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2013/04/07 UP | ||||||||||||
J鉄局TOP>珍車ギャラリー>福井鉄道 610形 610-610
−−隣り合わせの610号− 福井鉄道 610形 610-610鉄道車両には1台1台番号が付いています。識別するのが目的ですから、同じ番号は普通付けたりはしません。 まあ例外もあります。例えばオハ25 551は、 TWE用サロンデュノール(JR西日本 現存)と北斗星用全室ロビーカー(JR東日本 2008年廃車)で重複していました。 しかし、これとて別会社です。 ところが、同じ会社で、それも30両ほどしか車両を保有していないローカル私鉄で同じ番号が共存している例があるのです。 それも隣り合わせの固定編成で! これが、今回ご紹介する福井鉄道610形です。 もっとも、右上の編成表に示したように形式が違います。モハ610形とクハ610形です。 しかし、車体には双方「610」とでっかく表記されているのです。 なぜこんなことになったのでしょう。 まずは、彼らのルーツを温ねてみることにしましょう。 610形は600形とともに、名古屋市営地下鉄名城線1100系をベースに改造された車両です。 1997〜99年にかけて福井鉄道にやってきました。 譲渡された車両は6両,全て先頭車です。 ちなみに地下鉄名城線の集電方式はサードレール方式です。 集電靴のままでは具合が悪いので、集電装置は豊橋鉄道1900形のパンタグラフに取り替えました。 レールの幅も違います。台車も1900系のものを再利用しています。(ちなみにこの台車,元国鉄101系のDT21台車です。) またクーラーも1900系からの流用です。 たまたま豊橋鉄道の昇圧によりお払い箱になった1900系があればこその600形だったように思います。 もっとも1900系ばかりではありません。 福井鉄道160形のワンマン機器、ATS、排障器なども再利用されました。 なお6両のうち,1111・1112,1201・1202の4両は運転台部分を残して車体を分割、 2両分の運転台同士を合わせ両運転台車にするという大改造が行われました。これらは600形となります。 610形は、1203・1204の2両をそのままの形で利用しました。 といいたいところですが、3ドア車だった側扉の中間扉を埋め て2ドア車としています。(600形も) これらの大改造は名鉄住商工場岐阜工場(名鉄岐阜工場)で行われました。 さて福井鉄道は福井市内と越前市の越前武生駅(もと武生新)間を結ぶ全長21.4kmの路線をもつローカル私鉄です。 と簡単に言ってのけることができない個性的な鉄道です。 それというのも鉄道線と道路との併用軌道である軌道線から成っており、 鉄道線の車両が軌道線に直通するカタチで運行されているのです。 ですから、地下鉄車両であった610形は、路面電車として福井市内の道路上を走っていると言うことです。 これだけでも、十分珍車としての資格を有しているといえるでしょう。 とはいえ、このことと番号重複とは何の関係もありません。 ポイントは2両編成であるということです。 福井鉄道では、名鉄から大量に低床車を導入した2006年以降、車両のLRT(路面電車)化を実施し、 連接車(2連)である880形、770形を主力に据え運行していますが、 その以前からオリジナル車である200形連接車をはじめ2連、正確に言えば2車体で運行するのが原則だったのです。 常にペアで使用するわけですから、編成毎に管理する方も別に番号を分ける必要はないのです。 このことから、福井鉄道では独自の番号割り振りがなされています。 オリジナル車である200形は、 201-1+201-2 と武生よりにハイフン1を、田原町よりにはハイフン2を割り振っています。 2連ではありますが、京成3000形などにも見られるスタイルです。 さて、それなら610形は 610-1+610-2 にすれば何の問題もないですよね。 しかし、福井鉄道にはもう一つの流儀があるのです。 200形はMc+Mcの編成です。しかし610形はMc+Tcの編成です。 この場合は動力系がMcに集中するわけでハイフンをつけて区別する必要はないという発想をするのです。 というわけで同じ番号でいいのです! この流儀は610形に限ったことではありません。 旧型電車である80形や、20形もモハ、クハ問わず同じ番号が割り振られていました。 (同じ例は、栗原電鉄(95年4月 くりはら田園鉄道に転換、 2007年4月廃止)にも見られます。) つまり、往古より、受け継がれてきた伝統に従ったまでのことです。 担当者のうっかりミスではないと断言しておきましょう。 とはいえ、大きく表記された番号にそっとちっちゃく モ ク と書かれているのはご愛敬ですね。 参考 120形の場合 、 武生方の121・122-1は、福井鉄道の旧120形(1950年製)で、 福井方の121・122-2は、もと名古屋鉄道モ3000形(元三河鉄道301形1929年製)であったモハ150形(1966年転入、南越線用)でした。 さて彼らが1972年に固定編成を組んだ時、 モハ150形は電装解除(あわせて片運転台化)されたので、ハイフンをつけて区別する必要がありませんでした。 1972年 120形に電装解除した150形を組み合わせ固定編成化 →モハ121+クハ121 モハ122+クハ122 ハイフン付きになったのは、1982年にクハ121.122を電装した時です。さすがに モハ122+モハ122 というわけにはまいりません。 1982年 クハを電装、改番 →モハ121-1+モハ121-2 モハ122-1+モハ122-2 1997年には、残存していた122Fがカルダン駆動化されます。(*121Fについては1992年に運用離脱) その際、モハ122-2は電装解除されたので、再度ハイフンが外されます。 1997年 モハ122-1をカルダン駆動化、モハ122-2の電装を解除、改番。 →モハ122+クハ122 参考文献 鉄道ピクトリアル 新車年鑑 1998、1999年版 No660.676
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