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キハ130 −−JR新形式車 初の形式消滅車両−−民営化されJRとなった以上、ローカル線についても収支の改善は重要な課題となります。人件費削減のためのワンマン化はもちろんのこと。路線の保守軽減の面からは車両の軽量化が求められます。 しかし、国鉄から継承した多くの車両は重く、ワンマン化にも不向きでした。 そんな中、JR北海道が、1988年(S63)年に、どこよりも速く導入した軽量気動車が、キハ130です。 調達コストの削減にあたっては、すでに第3セクターなどで使用されている 新潟鉄工の軽量気動車(NDC)を若干の改良のみで使用することになりました。 北海道の車両といえば、両端にデッキ(出入り口)を設けた車体に2重ガラスの1段上昇窓。 極寒地用の耐寒耐雪仕様と決まっていたわけですが、 会津鉄道のAT150そっくりのキハ130は、見ての通り、窓は1重の上段固定下段上昇で内地向け車両と変わりません。 出入り口と車内とのしきりもなく、前述のような北海道向け対策は施されませんでした。 こんなので、よく冬の北海道を走れたなあ。と思うのですが、 使用された日高本線は雪が少なく比較的(あくまで比較して)温暖な所です。なんとかなると判断したのでしょうか。 キハ130が、そしてついでといえばなんですが、キハ130にこれまたそっくりのちほく高原鉄道のCR形も 冬期の使用実態について、いくら強力なヒータを入れても、歓迎されたとは思えません。 キハ130は、2000年までに大半の車両が廃止され、最後まで残ったキハ130-8も2002年に廃止されます。 わずか14年で、すべて、その姿を消してしまったわけです。 海沿いを走る日高本線ゆえに塩害による車体の痛みが進んだことも短命だった原因とされていますが、 車体の寿命だけの問題ではなかったように思えます。 塩害が問題ならJR西日本のキハ120のようなステンレス車体で登場しても良さそうなモンなんですが…。 新形式キハ160(97年、事故によりキハ130-6が廃車となり、代替えとして1両のみ製作されました。)は キハ130から得られた教訓をいかし、冬の北海道向けの様々な対策が施されていますがスチール製です。 なぜか、キハ160はその後増備されることはなく、キハ130たちを置き換えることになったのは、 彼らが駆逐したはずのキハ40系(77〜82年製造)でした。 新車を調達する余裕がないとはいえ、なんと皮肉なことでしょう。 キハ130の2倍は長生きしているキハ40 350番台は今も元気に活躍しています。 キハ160はその後、そのノウハウをキハ150に引き継ぎますが、このキハ150が、またまたどういうわけか、 日高本線では使われていないのが不思議です。 当線における、キハ130とはいったいどんな存在だったのでしょうか…。 ![]() ![]() キハ150 6 富良野駅 キハ150 118 苫小牧駅 |
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