2014/11/15 UP のHP | |||||||||
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−JR東日本 SL銀河号 C58形239号機−
SLは機関車です。本来、無動力の客車や貨車を牽引するものです。 しかし、この2014年にデビューした「SL銀河号」のSL C58-239は、なんと気動車と力を合わせて山を登り、時には牽引されて移動するのです。 今まであり得なかったこの気動車−動力付き客車−キハ141系については、前回お話ししました。 今回は、「SL銀河号」の主役であるC58-239について、お話ししたいと思います。 C58形蒸気機関車は、煙突の前に装備された円筒状の給水暖め装置が印象的で、D51形の量産型にも似ています。 しかしD51形は1D1の軸配置を持つことからも元来貨物用として製作されたものです。 対して1C1の軸配置を採用しているC58形は一回り小さい客貨両用の万能中型機です。 製作時期もD51形と重なりますが、製造は昭和18年でいったん中止され、昭和21年から製造が再開されています。 大戦末期は貨物輸送重視だったということでしょうか。 さて239号機は、戦前の昭和15年に川崎車輛で新製されました。 昭和18年に宮古機関区へ転属して以来、ずっと東北の地で活躍してきました。 昭和48年に廃車となりましたが、そんな縁があって盛岡市の岩手県営交通公園(県営運動公園南)にて静態保存されていました。 保存状態もよかったことから、これをSL銀河号用に復活させたというわけです。 しかし、単純に復活させたというわけではありません。 21世紀で生き抜くために、様々な工夫が施されています。 まず、重油併燃装置を取り付けました。 前述したようにSL銀河号では、SLと気動車を協調運転させますが、釜石線には山岳路線(陸中大橋駅−足ヶ瀬駅)があります。 またこの急勾配区間には長大トンネルも存在するのです。 石炭だけで十分なパワーを得るには、かなりの石炭を投入しなければなりません。 C58形は国鉄の蒸気機関車としては初めて密閉型の運転室を採用し、煤煙の進入を防ぐなど労働環境の改善をはかっているのですが、 機関助手に投炭作業という過酷な重労働を強いることになるのは変わりません。 そこで重油と併燃させることで、効率よく十分な火力を得ることにしました。 もっとも、この方法は国鉄時代からもとられています。 ただ、重油タンクはボイラーの上に設置され、見た目がごちゃごちゃしていました。 そこで、C58-239ではテンダー(炭水車)に重油タンクが作り込み、C57-180と同じくすっきりとした外見に変更されました。 さりげなく、労働者の作業環境を改善するのが、21世紀流です。 保安装置も国鉄時代のままというわけにはいきません。 JR東日本の標準であるATS-P形とATS-Ps形を装備しました。 また、これに合わせて速度計を機械式から電気式へ変更し、防護無線装置もデジタル無線機を導入しました。 ハイテク機器を駆動させるものは、なんといっても電気です。 C58-239では、蒸気タービン発電機(1500VA)を2台装備し、その電源を確保しています。 これらの復元改造工事は、2012年12月から大宮総合車両センターで実施されました。 工事期間は丸一年。2013年12月の火入れ式のあと構内試運転が行われ、2014年1月に車籍を復帰しました。 そして、4月12日「SL銀河」としてデビュー、完全復活を果たしたのです。 さてこれだけの手間ヒマをかけているのですが「SL銀河」の定期運行は、年間80日程度です。 それも半日(約4時間半)かけて、釜石へゆき、翌日、半日かけて、花巻に戻る運行パターンです。(釜石行き・花巻行き各40日) 定員は180名料金は花巻−釜石間全線乗ったとして、運賃が1660円、それに座席指定料金が820円で合計2480円。 これではとても採算はとれません。 JR東日本は、SL銀河号以前に、SLばんえつ号やSLみなかみ号などを運行しています。 これとて、儲かるという列車ではないでしょうが、乗車定員も多いですし、1日1往復するわけですから銀河号の数倍稼げるということになります。 なぜJR東日本は、SL銀河号を登場させたのでしょう? それは、東日本大震災からの観光復興を後押しする目的で企画されたからです。 東日本大震災で壊滅的な打撃を受けた岩手県のJR路線について JR東日本は、気仙沼線、大船渡線についてはBRT化、すなわちバス路線化し、 山田線については、宮古−釜石間を三陸鉄道に移管することにしました。 津波で、愛する人々を、家を、そして生きる糧さえも失った人々に、鉄道という日常までも切り取ってしまうのはむごいような気もします。 しかし、失われたものは元には戻らないのです。 被災された方々にとって必要なものはむしろ希望、そして夢ではないでしょうか。 ところで、釜石線には「銀河ドリームライン」という愛称が震災以前からあります。 釜石線の起点である花巻出身の作家 宮沢賢治、その代表作「銀河鉄道の夜」をイメージしたネーミングです。 ここで、「銀河鉄道の夜」のあらすじを… 孤独な少年ジョバンニは、星祭りの夜、天気輪の丘から銀河鉄道に乗り込み、親友カムパネルラと出会います。 二人は旅の中で様々な人々と出会い、生きる意味を見いだしてゆこうとします。 そして、ジョバンニは 「僕もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。 どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」 と語りかけます。 ところが、旅の終わりにカムパネルラは消えてしまうのです。 −−−ジョバンニはまるで鉄砲丸(てっぽうだま)のように立ちあがりました。 そして誰(たれ)にも聞えないように窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉(のど)いっぱい泣きだしました。 もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。−−− そこでジョバンニは目を覚まします。つまり「夢」だったのです。 そして、まもなくジョバンニは、カムパネルラが自らの命を犠牲にして友達ザネリを救ったことを知るのです。 つまり、「銀河鉄道の夜」は、自己犠牲と鎮魂の物語であり、 この世に残されたものになすべきことを指し示した宮沢賢治のメッセージなのです。 ジョバンニの夢は悲しい夢だともいえるでしょう。 しかし、この夢がジョバンニを生まれ変わらせ、これから雄々しく生きてゆくための糧となるのです。 「銀河ドリームライン釜石線」にふさわしい夢の列車をハイブリッドディーゼルなどではなく、 SL列車で企画してくれたJR東日本に私は敬意を表したいと思います。 参考文献 鉄道ピクトリアル 「鉄道車両年鑑 2014年版」 2014年10月号 No896 |
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