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2016/04/15 UP | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
J鉄局TOP>珍車ギャラリー>JR貨物 DE11形2000番台
1960年代。小学生だった私は、何回となく自転車で吹田まででかけ、貨物ヤードでの貨車入換を眺めていました。 特にハンプ押し上げ作業は、興味深かったのを覚えています。当時は、デフレクタのないD51形蒸気機関車もまだ活躍していました。 汽笛一声、ドラフト音とともにD51が貨車を押し上げます。 ブレーキ音がしたかと思うと、坂の上(ハンプ)で貨車を解放、…、 坂を滑り落ちてゆく貨車は軌道上にもうけられた制動装置で速度を調整され目的の車列に向けて進んでゆきます。 そして、最後のブレーキは操車掛と呼ばれる職人たちの足さばきにゆだねられるのです。 やがてガシャシャ…ンという連結音。 当時は高度経済成長にともない鉄道貨物の輸送量も増大していました。 DD13形など初期のディーゼル機関車では牽引力および制動力が不足しており、 引き続き蒸気機関車を使用せざるを得ない状況となっていたのです。 しかし、無煙化のためには入換用のディーゼル機関車が必要です。 先ず、1エンジンでローカル線用かつ入換も可能という事でDE10形が開発されました。 これがDE11形のベースとなるDE10形機関車です。 なにせ、入換での重量列車引き出しには強力なトルクが必要です。 また列車の全重量を機関車一台で止めるわけですから粘着力が不足する事は避けなければなりません。 5軸という、かつてない構造が採用されました。 そして1967年に入換に特化したDE10 901が試作されます。 そしてその結果をもとにDE11形が登場することとなるのです。 入換用であるDE11形は客車を牽引する必要がないので蒸気発生装置 (SG) は搭載されていません。 その点DE10形500番台と同じなのですが、 空転による牽引力の損失を防ぐために、2エンド側にはコンクリートブロックによる死重が搭載され、自重はDE10形の65tから70tになりました。 また重連総括制御の必要がないのでジャンパ栓がありません。 これが外見上の識別ポイントです。 それではDE11形116両製造されました。 番台区分ごとに見てゆきましょう。 0番台(1 - 65) 1967年より製造された初期グループです。 65両が日本車輌製造・汽車製造・川崎重工業で製造されました。 新鶴見機関区、大宮機関区、吹田第一機関区など、ハンプ作業を行う大きな操車場に隣接した機関区に集中配置され、 それまで使用されていたD51形や9600形を置き換えました。 1000番代(1001~46) 1969年より製造されたエンジン出力アップ形です。46両製造されました。 (うち1002~8はA寒地仕様) エンジンはDML61ZB(1350ps)となりました。同時期に増備されたDE11、DE15 と歩調を合わせています。 外観では手すりの形状が異なり、砂箱容量も増大しています。 1900番代(1901) 騒音低減目的に製作された防音形試作車です。試作車ですから901でも良さそうなところですが、 1000番台がベースになっているので1901となっています。 1974年に製造されました。 遮音を図るため、吸音材や取り付けられ、排気口への消音器は三つも取付けられています。 また機関車では初めてとなる冷房装置を設置しました。 2000番代(2001~4) 1978年に製造された最終グループです。4両製造されました。 試作機1901の成果をもとに、よりいっそうの騒音低減が図られています。 今まではエンジンの直上にファンを設け放熱していましたが、 2000番台では大型の放熱気器を2エンド側に設置、見た目も大きくなりました。 見た目といえば車体下部にスカートを装備したことが大きな特色です。 走行音を少しでも抑えようというわけです。 1000番台のところでも記しましたが、 DE11はDE10、DE15と歩調を合わせて増備されました。 しかし、JR化にむけ国鉄は輸送のあり方を大きく変えてゆきます。 動力の分散化、つまり機関車が列車を牽引するというスタイルから、 電車、気動車といった動力車で列車を編成してゆこうというスタイルへシフトしてゆくのです。 その結果、機関車が大量に余ってしまうということになってしまいました。 貨物についてもネットワークを縮小、集約化が進められ、とりわけローカルの列車数は激減することになります。 DE10は働き場所がなくなり、製造後20年に満たないのにもかかわらず、大量に廃車されました。 DE11については、もっと悲惨です。 各地からやってくる貨車を操車場で入れ替え一本の列車に仕立て直すスタイルは過去のものとなり DE11たちはそのほとんどが失業と相成りました。 輸送単位の大きいターミナル間の拠点輸送形のスタイルへ集約されても 入換作業自体がすべてなくなるというわけではありませんが、JR化となる1987年3月までに殆どの車両は廃車され、 初期車にいたっては44・53・55号機の3両がJR東日本に継承されたのみです。それも1990年までに廃車されました。 対して2000番台ですが、どっこい全車とも生き残っています。 車齢は35年を超えます。 多くの兄弟機が廃車されたのに生き延びることができたのにはやはり相当の理由があるということになるでしょう。 DE11形にあって2000番台は少数派、いやそのスタイルからしても異端車です。 普通真っ先に淘汰されるのことが多い異端車なのに いったいなぜ? やはり、他の仲間にはない芸…すなわち、よりいっそうの騒音低減が図られてたサイレンス仕様であることがその理由でしょう。 前述したようにJR化され貨物は輸送単位の大きいターミナル間の拠点輸送形へ集約されました。 そして、その貨物ターミナルの多くは大都市の近郊に設置されることになります。 なるたけ住宅地は避けたいところですが、なかなかそうはゆきません。 かつての操車場を転換した場合でもその周辺の宅地化をストップすることはできません。 かつて日本では夜は概ね誰もが寝静まっていたような気がします。 しかし、21世紀の今は24時間誰かがどこかで仕事をしていて、 そして真っ昼間に睡眠時間をとることも当然の権利になっています。 高速道路は高い遮音壁に覆われ、学校現場などでも近隣住民への配慮に心を砕いているとのことです。 騒音対策は今や欠かせないものになっているのです。 DE11形2000番台は、時代を先取りした分長生きできたということになるのでしょう。 JR貨物の新型入換用機関車はHD300形。 ハイブリッドのHを冠した新型機は DE11形2000番台のDNAを受け継いだサイレント機関車です。 ちなみに私はといいますと、全くの静寂は苦手です。 年のせいですが静かになると逆に耳鳴りが気になって仕方がないのです。 むしろ電車の走行音の中に身を委ねた方が、ずっと眠りに陥るのには具合がいいのですが…。 これは私の特異体質かな。
参考文献:鉄道ピクトリアル:「特集 DE10 DE11 DE15形」の各記事 2000.12
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