2012/11/29 UP | ||||||||||||||
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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>北越急行 681系2000番台
−第3セクターの鉄道会社が保有する特急電車−北越急行 681系2000番台は1996年に特急「はくたか」の専用車両として北越急行がオーダーした車両です。 681系といえばJR西日本の特急「サンダーバード」用車輌です。 JR西日本も「はくたか」用に0番台T編成・W編成を用意しました。 北越急行の681系も基本的にはこれと変わるところはありません。 車両の管理もJR西日本に委託しており、金沢総合車両所の681系「はくたか」用の編成と共通運用で運用されています。 ただ異なるのはフロスティホワイトのボディに、クリムゾンレッドとアクアブルーのラインが入れられ、 Snow Rabbit Expressのロゴステッカーが貼り付けられたことでしょうか。 しかし、特急電車を保有している第3セクターの鉄道会社は、北越急行だけです。 JRと相互乗り入れすることで、特急用車輌を保有する第3セクターの鉄道会社は、北越急行以外に、 智頭急行、土佐くろしお鉄道、北近畿タンゴ鉄道があります。 でも、これらは全て気動車なのです。 電車特急というだけではありません。 北越急行の681系2000番台は683系8000番台とともに、在来線最速の160km/h運転をするのです。 北越急行とはどのような鉄道なのでしょう。 北越北線が北越急行になったわけ北越急行は、1980年の国鉄再建法により工事が凍結されていた北越北線が元になっています。会社は1984年に 設立されたものの 「ほくほく線」六日町 - 犀潟間が開業したのは1997年3月。 なんと10年余りの歳月がかかっています。 このように長い期間を経ることになったのは、 645 mの未掘削区間が残されていた鍋立山トンネルが予想外の難工事だったからです。 このわずかな区間に、実に29の工法が駆使されたそうです。 そこまでして建設が続けられたのには理由があります。 1988年、北越北線を高速化して スーパー特急を走らせる計画が運輸省から打ち出されたからです。 当時、整備新幹線問題の関係で北陸新幹線の建設に見通しが立たなかった ということが背景がありました。 そうなれば、北越北線と上越新幹線を越後湯沢駅で乗り継ぐこのルートこそが、 富山県・石川県と首都圏を鉄道で移動する最も短時間な方法となるのです。 翌1989年に高速化に伴う工事実施計画の変更が申請され、高速化事業が動き出しました。 これにより、JRと直通の特急列車を走らせることになりました。 在来線では、日本一速い最高速度160 km/hで運転される特急「はくたか」が登場することになったのはこういうわけです。 さて、JR西日本の681系と北越急行の681系の違いは、車体の塗装ぐらいのものといってしまいましたが、 忘れてはならないことがあります。 それは2000番台の製造を担当した鉄道車両会社です。 N01編成が川崎重工、N02編成が新潟鐵工所、N11とN12は近畿車輛となっているのですが、 ここに新潟鐵工所が顔を出していることに注目していただきたいのです。 唯一の「新潟鐵工所」製 特急電車 −681系2000番台 N2編成−新潟鐵工所は、1910年に設立(日本石油株式会社より分離独立)した名門企業です。本社は東京ですが、そのルーツは新潟にあり、また生産拠点も新潟です。 1919年には日本初の船舶用ディーゼルエンジンを開発、その技術を活かして ディーゼル列車やブルートレインなどの鉄道車両の製造も行っていました。 鉄道ピクトリアル 652号 1998年4月号の裏表紙は「新潟鐵工所」の広告となっています。 ロータリー除雪自動車やディーゼルエンジンなどの製品写真が並べられたその中央には 一回り大きい写真で北越急行の681系がでーんと掲載され、その存在が誇示されています。 在来線最速の電車を製造するその技術力を示し、 ディーゼルのみならず電車の製造でも活路を見いだそうとされたのだと思います。 北越急行は、そんな地元企業を支援すべく「新潟鐵工所」に車輌をオーダーしたのです。 しかし、成熟した産業である鉄道車両業界の競争はすでに熾烈を極めており、 独自の技術で生き残りをかけてきた日立や川重や東急、日車そして近車など、 新幹線車両製造メーカーの隙間に「新潟鐵工所」が入ることはできませんでした。 得意とされるディーゼルエンジンも、新味に乏しく、 カミンズ社など外国メーカーにシェアを奪われている有様ではどうしようもありません。 国鉄とのおつきあいでDMH17系エンジンを延々と作り続けていればよかった時代はとうに終わっていたのです。 発電用エンジン+バッテリー+モーターといった今注目のハイブリッド技術を早くから手がけていれば、 生き残る道はあったのではないかとも思うのですが、 それは得意とするトルクコンバータ技術の否定ともなるわけで…。 世の中うまくいかないものです。 鉄道車両部門だけが原因でないのはもちろんですが、 新潟鐵工所は2001年に会社更生法の適用を申請して経営破たんしてしまいました。 そして、唯一の「新潟トランシス」製特急電車 −683系8000番台 N3編成−鉄道事業は、新たに「新潟トランシス」として再出発することになりました。さらに富士重工業が鉄道車両事業から撤退した為、これも引き継ぎ、 気動車では全国シェアの約8割を占め、とりわけ第三セクター鉄道向け軽快気動車では独占状態です。 とはいえビジネスとしては小さいものといわざるを得ません。 再起を期して、新潟トランシスは、北越急行 683系8000番台を受注しました。 しかし、アルミ車体となった本体を、独自に製作できない新潟トランシスは、これを川崎重工とコラボで作り上げました。 何もそこまで無理をして電車を製造する必要はないとお思いの向きもあろうかと思います。 しかし、 ぎりぎりのところで生き残りを模索するローカル線再生のノウハウを車両面で一手に担う「新潟トランシス」は、 発展途上国といわれる国々の鉄道を活性化させる大きな鍵を握っていると思われます。 地道に、経済的かつ安全で効率のよいシステムを提案してゆけば、 それはきっと地球に優しいシステムとして、世界が注目するに違いありません。 そのとき、新潟鐵工所の血を受け継いだ新潟トランシスが、その気になれば、高速用電車を作り出せる実績を示せることは 大きな意味を持つのではないでしょうか。 681系2000番台と683系8000番台は、その技術力の証人ともいうべき存在です。 春を待つ野ウサギ(Snow Rabbit)たちは、「新潟トランシス」の再起を夢見て今日も山野を駆け巡っていることでしょう。 参考文献 鉄道ピクトリアル 新車年鑑 1997年版 No644 鉄道ピクトリアル 新車年鑑 2005年版 No767
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