2017/10/14 UP | ||||||||||
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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>JR東日本105系 仙石線用改造車
「落成したのは 国鉄最後の日でした。」-JR東日本105系仙石線用改造車105系は、地方の電化ローカル線に配置されていた40系や72系などいわゆる「旧形国電」の置き換えを進めるべく製造された車両です。旧形国電の電動車は1両で走行するためのすべてを搭載しており、T車を加えて(MT比1対1)2両編成を自在に組むことも可能です。 これはローカル線の輸送需要にマッチするものでもありました。 対して、既存の新性能車両はMMユニットがベースだったため最低でも2両、103系では4連が基本です。 これをそのまま輸送量の小さいローカル線に導入するのは不経済であり、変電所容量などにも問題が生じる可能性がありました。 そこで、旧形国電同様、電動車1両に走行機器を集約した「1M方式」の新性能車が開発されることになるのです。 もっとも1M方式の新性能電車がなかった訳ではありません。 クモユ141形郵便車や143系の事業用車、荷物車などです。 しかしこれらは既存の電車に併結するのが原則で性能もあわせてあります。 もっとも、これらのうち一部はのち 旅客用に改造されローカル線でも活躍するのですが、 さすがにそれでは数を揃えられません。105系が登場することとなります。 105系の設計にあたっては、1M方式を採用しながら、 1M2Tでも旧形電車の1M1Tに相当する性能が発揮できるものとしました。 システムを簡素化し経済性を重視することも求められました。 その鍵となるのが新たに開発された主制御器CS51です。 103系ほどの高加速性能はいらないので制御段数は少なめです。 回路構成も、永久直列で、直並列組合わせ制御は行いません。 103系と共通のDT33系台車にはMT55系電動機が装備されました。 (出力110kw歯車比1:6.07:103系と同じ) しかし105系では電動機を台車単位で駆動可能とし、非常時には2個モーターでの走行も可能としました。 変電所容量の小さい線区を走行する際は、限流値を低く設定できる操作も可能です。 また単行時、電動発電機 (MG)が 停止したら大変です。 抵抗器(MR147)は電動送風機を廃した自然冷却方式とし、 最寄り駅まで走行可能なように制御に必要な電源を常にバッテリーから供給できるようにしました。 容易には救援を要請できないローカル線の現状にあわせて 自力でやれることはやる という体勢を整えています。 とはいえ 発電ブレーキ付、応荷重装置・空転検知装置付…と新性能車として押さえるべきところはきちんと押さえてあります。 105系そしてCS51はJR化直前の国鉄技術者がローカル線の将来を見据え作り出した よく練られた労作なのです。 105系は1980年から新製され、福塩線および宇部線・小野田線の旧形電車を置き換えました。 105系新造車 1980~81年製/先頭車改造は1984年 クモハ105_1~27/28~31:モハ105_1~4の先頭車改造 クハ104_1~25/26~29:サハ105_1~4の先頭車改造 中間車も存在したんですね。 国鉄時代の編成表を見ると彼らは府中電車区に配属され クモハ-サハ モハ-クハ クモハ-_クハ 5-1 1-5 1~4-1~4 6-2 2-6 7-3 3-7 8-4 4-8 随時、2連ないし4連を組んで運行していたようです。 なお宇部電車区には Mc_Tc(9~25)に加え 増結用Mcが2両(26.27)在籍していました。 3連を組むことも可能です。 しかし当時の国鉄財政では、ローカル線区向け車両を思うようには新造できず、 追加分は改造車でもってこれを補うこととしました。 白羽の矢が当たったのは、103系1000番台です。 1000番台は営団地下鉄千代田線に乗り入れするため、 制御器には超多段制御を誇るバーニア制御のCS30を導入した出色の103系でしたが、 あの名車「営団6000系」の向こうを張るには103系では如何せん役不足、 203系の投入で常磐緩行線から捻出されることになったものです。 クモハ105_501~532:モハ102.103_1000番台改、 クハ104_501~510:モハ102_1000番台改 クハ105_1~14:クハ103_1000番台改。 以上56両 クハは運転台をそのまま利用できるので具合がいいのですが、 1000番台は長大編成ですから、どうしても数が少なくなってしまいます。 不足するクハには電装解除したモハに運転台をとりつけ、 一部0番台からも補充されました。 クハ105_101~104:クハ103_0番台改。 クハ104_601:サハ103_0番台改。 以上5両 1984年。これら余剰となった103系を活用して 奈良・和歌山線用に48両、可部線、宇部線小野田線用に13両の計61両が改造されることになりました。 改造種車が103系であることから片側4扉の車体となったことが大きな特徴です。 台車や主電動機も元々同タイプですから流用されています。 ただし制御機器は新造車と同様CS51を新調しました。 JR化1年後となる1988年の編成表を見ると 奈良電車区に配属されたのは24編成48両で クモハ105_501~510+クハ104_501~510 (NT201~210) クモハ105_511~524+クハ105_1~14 (NT211~214) すべて103系1000番台の改造車です。 広島運転所に配属されたのは11編成22両で クモハ105_17~19.21.22+クハ104_17~19.21.22 (K1~5) クモハ105_31+クハ104_26 (K6) クモハ105_525~527+クハ105_101~103 (K7~9) クモハ105_529+クハ104_601(K10) クモハ105_530+クハ104_23 (K11) 数の割にはバラエティに富んでいます。 すべて103系1000番台の改造車ではまかなえなかったようで、 クハ105_100番台(クハ103形0番台改)やクハ104形600番台(サハ103形改) といった103系改造車(4編成8両+1両)が、新造車(6編成12両+1両)に追加されています。 下関運転所(宇部線小野田線+山陽本線用)にも クモハ105_531.532+クハ104_24.25 (U11~12) クモハ105_528+クハ105_104(U10) といった103系改造車(4両)が、新造車(9編成18両+Mc5両+Tc2両)に追加されています。 105系(新造車)の車体構造は103系と同じですが、3ドア車です。 103系は4ドア車ですから、同系列で2通りのドア構成となってしまいました。 結果、広島、山口地区ではこれらが混在することになったのですが、 前述のK11編成やU11~12編成は同一編成に3ドア車と4ドア車が混在していたわけで、これが同じ系列だって言うんだからスゴイ。 でもそんなこと構ってられなかったのですね。 そして1987年。仙石線にも105系が導入されることになりました。 参考文献によると、仙石線石巻地区の増発用とあります。 今回も103系の改造車です。 ここで注目すべきは 種車となった103系0番台が 陸前原ノ町電車区に配属された4両編成だったいうことです。 (クモハ103_149-モハ102_315--サハ103_240-クハ103_599 :1976年製) これは陸前原ノ町電車区に配属された16編成のうち2編成しかない冷房(改造)車でもありました。 虎の子の冷房改造車をつぎ込んでも、105系を導入したかったに違いありません。 それにしても なぜ103系1000番台から改造できなかったのでしょうか? 1000番台は32編成もある大所帯で松戸区にはまだ100両以上も残っていました。 クハはいざ知らず、あと4両モハをひねり出すことがどうしてできなかったのでしょう。 JR東日本 105系 宮城野電車区 仙ミノ R5-101 R5-601編成 ←石巻② 仙台①→ R5-101:クモハ105_101--クハ105_105 1987年改造 1998年に引退 (クモハ103_149--クハ103_559) R5-601:クモハ105_601--クハ105_601 1987年改造 1998年に引退 (モハ102_315--サハ103_240) 参考:JR電車編成表93年冬版 98年夏版 新区分となる600番台は、中間車2両を先頭車改造する形で登場しました。 しかし、従来の103系そのもののマスクです。 どこかから切り取ってきたように思われましたが、参考文献によると郡山工場で103系と同様の運転台を組み立てたとあります。 それならば、なぜ、クハ104_500番台に取り付けられたような105系のマスクを作ることをしなかったのでしょう。 郡山工場で、直流電車の工事をする機会はそうそうなかったと考えられますから、おそらく 同時に入場してきたクモハ103やクハ103の運転台を、そう実物を見本にするのが確実な方法だったのではなかったかという気がします。 ちなみに仙石線用の105系4両が落成したのは国鉄最終日となる1987年3月31日です。 この日に落成したということは駆け込み改造以外の何ものでもないと感じられます。 当時、いちいち国鉄本社に照会するような余裕などありはしなかったのです。 もともとは宮城電鉄として開業した仙石線はその名の通り仙台と石巻を結ぶ路線ですが、 都市間連絡と言うよりは仙台市内へとむかう通勤需要がメインとなっています。 仙台から本塩竃までは複線ですが、そこからは単線。 松島海岸までは観光需要もあるのですが、 高城町から先は、はっきりいってローカル線そのものです。前述の「石巻地区」とはこの区間です。 実態に見合った輸送力の担い手として短編成で運行できる105系が適していた区間であるといえましょう。 105系は新生JR仙石線の期待を担って陸前原ノ町電車区に戻ってきたに違いありません。 しかし仙石線用の105系は、1998年。 103系に先駆けて105系はわずか10年あまりで現役をしりぞくことになりました。 なぜでしょう? 短編成を効果的に運用するには2編成では少なすぎた。というのが私の答えです。 昼間、105系(ワンマンカー)が高城町ですべての快速列車に連絡し、 ラッシュ時には高城町で快速列車に増結、そのまま仙台にむかう--ということができれば、 それが理想だと思われます。 でも、そのためには8編成は必要かな? 地上設備の拡充も必要です。駆け込みでできるプロジェクトではなかったのです。 1998年、JR東日本は103系の故障が多発したことから、これを契機として新型車への置き換えを加速すると発表しました。 このあおりを受けて浦和電車区から103系更新車2編成が転属。 105系はこれに置き換えられて運用を離脱することになります。 まだまだ使えたのではなかったか。とも思うのですが、 JR東日本にあっては、たった2台しかない制御装置CS51をもつ105系。 飛び地のような直流区間の仙石線でメンテし続けることは大変だったのでしょう。 2017年10月現在。 105系は、新造車はもちろん 改造型でさえJR西日本ではバリバリの現役です。 使いようによっては、2015年6月の「仙石東北ライン」の開業までも活躍できたのではないか?とも思うのですが。 悲しいかな。彼らには「地の利、時の利。」 があまりにもなかったようです。 参考文献:鉄道ピクトリアル 「新車年鑑 1988年版」 1988年5月 No496 の記事 |
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