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3回も集電装置を取り替えた電車 銚子電気鉄道 デハ300形 デハ301今や、シングルアームのパンタグラフが当たり前という時代になりましたが、私らの世代では、やはり電車には、菱形のパンタグラフが一番しっくりきます。 ところで、日本最古の電車といえば、明治28年に開業した京都電気鉄道(通称N電)ですが、 トロリーポールという集電装置を使っていました。 そういえば路面電車ではビューゲルっていうのもありました。 さて今回登場するのは銚子電気鉄道デハ301です。 写真を見ていただいておわかりのように、路面電車でもないのにビューゲルを装備しています。 それだけではありません。なんと過去には、トロリーポールを装備していた時代もあるのです。 とはいいながら、それは生まれながらのものはでなく、 製造当初は、現在と同じ、菱形のパンタグラフ(もちろんモノは違いますが…)だったというのですから、わけがわかりません。 ここは、一つ落ち着いて、彼の歴史を辿ってみることにしましょう。 @−鶴見臨港鉄道モハ100はパンタグラフを装備した本格的な通勤用電車。デハ301は買収国電と呼ばれています。買収国電とは、明治39年の鉄道国有法以後、 全国に鉄道網をもつことになった日本国有鉄道が、 採算がとれなくなった地方鉄道を救済するため、あるいは国策上の理由から、 地方の鉄道を買収した際、一緒に国鉄籍となった電車を指します。 例を挙げると、昭和11年買収の広浜鉄道や昭和19年買収の宮城電気鉄道などから国鉄に編入されたされた電車です。 当然、国鉄の規格外の電車であり、小型で出力も小さいモノが多かったっため、優先的に整理が進められました。 しかし、一方でもともと地方鉄道の出身であるという点で、小型、両運転台の仕様は再評価され、 地方の中小私鉄からは、結構、引き取り手があり、重宝がられたのです。 前述の広浜鉄道では8号機(国鉄モハ90005)が,昭和29年7月に熊本電気鉄道に譲渡され、モハ71形71となりました。 車籍はないものの今なお現存しています。 また宮城電気鉄道のクハ302は、昭和28年,高松琴平電気鉄道 220(→67)となり 廃車となったのは2003年12月のことですから、 ともに長生きしたものです。 そして銚子電気鉄道デハ301はというと、 昭和18年7月に戦時買収された鶴見臨港鉄道(現在の鶴見線に相当)のモハ100形で、 昭和5年に新潟鉄工で作られた105号機がそのルーツとなります。 その後、昭和15年にモハ110形モハ115に改番されました。 戦中戦後を通して、京浜工業地帯で働く人々の足として大活躍しました。 国鉄買収後も鶴見臨港鉄道の形式を引き継いだモハ110形モハ115でしたが、 昭和26年、鶴見線1500V昇圧を前に銚子電気鉄道に引き取られます。 A−銚子電気鉄道デハ301はポール電車としてデビュー昭和20年7月の銚子空襲により手痛いダメージを受けた銚子鉄道は、翌年6月より電車運転を再開しました。とはいえ焼失した仲の町変電所に導入された電動発電機は 蒲原鉄道村松変電所から転用された古典的な代物(125kw×2台)で、焼失前の300kwにも及びません。 その後、輸送量は激増したのですが、交換可能駅が一つしかない銚子電気鉄道(S23改称)は、施設を改良する余裕はなく、 大型車(といっても15m級ですが…)であるモハ115を導入することで、この局面を切り抜けようとしたのです。 しかし、そのまま56kw×4という強力な出力を誇るモハ115をそのまま導入するのには無理があります。 銚子電気鉄道は、出力を半分以下に落とし、制御器も旧式の路面電車ばりの直接制御にするという改造を日本鉄道自動車で行い、 昭和26年、導入にこぎ着けます。デハ301の誕生です。 この時集電装置も、他車にあわせ、ポール集電となりました。 ここまで、改造をしながらも車体は原形をとどめたのは、銚子電気鉄道に余裕がなかったからに他なりません。 B−千葉交通傘下の銚子電気鉄道が、ポール集電からビューゲル集電に一時は乗客数が伸びた銚子電気鉄道でしたが、昭和35年、平行してバス路線をもつ千葉交通の傘下に入ってしまいます。鉄道の近代化は、本業のバス事業をを脅かすものであると考える千葉交通は、銚子電気鉄道の廃止を再三持ち出すことになります。 地元の反対によってそれは成りませんでしたが、これが旧態然とした銚子電気鉄道の車両を維持することになった大きな理由です。 そんな時代の銚子電気鉄道が、車両の改善に手を加えたのは唯一、集電装置でした。 昭和41年、ポール集電をビューゲルに改めたのです。 改めたとはいっても、東京都電の廃止にあわせて大量に発生した再生品です。 ビューゲルは、ポールより後に登場する集電装置ですが、追随性の面でも見劣りがし、当時、もう旧式と言っていい装置です。 まあ、ポール集電よりは手間もかからず、ないよりはいいかということだったのでしょう。 C−内野屋工務店の傘下で、車両を近代化−パンタグラフを装備銚子電気鉄道は、平成2年に内野屋工務店という千葉県内有数のデベロッパーの支配下に置かれます。内野屋工務店が、銚子電気鉄道の救世主であったかどうかについては、別として、 駅施設の改良や車両の塗装変更など目に見える改革をしたのは事実です。 それどころか、路線の重軌条化を行いスピードアップ。ワンマン化もなされました。 そして、デハ301については、塗装変更に加え、集電装置もパンタグラフに改められたのです。 もっとも、直接制御は改められることなく、朝の3両運転では、デハ301と他の2両とにそれぞれ運転手が乗務するという状態が続いたのですが、 あの塗装はともかく、かつてのパンタグラフ付きの姿に戻ったわけです。 今現在、デハ301は、本線の営業に付くことはなくなったものの、唯一、車籍を有する買収国電として生き残っています。 もし、ビューゲルのままであったとしたら、補修部品が手に入らず、動かなくなってしまったということになったかもしれません。 鶴見臨港鉄道の忘れ形見といえば、もう一台、静岡鉄道のクモハ20がいました。 残念ながら、平成19年3月に解体されてしまい。とうとう銚子電気鉄道デハ301が最後となってしまいました。 ぬれ煎餅のお陰で、何とか命脈をつないでいる銚子電気鉄道ですが、 理由はどうあれ、貴重な車両が残されていることに拍手を送りたいと思います。
参考文献;「銚子電気鉄道車両史」白土貞夫氏−特集関東地方のローカル私鉄− 鉄道ピクトリアルNo620 1996.4 |
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