JR北海道 キハ22形700番台
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JR北海道 キハ22-706 函館駅

国鉄時代の在来型(デッキ付き)車両をワンマン対応車両にするということ−

1970年代、私はSLを追っかけ回していました。
北海道は最後までSLの活躍が見られた場所なので、よく通いました。
この時、貧乏学生である私にとって欠かせなかったのは、北海道周遊券です。
学割で2割、加えて冬期割引でもう2割引き。確か8000円ほどだったでしょうか。
もちろん今と当時とでは物価も違いますから、単純には比較できませんが、安いことは間違いありません。
急行列車も利用できましたから、本当にありがたい切符でした。
当時宿泊先はユースホステルなどの安宿でしたが、予約できなかったりした場合は、
道内の夜行列車で一夜を明かすということができたのです。
急行「大雪」に「利尻」などは、幾度となくお世話になりました。
特に別料金もいらないことに味をしめた私は、一週間以上連続で夜行列車で移動したこともありました。
有効日数の20日間のうち、半数以上が車中泊というのが当たり前でした。

そんな時代、昼間の移動はというと、もっぱらキハ22形でした。
キハ22形は、キハ20系(キハ10系を大型化して作られた(S32)一般形ディーゼルカー)の極寒地むけバージョンです。
1次車−1958〜製;1-170 2次車−1963〜製;201-343 と総勢313両を数えます。
側窓は小ぶりで二重窓化されており、乗降扉部分はデッキ化されるなど極寒地向けに特化した車両です。
主に北海道や北東北で使用されましたが、
単行可能の両運転台車両であったことから、北海道では前述したようにローカル線での主役的存在でした。

しかし、SLが全廃されてから2年後の、1977から1982にかけてキハ40形100番台が大量に(150両)増備され、
JRが発足した1987年には、157両とキハ22形は半減してしまいます。
いや実感としては、もっと少なくなってしまったという感じです。
彼らの働き場所であるローカル線自体が多く失われていったこともあって、すっかり影が薄くなってしまいました。

我が国の鉄道におけるいわゆるワンマン運行は関東鉄道竜ヶ崎線とされています(1971年)。
その後、地方鉄道のみならず私鉄大手のローカル線(西鉄宮地岳線-1980年)、
そしてJR(関西本線四日市-河原田間-1988年))へと拡大してゆきました。
ということで、国鉄においてはワンマン運転は実施されていません。
車両についてもJR化を目前に控えた新形式であるキハ32形などを除いて、
ワンマン運転を意識したものはありません。
国民の足を支えるという日本国有鉄道のポリシーは、経済性を重要視する民鉄とは一線を画するものだったのです。

しかし、国鉄は民営化されました。JR化後は、一転してワンマン運転の列車が増加の一途を辿ります。
列車本数を確保するために、機関車牽引の客車列車が減り、編成両数も減少するなかで、
効率化はさらに求められることになるのです。
当然、JR各社はそれに対応した新車を投入することになります。
例えばJR東日本ならキハ110系、JR東海ならキハ11形(二代目)、JR西日本ならキハ120形、…というところです。
なかでもキハ120形は各所にバスの部品を多用した小型車です。
その姿は、ローカル線輸送に特化した第3セクターの車両そのものという印象を受けます。
このような車両がJR各社で増備される一方で、ワンマン対応ではない国鉄形の気動車は数を減らしてゆきます。

JR北海道においても、他のJR各社と同様、ワンマン対応のローカル線用気動車を投入します。
キハ130形です。(1988年10月)JR西日本のキハ120形に負けず劣らず、見るからに第3セクタータイプの車両です。

確かにキハ130形は、ワンマン運転するには都合のいい車両です。
運転席からは車内の様子が見通せ、また客室扉が運転席に近いことから料金の収受も楽です。
しかしキハ130形は、北海道の厳しい冬には不向きな車両でした。
もちろんキハ130形は、暖房用のヒーターを強力なタイプにしてあります。
しかしそれでは到底追いつかないのです。
なにせ駅に着くたびに、凍てつくような寒風が車内に吹き込んできます。
ワンマン対応車両は開放的であることから、室内温度を快適に維持することが難しいのです。
キハ130形は、わずか17年で淘汰されてしまいました。
JR化後の新車でありながら、改造もされることなくそのまま形式消滅してしまうのも
むべなるかなというところでしょうか。

JR北海道のワンマンカーは前降り、前乗りです。
乗り込む乗客は、降りる乗客を待たねばならず、停車時間も長くなります。
それでも開口部を少しでも少なくしたいからこのようになるのです。
運転手にとってもつらいワンマン運転です。
従来型であるキハ22形のようなデッキ付きの密閉型車両こそが、北海道に向いているのです。
なんとかキハ22形タイプの車両でワンマン運転できないか?
そんな現場の声から、キハ22形700番台(ワンマン運転対応改造車両)が生まれたのではないでしょうか。

キハ22形701は、1990年1月、苗穂工場でキハ22-321を種車に改造されました。
運転室、客室等の保温性や安全性を考慮しながら、
運転室の仕切りを残し、ガラスを大きくして乗客の安全確認ができるようにしました。
とはいえ客室の仕切りも現状のままとしたので、構造上は改造前と大差はありません。
この程度の改造でワンマン対応というのであれば、JR西日本のキハ58系やキハ40系にも同様のものがあります。
しかし、JR北海道では、新番台区分を設定して、改造順に新たに番号を割り振ることをしました。
たかが番台区分といえばそうですが、私はここにJR北海道の意気込みを感じます。
デッキ構造をもつ従来型の車体構造こそが北海道のローカル線にふさわしく、
これをいかにワンマン対応車両とするかが、重要施策とされたのではないでしょうか。
加えて、JR化以後も最も厳しい経営環境にさらされるJR北海道において、
国鉄から継承した車両をできる限り有効利用することは、必須の条件だったということもあったでしょう。

キハ22形700番台が投入されたのは、上砂川線。
もっともこれは正しい名称ではありません。
砂川駅から分岐していた同線は、「函館本線の一部」として扱われていました。
そのため、地方交通線にも指定されず幹線として存置されました。
ほぼ平行する、これまた運炭路線である歌志内線が独立した線名を有していたがために廃止対象路線となったのに対して、
上砂川線は、歌志内線よりも旅客の輸送密度が低かったにも関わらず廃線とならなかったのは、こういう理由からなのです。
それでもJR発足後、炭鉱の閉山の影響(貨物は国鉄時代に既に廃止)も受けて1994年廃線となる同線ですが、
閑散路線であればそうそう遅れることもなく、また独立した路線であることからも他線に対する影響も少ないことから、
北海道における在来型車両のワンマン運転(=キハ22形700番台)を実験(90.3〜)するには好都合な路線だったといえるでしょう。

ここでの経験もふまえ、キハ22形700番台は、江差線用に4台追加されました。
現場でのGOサインが出たということでしょう。
さすがに経年を経たキハ22形です。これ以上増備されることはありませんでしたが、
この実績をふまえ、JR北海道は、これも国鉄時代の在来型車両であるキハ40形にワンマン対応改造を施すことになります。

キハ40形701は、1990年6月、苗穂工場でキハ40-239を種車に改造されました
以後キハ40形については、全車ワンマン対応車両に改造され、現在も活躍中です。
さてJR北海道のローカル線用気動車といえば、
白いボディーにグリーンのラインをまとったキハ40形がまず思い浮かぶのではないでしょうか。
でも、国鉄の在来型車両にこの塗装を施したのはキハ22形700番台が最初です。

ニューカラーのキハ22形700番台を見たとき、さわやかですがすがしい印象を受けました。
本当によく似合っているなあと感じました。
「北海道のローカル線に新しい風を吹き込んだのは、キハ130形ではなく、キハ22形700番台だ。」
と感じるのは。
私がキハ22形に特別な思いこみがあるからだけではないように思うのですが…。

参考文献;鉄道ピクトリアル 新車年鑑 1989 1991
             
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