台地区ローカルで使用するのに交直流電車が必要なのでしょう?。東北本線の交直流接続ポイントは黒磯駅。車上ではなく地上切り替え設備があるので、当駅で直流電車に乗り換えができます。つまり交流電車で十分です。 常磐線は走行中に車上で切り替えるシステムですが、その接続ポイントは、首都圏です。 特急列車ならいざ知らず、仙台ローカルの普通列車がそこまで出張することは考えられません。 その性能から考えると、JR西日本が北陸地区向けに使用するのが合理的と思えます。 もし、国鉄時代、417系が北陸地区に配属されていたとしら、おそらく今も現役で活躍していたことでしょう。 でも417系は仙台地区を離れることはありませんでした。 いらないものをたくさん抱え込んでしまった417系は、他形式との連結が出来ない特殊な設計になっていたため、 他形式との混結は行われず、少数派でもある417系は、運用面でも扱いにくい存在となってしまいました。 417系は、製造時、冷房準備車として登場しました。 その後、1988年からAU75冷房装置が取り付けられました。 これを機にJR東日本が、417系を交流電車に改造してもよかったのでは…と思いますが、そうはなりませんでした。 わたしには、これが不可解でなりません。 (1990年〜1991年にかけて東北色へ塗装の変更、さらにその後ドアスイッチの取り付けなどが行われました。) 結果として、417系は古参の455系等と共に2007年7月に運用を離脱してしまうことになります。 高価な交直流電車であるのにもかかわらず短命に終わった417系…。少し気の毒な気がします。 阿武隈急行へ…A417系しかし、活躍の場を選ばない417系は、交流電化路線という阿武隈急行に譲渡されました。阿武隈急行は、国鉄丸森線(槻木 - 丸森 (17.4km)間 1968年開業)を引き継いだ第三セクターの鉄道会社です。 非電化でスタートしましたが、1988年に福島 - 丸森 (37.5km) を延伸開業。 あわせて福島(矢野目信号場) - 槻木を電化(交流50Hz・20kV)しました。 自力で継承路線を交流電化した3セク会社は阿武隈急行のみです。 417系は2008年10月から、A417系として営業運転を開始しました。 現在は富野 - 福島間の平日朝夕ラッシュ時限定運用です。 県都、福島市に直結する阿武隈急行は、8100系×2=4連で、ラッシュ時対応してきました。 しかしワンマン対応でもある8100系は車端部に寄せられたドアは片開きとなっており、客さばきに難があります。 オール両開きでドアも中央部に寄せてあるA417系はラッシュ時にこそ その威力を発揮します。 阿武隈急行は本当にいいところに目をつけたと思います。 当然、この車体を活かすべく改造は最小限に抑えられています。 在来車である8100系に準じて編成を方向転換し、塗装へ変更した程度です。 でも、見た目は生まれ変わったかのように、若々しく感じられました。 阿武隈急行色が、ほんとによく似合っています。願わくば、末永く活躍して欲しいものです。
参考文献 鉄道ピクトリアル 鉄道車両年鑑 2009年版 2009年10月号 No825 JR 全車両ハンドブック 1999年版 ネコパブリッシング 8100系では、阿武隈急行を示す「A」に、電動車を示す「M」、附随車を示す「T」を組み合わせて、 AM8100形+AT8100形と形式を割り振っています。 ともに同じ8100番台ですが、福島寄りに奇数番号車、槻木寄りに偶数番号車がくるよう、付番されているので特に違和感はありません。、 しかしA417系は3両編成ですので、この原則が適用出来なくなってしまいました。 結果、M車にはハイフンがあるものの、T車には無かったりと、摩訶不思議な車番となっています。 そのくせ、形式は全てA417形で、M,Tの区別すらありません。 それだったら、A417系とする意味も無いのですが、阿武隈急行のHPでもA417系となっています。 私だったら AM417-AM416-AT415 とかにするがなあ… A417系使用の列車については、 阿武隈急行のHPを開き、時刻表(平日)で「富野 - 福島」間の区間列車「ワンマンでない列車」を狙ってみてください。 |
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