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2006.10.15UP | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
J鉄局TOP>珍車ギャラリー>伊予鉄道 303-502-304![]()
* モハ304 横河原駅 伊予鉄に今なお残る珍車たち生きている電車博物館と呼ばれる琴電も、いよいよイベント用に旧型車を残すのみとなりました。同じく四国の私鉄である伊予鉄道(鉄道線)は、一足早く90年代半ばには 800型(元京王2010形)700型(元京王5000形)の天下となり、近代化がなされましたが、 それ以前は、伊予鉄も琴電に負けないくらい珍車たちを多く保有していたのです。 ただ、その多くが18m級の3扉車で、正面は非貫通の3枚窓、張り上げ屋根の車体もありましたが変化に乏しく、 個性が表面に出ていない分、琴電ほどには目立ってはいなかっただけです。 そして今なお、1編成(3両)だけですが、とんでもない珍車が、それもイベント用ではなく現役で活躍しているのです。 今回は、そんな彼らを紹介したいと思います。 まずはモハ300形です。彼らは郡中線が電化された昭和25年に日立製作所で製造されました。 伊予鉄の歴史は明治20年に高浜線が開通したことからスタートしますが、 郡中線はそれから9年遅れで南予鉄道として開業しています。ともにSLが牽引するナローゲージの軽便線でした。 その後、高浜線が、国鉄の松山延長(昭和2年)に対抗し、電化改軌(昭和6年)されたのに対し、 郡中線は、国鉄の南郡中(今の伊予市駅)延長(昭和5年)から、7年遅れで、改軌がなされ 電化されたのは、前述したように昭和25年と、近代化が大幅に遅れています。 伊予鉄の郡中港駅は、伊予市駅のすぐ目の前にあり高浜線より、よほど競合しているように見えるのですが、 それほど需要がなかったということでしょう。モハ300形も14m級の小型車としてデビューしています。 しかし昭和36年には、乗客増にあわせ、古町にある自社工場で5m分車体を延長して19m級の3扉車となったのです。 このように5mも車体をストレッチした例を、私はこの他に聞いたことがありません。 昭和52年 303.304は、新性能化(WN駆動、エアサス台車)されます。そして運転台も2ハンドルマスコンとなりました。 半鋼製の車体のまま、足回りと共に近代化したわけで、なんともアンバランスなんですが、 いかにも自作という感じがしてアマチュア無線家である私にはなんとも好ましく感じられるのです。 301.302も昭和60年に小田急2200形の台車、機器を流用して新性能化されます。 しかし、残念ながら、こちらは平成元年に、廃止されてしまいました。 以後、17年の歳月が過ぎたわけですが、303.304は健在です。 自前の技術力の証として、伊予鉄のアイデンティティーを示しているように 私には見えます。 ![]()
サハ502 横河原駅 次はサハ502です。元東急のサハ3350で昭和46年、一旦上田交通に譲渡されたのち転入してきました。 昭和11年、東京横浜電鉄が国鉄より払い下げをうけた車両を鋼体化したことで当時サハ1形と呼ばれたサハ3350ですが、 なんとその台枠は、大正13年製、旧鉄道院の木造電車、いわゆる「院電」のものだったのです。 転入以来、300形に組み込まれていたサハ500形ですが、 昭和52年300形の新性能化にともない、同タイプのエアサス台車とともに電気指令式ブレーキが取り付けられました。 そんなわけで、その姿からは大正時代のカケラも感じられませんが、 このようなものが現役で使われていること自体、奇跡と申し上げるべきでしょう。 JR東日本では、E233系が京浜東北線にも導入されることとなり、209系(試作車)が廃止対象になると聞きました。 平成3年製造です。「寿命半分のコンセプト」を持つ車両とはいえ勿体ないという気がしてなりません。 ![]() モハ303他3連 横河原駅
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