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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>EF81 450番台
JR貨物が発足するまでの、日本の鉄道貨物輸送現在、日本における鉄道貨物輸送のシェアは、輸送トン数でみると1%台でしかありません。90%を超える自動車輸送と比較するまでもなく、これほどまでに…と思わず絶句してしまいました。 もっとも貨物輸送の8割以上は輸送距離が100Kmに満たないものですから、 長距離輸送を得意とする鉄道については、輸送距離も加味して比較するべきでしょう。 つまりトンキロベースでみてみるということです。しかしそれでも、鉄道貨物輸送のシェアは5%ほどしかありません。 ちなみに昭和30年代には50%以上あったものが、昭和50年代には、10%台に激減しています。 世界的に見ても、同じ島国である英国と比較しても、日本は、鉄道貨物の全体にしめる割合が低いのです。 何故でしょう。まずは産業構造の変化です。日本はオイルショックを契機に重厚長大から軽薄短小へ、産業構造がシフトしてゆきます。 日本の重工業を支えてきた、石炭列車は姿を消し、石油輸送、セメント輸送などもその姿を消しつつあります。 加えて、高速道路網を核とした道路インフラが全国的に整備されたことも、鉄道がそのシェアを自動車に奪われた大きな原因です。 かつて国鉄はローカル線の津々浦々まで、貨物列車を設定していました。 このことで全国くまなく貨物輸送サービスが出来る体制を整えていたのです。 しかし一日数本もない上に、小単位の貨物列車が持ち込んだわずかな貨車をヤード(操車場)で編成し直し、 それを目的地に近いヤードで再度編成し直して、やっとこさ目的地に送り届けるということをしていたのです。 こんなに手間暇をかけていたのでは、高速道路を疾走するトラックに対抗できるはずもありません。 国鉄は昭和50年代、この非効率的なヤード型の輸送形態をやめ、スピードと効率を重視した直行型に貨物輸送を大転換することになります。 しかしこれはもう手遅れだったというべきかもしれません。 国鉄の赤字といえば、ローカル線がその元凶であるかのようにいわれますが、非効率な貨物輸送もまたその大きな要因だったのです。 それゆえ、輸送のあり方を大転換し、あらたなインフラ整備に取りかからねばならぬ時機にあっても、 貨物部門への投資は低く抑えられてしまいました。 −JR貨物発足−ようやく上昇に転じた鉄道貨物−JR貨物は、そんな渦中に発足したのです。(1987年)合理化も徹底して行われました。昭和50年代には6万人以上いた貨物の要員は、JR貨物発足当時で1万2千人と5分の一にまで減少しました。 機関車もその例外ではありません。 昭和50年代に新たに開発された機種はなく、JR貨物に継承された機関車は昭和40年代以前に作られたものが、そのほどんどを占めました。 しかし、JR貨物発足当時の4年間は、バブル景気と呼ばれた未曾有の好景気が追い風となりました。 非効率的なヤード型の輸送形態をやめ、スピードと効率を重視した直行型に貨物輸送を大転換したその効果もようやく現れてきたのです。 輸送量は、予想以上に増加し、新たに機関車も必要だということになったのです。 もっとも、当時JR貨物でも新型の機関車の開発に取りかかっていました。 しかし、EF-X(後のEF200.EF500)には、従来の機関車とは全く違ったスペックを要求していたので、 その実用化までには相当の時間が必要で、とても待ってはいられない状況だったのです。 そこでJR貨物は国鉄時代に開発された既存車両をリニューアルした車両を新造することになります。(1989年) それが、かつてご紹介したEF66 100番台(東海道、山陽線用)と、 日本海縦貫線用EF81 500番台( 写真右 −EF81 502 京都駅にて−)です。 このとき、EF66 100番台は、新塗装とともに前面形状も変更されイメージを一新しました。 しかし、EF81 500番台はというと、塗装はあらためられましたが、スタイル自体は特に変わったところはありません。 1991年3月のダイヤ改正においても、貨物列車の増強が図られました。 関門地区においても、従来のEF81400番台を補充するため新車が導入されたのです。 これが、EF81450番台です。(451.452)(写真下−EF81 452 門司駅にて−) EF66 100番台同様、新塗装とともに前面形状もあらためられました。 前照灯と標識灯を角形ケースに一体化しこれを腰部におろしたスタイルは、小さな変化ではあっても垢抜けた印象を与えたものでした。 しかし翌1992年、増備された453.454.455の3両(見出し写真)はどういうわけか、もとのスタイルに戻ってしまったのです。 時代の先を読むがゆえに −勇気ある後退−その理由は、EF81は、元来、日本海縦貫線用に開発されたものであり、将来の輸送需要を見据えたとき、1968年から増備され日本海縦貫線で活躍している 初期型のEF81を 450番台で置き換える可能性があると考えたからです。それが、前照灯と何の関係があるんだ。と思われるかもしれません。 もしそうなら、冬期の日本海縦貫線用列車の様子を思い起こしてみてください。 大雪の降った明くる日など、大阪駅には、「日本海」や「きたぐに」といった列車が雪まみれになって入線してきます。 とりわけ、前面部の下半分は、厚い氷に覆われているのでは、と思ってしまうときがあるくらいです。 そうです、保安上、前照灯は、上部にあることが日本海縦貫線用列車の必須条件なのです。 新生JR貨物を、イメージアップすることも大切なことですが、運用上の幅を持たせることは、それ以上に大切なことのように思われます。 事実、15年の歳月を経て、このことが実証されるときがきました。 2007年。山陽線貨物輸送力増強事業を完成したJR貨物は、3月18日のダイヤ改正で西岡山−北九州貨物ターミナル間においても1300t列車の運転を開始します。 この時、JR貨物は、これにあわせて新鋭のEH500形(45-50)を門司機関区に配置。 EF81の重連運用についてはその多くが、これに取って代わられることになります。 そして、この結果余剰となった、EF81のうち450番台、それも例の453.454.455の3両が富山機関区へ転出することになったのです。 日本海縦貫線用がEF81の単行で十分な輸送量であることを考えれば、適材適所の機関車配置がなされたと言っていいでしょう。 時代の先を読むといえば、常に最新のもの、最新鋭のものと考えてしまうのが世の常ですが、将来の需要を見越し、必要十分なものであれば、あえて従来のもので、この場をしのぐというのも、リーズナブルな決断といえるのではないでしょうか。 |
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