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2008.6.29UP | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
J鉄局TOP>珍車ギャラリー>富士急行5700系 モハ5701
悲運のロマンスカー 富士急行5701系 5701 (もと小田急デハ2300形)かつて富士急行には5700系という電車が存在しました。写真をご覧ください。塗装こそ違いますが、小田急ファンでなくとも多くの人は、 「これは小田急の古いやつだな」 とお気づきになられるものと思います。 しかし、モハ5700形という電車は、もとはといえば小田急の2200形、2230形、2300形、2320形という4通りの電車であり、 多種多様なバリエーションがあります。まさしく5700系というべき存在です。 鉄道会社が、あらたに車両を導入する場合、同一形式で揃えられるものなら揃えたいというところでしょう。 小田急の2200形が、大量に廃車された(14両)のは、昭和58年。 前年の57年に富士急行は2211と2212を譲り受けていますから、 この時すべての2200形を譲り受けますと、5700形の在籍数16両をすべてまかなうことができます。 でも、富士急行は、2200形からの派生形式である、2230形、2300形、2320形を含め、すべてのバリエーションを取りそろえることになります。 なぜでしょう。社内に小田急ファンがいて、かつてのロマンスカーであった2300形や準特急用の2320形という珍車を引き取りたかった。 というのも、理由の一つに挙げることができるかもしれません。 しかし、実際はもっと現実的なもののようです。 2300形と2320形は、2200形の足回りをベースにしているとはいえ、前述のようにかつては、ロマンスカーや準特急用の特別仕様車です。 特に2300形は、乗務員扉のすぐ後ろから窓がずらり、クロスシートごとに割り当てられており、まさしくロマンスカーです。 しかし悲しいかな、2300形が登場した昭和30年には、日本の鉄道界に燦然と輝く名車、3000系SE車の開発が進められていました。 2300形は、ツリカケ特急1700形の後を受けながらも、SE車の登場までの一時しのぎという、運命を背負って登場したのです。 そんなわけで、2年後の昭和32年7月にSE車が登場して以来、わずか2年後の昭和34年。 SE車第4編成のデビューとともに準特急用の特別仕様車(両開き2ドアのセミクロスシート車)に改造。格下げされてしまいました。 つまりロマンスカーでいられたのはたったの4年でした。2300形の不運は続きます。 SE車の人気はうなぎ登り、特急の需要に拍車をかけ、小田急は新型特急 3100系NSEを登場させました。 そして昭和38年。NSE3100系第4編成の増備に併せて、準特急は、特急へと発展的解消を遂げてしまったのです。 結果、セミクロスシート仕様の2300形は僚機の2320形とともに、 通勤仕様(3ドアロングシート)である2200形にあわせて、またもや改造されることになるのです。 4両編成のユニットであった2300形、2320形は2両固定の2200形にあわせるため、中間車に運転台を取り付けました。
というわけで、2200形化された2300形.2320形ですが、 クロスシートごとに割り当てられた小窓を引き継いだ2300形は、ドア間の窓が4つ。 2320形に至ってはセミクロスシート車時代に2サイズの窓をもっていたことから、大小大と3つの窓が並んでいます。 ドアの位置もわずかですが、ずれており、彼らは異端車として一足早く小田急からお暇を出されることになります。 でも、考えようによっては、彼らは、昭和38年に今のスタイルへと改められたわけで、 この時車体は、外観もさることながら内装も一新されたのです。 導入する富士急行にとっては、少しでも状態のよいボディを手に入れたいわけで、 むしろ歓迎すべきことだったといえるのではないでしょうか。 とはいえ、足回りは少々古い…。 いやいや、導入当初、直角カルダン駆動とWN駆動が混在していた5700系でしたが、早々とWN駆動に統一されています。 というのも、昭和59年に富士急行は、小田急2220系10両と2320系2両を譲り受けているのですが、 うち5700系に仲間入りしたのは6両で、残りの6両は部品取りに回されたのです。 これら6両はすべてWN駆動のFS316を装備していました。 これを転用することで、直角カルダン車を一掃したのです。 つまり富士急行は、小田急の廃車スケジュールにあわせて、上手に車両を取り込んでいたのです。
ようやく、安住の地を見つけたかに見えた5701でしたが、 富士急行での活躍もそう長くはなく、 5701は、導入後11年目の平成5年に。5700系も平成9年にすべて姿を消してしまいました。 彼らが小田急を追われた理由。つまり冷房装置をもたなかったのが、その大きな理由でした。 「元京王の冷房車が登場するまでのつなぎだったのか。」 と考えると哀れな気がしてなりません。 思えば、東武の57系は、最後までその姿を大きく変えることもなく長生きし、 生涯、東武の車両として、それも優等列車としての使命を全うしたのです。 運命のいたずらとはいえ、何という違いでしょう。
参考文献;鉄道ピクトリアル 小田急電鉄特集 「悲運のエース2300形ロマンスカー回顧」 山岸庸次郎氏 No405 1982.6 「特集甲信越東海地方の私鉄」No431 1984.4 |
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