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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>日本国有鉄道 オハ35系 スハ40
−「オハ」 と「スハ」 との境界線−スハ40形はいわゆる旧型客車ですが13両しか製造されていませんので、スハ40といってもピンと来る方は、そうはいらっしゃらないと思います。 ところで、スハ40のデビューは1963年です。 思えば新幹線0系と同時期に旧型客車の新形式が登場したというのは、ちょっと驚きです。 加えていえばスハ40は35系客車の一員と位置づけられます。これはいったい何者なのか? 少し長くなるかもしれませんが、35系客車についてまずお話しします。 2000両近い一大勢力である35系客車の全容がつかめれば、スハ40 が何者なのかもおわかりいただけると思うからです。 35系客車は昭和13年に登場し、戦中、戦後にかけて2000両近く製造された国鉄の代表的な客車群の通称です。 その中でも代表格となるのがオハ35形です。 旧称号スハ33650としてデビューした初期のオハ35形は戦中派とはいえ、しっかりとした造りの丸屋根車両で、 ウインドシルにズラリと並ぶリベットも重厚なイメージを感じさせます。 さて、そのオハ35形は戦後、S21年製の700番以降、丸屋根が、切妻となりました。 またウインドシルのリベットもなくなりすっきりしています。 製作上の合理化を図ったためですが、特に車端部のイメージが大きく変わりました。外見だけではありません。 台車もTR-23から円錐コロ軸受けのTR-34に変更され、私なんかはここで形式を変えてもいいくらいに思っています。 翌々年のS23年、外観はこのオハ35形後期形のイメージを引き継ぎながら、 オハ35形の発展型が登場します。スハ42形です。 用途も外観も変わらないのにここで新形式とは妙な気がします。 しかしここで、もう一度、形式を見直してください。オハからスハに変わっています。 客車は、一文字目のカナでその車体重量を区別します。 5t刻みで「コホナオスマカ」の順に重くなってゆくのですが、 オハからスハへ変わっているということで車体重量がUPしたための新形式なのだということがおわかりいただけると思います。 つまり、スハ42は、重量のある鋳鉄製の台車TR-40を履くことになったため、 オハ35形を名乗れなくなったということなのです。 一方、そのスハ42の緩急車として製造されたのがスハフ41形です。 20両製造されましたが、1年ほどで姿を消してしまいました。 実は、一等車であるマイネ40形の乗り心地を改善するためマイネ40形のTR-34とスハフ41のTR-40を交換することになったのです。 そのため、スハフ41は重量が減り、スハフを名乗れなくなったのです。スハからオハへ逆戻りです。 結局、彼らは同じタイプの車体をもつ、オハフ33形に編入されることになり、 オハフ33-606から626の番号があてがわれることになりました。 左の写真はオハフ33 2623 スハフ41 17の改造車です。 話をスハ42に戻します。 スハ42は、乗り心地を改良した点は評価できるのですが、重いという欠点がありました。 そこで、登場後10年を経て、軽量化する工事が行われることになりました。(S34) 外見のイメージは変わりませんが、窓枠は軽合金に取り替えられました。 車内の化粧板も軽いものに変えられ。椅子も10系軽量客車のものと同じものになっています。 このことでスハ42は、2t近く軽量化されたのですが、 おかげでスハを名乗れなくなりオハ36形という新形式が誕生することになったのです。その数は61両。 スハ42の車番をそのまま引き継いでいますので、欠番を生じています。 さて、S34年というのは客車の近代化に於いてもう一つ重要な変化が見られる年です。 それは、電気暖房装置の取り付けです。 従来の客車暖房は、SL時代のそれを引き継ぎ蒸気暖房でした。 しかしSL亡き後、代わりに暖房車を連結するか、 さもなくばEL、DLにSG(蒸気発生装置)を搭載しなければならないということになったのです。 EF58はスマートな車体がその魅力となっていますが、実はSGを搭載するが為のロングボディなのです。 暖房を使わない時季は無用の長物をずっと抱えていたことになります。 機関車から電気を供給し各車で熱を発生させる電気暖房装置はメンテナンスの面でも優れていて、 以後標準的な方法となってゆきます。 新車のみならず、旧型客車にも電気暖房装置は採り入れられることになりました。 +2000番台を与えられた車両がそうです。 でも、電気暖房は、またもや客車に約1tの重量増を強いることになります。 前述のオハ36についても電気暖房装置を取り付けることになったのですが、 なんと重量オーバーで、スハ42からオハ36へ改造された13両の電気暖房装置付車両は、 またもやオハとスハの境界線を越えてしまうことになるのです。 それなら、再びスハ42にもどって、2000番台を名乗ればいいではないかと思うのですが、 それでは、せっかくの軽量化工事をなかったことにするのと同じになります。 やった甲斐がないというわけでしょうか。新形式が誕生することになったのです。それがスハ40形です。 車番はオハ36のものをそのまま引き継いでいますので、それはそのまま、スハ42当時の車番+2000番ということになります。 スハ40-2133がいるからといって、S38年に2133両ものスハ40が量産されていたわけではありません。念のため… オハとスハの境目は、積車重量37.5tです。 ちなみにオハフ33は、その個体によって若干の差はありますが重いもので自重33.6tです。そこに積車換算3.5tを加え37.1t。 35系客車は、わずか400kgで境目を超えてしまうような重めのオハだったということが、 頻繁に形式を変えてしまう大きな理由だったのです。 ところでスハ40の2082、2114、2119の3両はオハ36の2000番台として存在していた時機があったのです。 電気暖房装置取り付けにあたって、重量増を失念してしまったエラーです。 数年後に全てスハ40にあらためられたのですが、エラーナンバー車が本線上を走っていたこともあるのですね。 もし撮影していたなら珍車中の珍車としてこちらをご紹介していたところですが、さすがにこれは撮影できませんでした。 参考文献;鉄道ピクトリアル No748/750 「特集オハ35系T/U」の各記事、車歴表 2004.7/8
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