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−国鉄 キユ25形−郵政省所有の気動車−
オユ10とかキハユニ17とかいう言葉に懐かしさを感じておられるお方は、古くからの鉄チャンに相違ありますまい。 日本でもかつては郵便車が走っており、車両形式には郵便の頭文字の「ユ」が付いていました。 鉄道郵便の起源は、鉄道開業初期にまでさかのぼるといわれていますが、 明治中期には、専用の車両が作られ、車内で郵便物の仕分けなどを行うようになりました。 移動する時間を利用して少しでも早く郵便物を届けようという発想です。 もっとも、郵便車のすべてがそうだというわけではありません。 鉄道郵便には主に3つの種別がありました。 取扱便:職員が郵便車内で郵便物を区分けし集配最寄駅で郵袋を積み下ろしするもの 護送便:職員は乗務するが区分け作業を行わず集配最寄駅で郵袋を積み下ろしするもの 締切便:職員は乗務せず、施錠したまま郵袋を運ぶもの。 鉄道郵便は、1970年代まで、国内の郵便輸送の主役的存在で、幹線や亜幹線に郵便車を連結した列車が多数運行されていました。 しかし、以後、高速道路網の発達に伴ってトラック便が増加、シェアを奪われ、1984年1月を以て取扱便は休止、 1986年9月には、護送便・締切便も休止となってしまいます。 哀しいかな郵便車は廃車され、鉄道による郵便輸送はJRに引き継がれることなく、その幕を閉じました。 郵便輸送は、荷物列車と同じ扱いだったため、荷物車とともに組成された郵便車が多く運行されていました。 また、一般の旅客列車に連結されていることもありました。 さて、このように郵便車は客車タイプが多かったのですが、クモユ141形などの動力車も存在しました。 そして気動車としては唯一の全室郵便車となるのがキユ25形でなのす。 製造はすべて新潟鐵工所。車体の構造は、母体となるキハ58形のそれを引き継ぎ 1964年製の1・2は長大編成対応車、1971年製の3・4はモデルチェンジ車に相当します。 ただし、ここで注目すべきは冷房装置です。 新製時から冷房装置を搭載していました。 (AU13形分散式冷房装置×4基と自車給電用のディーゼル発電装置を搭載)。 キハ58系は製造初年が1960年となりますが、 キハ58形にあっては、モデルチェンジ車である1100番台でさえ冷房装置は搭載されず、冷房準備車としてデビューしています。 グリーン車であるキロ28でさえ、当初は非冷房車で、冷房装置付きで新製されたのは、139号から… すなわち1964年製のキユ25形と同じです。 1960年代以降、新製車については、郵政職員の労働作業環境改善のため冷房付で製造されるようになったからですが、 一般の乗客からすれば納得がゆかないところだったかもしれませんね。 でも考えてもみてください。 窓も開けることのできない密室で、猛暑の中、作業をされていたのです。今なら人権問題になったかもしれません。 キハ58系の1エンジン車であるキハ28形は冷房化に際して冷房用の電源エンジンを搭載し、電源を他車(キハ58)へ供給します。 しかし、キユ25形では受電の相手となる冷房車が存在しなかったことから、独立した電源供給体制となっていました。 初期車である キユ25-1・2は長大編成対応車グループに属しますが、 屋根の高さがモデルチェンジ車グループ後期車(3・4)と同様に低くなっているのが特徴です。 今回、参考文献として、まず手に取ったのは、鉄道ピクトリアル No478号「特集 キハ58系(1987.4)」です。 マニア好みの詳細な記述に加え、車歴表(1985年現在)までも完備し、貴重な画像が形式集に多く掲載された労作です。 しかし、なんということでしょう。キユ25形の存在がどこにも見られないのです。 それは、キユ25形が、キハユニ17形などの合造車と違って、専用の郵便車であったからと思われます。 専用車の場合、車籍は日本国有鉄道ですが、所有者は郵政省なのです。(戦前は逓信省) キユ25形は全車が高松運転所に配置され、四国地区で活躍しました。 しかし、鉄道郵便業務の廃止にともない1986年6月に全車廃車されました。 後期車に至っては、わずか15年の命でした。
参考文献 鉄道ピクトリアル No475号「特集 鉄道郵便(1987.2) 鉄道ピクトリアル No478号「特集 キハ58系(1987.4) 鉄道ファン No489号「特集 キハ58系一族(2002.1) |
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