鉄道写真管理局 珍車ギャラリー 国鉄 オハフ33_1011 2005.11.2UP  
  05.11.4追補
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 J鉄局TOP珍車ギャラリー>国鉄 オハフ33-1011 東田子の浦事故 復旧車
国鉄 オハフ33_1011国鉄 オハフ33_1517
   オハフ33_1011   和田山駅      1985.3.1          オハフ33_1517  大阪駅           1983
    台車はTR34に振り返られていました。


*東田子の浦事故とその復旧車

 1955年(S30)5.17 am2:19 京都発東京行きの修学旅行専用列車は、
東田子の浦−原間の踏切で米軍の大型トレーラーと衝突しました。
トレーラーにはガソリンとペンキが積載されていたため、火災が発生。
修学旅行生ら837名の生命が危機にさらされました。
しかし深夜にもかかわらず、乗務員の適切な処置、そして沿線住民の方々の協力により、
数名のけが人は出たものの、死亡者は0と、幸いなことに事なきを得たのです。
 とはいえ当時の惨状を見れば、これは奇跡と言っても差し支えないでしょう。
切り離された後部6両はさておき前部の5両は火災に巻き込まれ、
とりわけ3両目のスハ32 266は天井が焼け落ち、台枠は垂れ下がって
骨組みだけとなるほど無惨な姿となったのです。

 さて今回の珍車は、このスハ32_266を復旧したという過去をもつオハフ33 1011です。
S40年高砂工場にて車掌室を取り付け緩急車改造がなされたのでオハフとなっていますが、
名古屋工場で、復旧した当時はオハ35 1314 を名乗っていました。
ちなみに1314はオハ35のラストナンバーです。

被害にあったスハ32 266はS12年に日車で落成した狭幅の窓を持つ客車でした。
復旧にあたっては広窓となり、ガラッとイメージが変わってしまいます。
完全切妻で鋼板屋根のその姿はスハ43といっても差し支えない形態です。
ただTR23台車であった事などから重量区分が変わり、
もう生産を終了していたオハ35のラストに追加されたというわけです。
 
参考文献には事故当時の写真が載せられていているのですが、
これだけひどいのをよく復旧できたなあと思うと同時に事故の原因がもし、
在日米軍でなかったらそのまま廃車となる運命をたどっていたのではないかとも思われるのです。
ちなみにこれらの車両が復旧したのは10ヶ月後、同じ年度の3月末のことでした。

 なかでもほとんど新車といってよい車体となったオハフ33 1011と1517は
他の復旧車と比べても長生きしたといえるでしょう。私でさえ、写真を撮ることができました。

 しかし、前述したような過去をもつ珍車だと知ったのは撮影した後、参考文献を読んでからのことでした。
 
事故当時 復旧時(S31.3) 緩急車改造 廃車
1 スハフ32_257 全焼 オハフ33_627 S61.3
S12.8大阪鉄工 小倉工 米ヨナ
2 スハ42_63 全焼 S54.1
S24.3 日車 小倉工 大ムコ
3 スハ32_266 全焼 オハ35_1314 オハフ33_1011 S61.3
S12.1 日車 名古屋工 S40.3高砂工 福フチ
4 オハ35_923 全焼 オハフ33_1517 S62.2
S22.5 日車 小倉工 S39.11高砂工 福フチ
5 オハ35_342 半焼 S54.12
S16.8 帝国 小倉工 福フチ
6 オハ35_1108 一部焼損
*6号車以下、6両は切り離され、被害が少なかったので省略しました

*オハ33_1000番台  1001〜1011   オハ35の緩急車改造 TR23台車のグループ。
                          1011、1010(オハ35_732改)のみ丸妻ではない
*オハ33_1500番台  1501〜1567   オハ35の緩急車改造 TR34台車のグループ。  
                          1501のみ丸妻。

参考文献;「東田子の浦事故とその復旧車」 小野田 滋氏 1986.2 鉄道ピクトリアル No459
国鉄 オハフ33_627
オハフ33_627    倉吉             1985.3.1
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