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  富山地方鉄道 モハ7541 架線検測車  2007.6.24UP
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富山地方鉄道 モハ7541 架線検測車 モハ7541 (架線検測車) 1936年 日本車輌 製
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
18M級
駆動方式 制御器(電圧) モーター(kw) ギア比
ツリカケ
1500V/DC
東芝製
56×4
ブレーキ 定員(座席) 冷房機 台車(製造)
なし DT-12タイプ
鉄道車両諸元表:−−−−
モハ7541 架線検測車 83.7.28 稲荷町車庫
 

地方鉄道にも存在した架線検測車−−富山地方鉄道モハ7541−−

 クモヤ93000という電車を御存知でしょうか。狭軌の電車として175km/hもの最高速度をマークした記念すべき電車です。
湘南形のマスクとともに天井に架線を観測するドームをつけたその姿は、まさに当時のハイテク電車の趣を醸し出していました。
 その昔、小学生だった私は、この電車を、城東貨物線で見つけ、親父のカメラで撮影しました。
しかし、よほど興奮していたのでしょう。悲しいかな。思いっきり手ブレしていてものになりませんでした。
 ひょっとしたらこの時の悔しさが、今の自分に大きな影響を与えているのかもしれません。
 さて、このクモヤ93000は、架線検測車という車両です。
以後国鉄では, クモヤ193、クモヤ443などという車両ができ、新幹線の、いわゆるドクターイエローにもこの機能を持つ電車が存在します。
私鉄にも、かつて東急にデヤ7290などというものがありましたが、大手の私鉄であっても架線検測車を所有しているところは極めて稀です。
しかし、いわゆる地方の私鉄にも、架線検測車が存在したのです。
特にモヤという名前は、付いていませんが、富山地方鉄道のモハ7541がそれです。
昭和55年までは、旅客車として活躍していました。彼の素性を訪ねてみると
旧富山電鉄のモハ500形で、昭和11年、日本車輌で製作されたものです。
18m車としては初のクロスシート車で、半流形の旧型国電を連想させます。
昭和18年に誕生した富山地方鉄道においてもエース的存在だった車両です。
 昭和55年の廃止以後も、何らかのカタチで残しておきたかった記念すべき車両だったともいえます。

富山地方鉄道 モハ7541 旅客車だった頃  モハ7541 旅客車だった頃 78.8.1 富山
 

昭和58年7月。

 稲荷町車庫で、彼と再会しました。というのも、昭和53年に彼が旅客車であった姿を撮影していたからです。
イメージは全然違っていましたが 架線検測車のシンボルである天井のドームにサーチライトがバッチリ決まっていて、
これはこれで、結構、かっこよかったのです。
塗装も旧塗装ではあるわけですが、それが逆に新鮮で、唯一残った4桁番号も富山地方鉄道の中では、むしろ異色でした。
 今でこそ5桁の番号を持つ電車も珍しくはありませんが、当時は、私鉄で5桁といえば南海の22000系か、近鉄の10100系程度のものでした。
南海や近鉄にしてもそうですが、1万両も車両を保有しているわけがありません。
路線別、車種別に番号を割り振っていったらこういう現象が起こったわけです。
 ところで富山地方鉄道ですが、それほどのバリエーションがあるわけがありません。
では何故5桁なのかと調べてみると、上位3桁は、モーター(電動機)の出力馬力数を表していたのです。
そして4桁目は形式、5桁目が車番となります。
ということは5桁もありながら、同一形式は最大10両しか割り当てがないということになります。
 でも案の定というか何というか。富山地方鉄道の代表選手とも言うべき14760系は14770番台が存在します。
そのくせ14780形というのが、別にいてそれがまた14760系の後にできた新型かと思いきや、そうではないのです。
 また電車には、モーターを持たない制御車(クハ)や付随車(サハ)も存在するのですが、
これについては1馬力なわけもないのですが、3桁でクハ171などと表されています。
 また形式を表すとされる下二桁目が、電動車と合致しているモハ14710形とクハ10形という例がある一方で、
そうでないのも結構あり、ますます訳がわかりません。
 しかしなにはともあれ、富山地方鉄道では、5桁の番号を電車が持つ電車が、普通なのです
ヨソの私鉄では、あたりまえの存在である4桁電車が、富山地方鉄道においては、
この架線検測車である7541だけ、という時期が結構長くあったように思います。 
モテ10001 88.11.12 稲荷町車庫富山地方鉄道 モテ10001 稲荷町車庫

昭和63年11月。

 5年ぶりに稲荷町車庫を訪ねてみると7541の姿はなく、かわりに見たこともない黒い電車が停まっていました。
車番は10001。「なんだこりゃ。」と思ってよくよく眺めてみると、
旧型国電改造の救援車のように車体前面に大きな扉らしきものが取り付けられ、
側面中央にも荷物電車のような大きな扉があります。そして天井を見ると架線観測用のドームが…。
 「おっ、これは7541ではないのか?」と思ってよーく見てみると、緩いRを持つ妻面に、わずかですが、国鉄103系のように内側に傾斜した窓。
そして何より7541の特徴である引き戸式の運転台扉が収まる戸袋窓が見られます。
 「間違いない。これは7541を改造したものなのだ。」
しかし確かめるすべがありません。何しろ7541は、80年8月廃車され、
以後車籍はなく架線検測車として存在したものの詳しいことは何もわからないのです。
そしてこのモテ10001についても、いつどのような改造がなされたのかということについて、何の情報もないのです。
(何か御存知の方。教えてください!!)
 ということで、これから述べることは推測にしか過ぎませんが、お付き合いください。

 架線検測車としてデビューした7541は、そうしょっちゅう仕事があるわけもなく、おそらく滅多に動くこともなかったのでしょう。
そこで、これでは勿体ないというわけで救援車としての機能を付加したのではないか。と思われるのです。
 連結器や、ブレーキパイプ(BP)が取り替えられたのは他の電車と連結して牽引することが求められたからでしょう。
そうなれば、75馬力モーターでは不十分。100馬力モーターに換装させられたのではないかと容易に想像されます。
そのため100馬力モーター車として10000番台が付与されたのではないかと思われるのです。
では、なぜ黒ずくめになってしまったのでしょう。これも憶測にしか過ぎませんが、
あまりにも種車のイメージを損ねてしまったからではないでしょうか。
特に正面に取り付けられた大型の扉らしきものは、何とも厚ぼったく感じられ不釣り合いです。
ここに従来の塗り分けを施すのは、やめておいた方が良いように思われます。
 それでなくともごちゃごちゃしてしまった分、7541当時のかっこよさは失われていました。
まして、かつてのエースをしのぶには、あまりにもかけ離れてしまったというべきでしょう。

97年8月。
 再び稲荷町を訪れたときには、モテ10001の姿はありませんでした。
もともと車令の高い車体でしたから、これも致し方ないことでしょう。
 いったいどれくらい、あの姿でいたのかはわかりませんが、救援車としてどれくらいお役に立てたのでしょうか。


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