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2016/11/29 UP |
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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>江ノ島電鉄1000形 1200番台
-最後のツリカケ電車を新造したこだわり- 江ノ島電鉄1000形1200番台-江ノ島電鉄1000形は1979年、旧形車ばかりの江ノ電に48年ぶりの新車として登場しました。87年に登場した1502Fまで、8年間の間に6編成12両製造されています。 (正確にはMc1-Mc2 ともにデハ1000形) しかし一次車はツリカケ駆動の旧性能車で、デビュー当時は非冷房でした。 それが81年製の二次車1101Fでは冷房準備車に83年製の三次車1201Fは冷房車でデビューすることになり、 そして最終モデルとなる86年製の1501Fに至ってはカルダン駆動車と同一形式とは思えない進化を遂げることになるのです。 非冷房車も冷房化された今、ほぼ変わらぬ外見ではありますが、 同一形式でツリカケ駆動とカルダン駆動が混在するのは他に例を見ないのではないでしょうか。 もっとも、形式というものは鉄道会社が独自に決めるもので、 京成なんかは、先頭車から最後尾まで一編成丸ごとすべて モハ3500形 とかいうのもあります。 江ノ電においても、300形は在来車を連接車に改造したグループを指し、 第1編成から第6編成まで、これまた同一形式とは思えないほどバラエティーに富んでいます。 ですから1000形がバラエティーに富む形式であるという一点で珍車とするのは少し違うような気がするのです。 ということで1200番台です。 なにが珍しいのか。他の1000形と比較してみようと思います。 一次車である1000番台はツリカケ駆動であることは前述したとおりですが、 ワンハンドル式マスコンを採用し、ブレーキは電気指令式となり操作性が格段に進歩しています。 そして特筆すべきはやはり車体です。 ワイドな前面窓をもつスマートな1000形車体は従来の江ノ電のイメージを一新しました。 側窓を一段下降式とし、戸袋窓と連接部窓には熱線吸収ガラスを採用しました。 このことでカーテン等の日よけを省略し、内装に暖色系のカラーを採用したことと相まってアメニティが格段に向上しました。 しかし夏場は大変です。 二次車である1100番台は1000形とほとんど同型です。 1981年にラインデリアを装備した冷房準備車として落成しました。 翌年の1982年に冷房改造され江ノ電初の冷房車となったわけですが、少しでも冷房化を進めたい当時の事情が見て取れるようです。 そして三次車1200番台です。 江ノ電初の新造冷房車として1983年にデビューしました。 しかしながら、相も変わらずのツリカケ駆動の電車です。 新造でツリカケ電車というのはそうそうありません。 ちなみに1,067mm軌間の鉄道線では最後となる新造ツリカケ駆動電車となります。 その理由として、参考文献では カルダン駆動にするには江ノ島-腰越間の急カーブを曲がるため台車に必要な軸間距離が確保できない のが理由とありましたが、それだけではないと思います。 そういえば1957年製である西鉄福岡市内線用の1000形には中空軸カルダン駆動車が存在するのです。 なぜ、ここまでツリカケ駆動にこだわったのでしょう? 。 江ノ電では106形の登場以後48年間車両を新造することはありませんでした。 しかし、その間改造車でやりくりしてきたのです。 300形は、前述したとおり在来車を連接車に改造したグループで、 100形を連接車化したものに加え、都電150形(旧王子電気軌道)由来のものや、京王デハ2000形(初代)由来のものもあり、 同一形式とは思えないほどバラエティーに富んでいます。 加えて600形はもと東京急行電鉄デハ80形ですし、 800形はもと山梨交通モハ7形(同線の廃止に伴い上田丸子電鉄(後の上田交通)モハ2340形となる)です。 そして江ノ電の顔とも言うべき存在の500形も詰まるところは200形の部品を極力利用した改造車です。 これらそれぞれにクセのある車両を全長10kmとはいいながら変化に富む江ノ電の路線で相互に連結運転までさせてきたわけです。 それもあのタイトなネットダイヤ上で…。 運転手さんのみならず、保守に携わってきた方々にとっても、そこには現場にしかわからないご苦労があったに違いありません。 クセのあるじゃじゃ馬たちを飼い慣らし続けててきた分(失礼!)、 ツリカケ電車に対する技術力と愛情は誰にも負けないだけのものをお持ちであったのではないかと私は思うのです。 それが1000形をツリカケ駆動で誕生させた理由ではないかと思っています。 そして3次形がツリカケ駆動で製造されたその理由です。 それは2編成を連結して4両編成を組むことを強く意識したためではないでしょうか。 一時は乗客減のために存続まで危ぶまれた江ノ電でしたが、 業績が上向き始め、特に夏休みやGWなどの観光シーズンには、ほぼ終日 満員というような状態になってきたのです。 全線単線であり、これ以上列車本数を増やせない江ノ電では、ほぼ終日12分ヘッドで列車を運行しています。 4両編成でなければとうてい捌ききれません。 大混雑の江ノ電に乗り合わせたことがあります。 乗降時に時間がとられ駅員さんは言うに及ばず、運転手さんも殺気だった表情でハンドル操作されていたのを覚えています。 こっちが遅れれば対向列車もそのたび巻き添えを食らうのです。 高性能かつ収容人員も多い1000形は切り札的存在です。 1次形は2編成ありますが、2次形は1編成です。 性能が大きく違う300形と連結運転するのは得策ではありません。 だからといって虎の子の1000形を1編成遊ばせるなんてことはできません。 1000形をフル回転させるためにもツリカケ駆動の1000形をもう一編成用意することは、意味のあることだったのです。 (ちなみに300形のうち1998年以降、近代化更新工事を施工されたものについては主制御器を1500形以降のものに交換、 ブレーキも電気指令式(HRD-1)に取り替え、1000形以降の車両と連結運転が可能になっています。) さて、3年後、1986年に登場する四次車1500番台はカルダン駆動で登場することになるのですが、 旧1000形との連結運転も充分考慮されて製造されたと思われます。 それでも翌年に2編成目が誕生しています。 それは48年の沈黙を破って、1000形1次車が2編成たてつづけに製造されたことと通じるものがあると思われるのです。 参考文献:「特集 関東地方のローカル私鉄」鉄道ピクトリアル:1983年6月号 No418 :鉄道ピクトリアル 新車年鑑1984年版 1987年版 |
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