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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>JR北海道 キシ80_501 トマムサホロエクスプレス
JRにおける唯一のキシ(気動車の食堂車)−キシ80 501−キシ80形は、キサシ80形の改造車(キシ80 901-3)を含め、国鉄時代の末期には40両を数えました。もちろん気動車の食堂車として最も知られた存在で、珍車とは言い難い車両です。 ところが、キシ80形をはじめとして、電車気動車を問わず、在来線昼行列車の食堂車は、国鉄末期にはことごとく姿を消してしまうのです。 そんな中、なぜか1両だけ、JRの食堂車として再デビューするキシ(気動車の食堂車)があらわれました。 キシ80形501号です。 JR化以後、キシとして存在したのは後にも先にもこの一両だけです。 なぜ、JR北海道は、キシを復活させたのか。 そしてなぜ後に続くキシが現れなかったのか。そこのところを考えてみたいと思います。 まずは、キシ80形とはどういう車両だったのでしょう。 気動車の食堂車の第一号はキサシ80形−。 ボンネットをもつ「はつかり」形80系特急気動車の食堂車です。 キサシの名が示すとおり、駆動用エンジンを持たない付随車として登場しています。 のち駆動用エンジンを搭載する改造をうけることになるのですが、 それは「はつかり」単独運用で長大編成使用される分には問題にならなかったパワー不足が、 「はつかり」の電車化後、転出先ではやはり問題となったからです。 一方、汎用の気動車特急であるキハ80系の2次車すなわち、貫通形となるキハ82グループの食堂車が、キシ80形。 こちらは初めから駆動用エンジンを装備してデビューしています。 短い編成でも足を引っ張らないように、駆動用エンジンを搭載したわけですが、 それで問題がなくなったというわけではありません。 エンジンを取り付けるスペースを確保するために、床下に備え付けられていた水タンクの行き場がなくなってしまいました。 仕方なくこれを車端に床置きすることになります。 その結果、テーブルが一列減、食堂定員も8名減の32名となってしまいました。 それだけではありません。 これまた調理には不可欠の電源を供給する発電用エンジンも搭載できなくなったのです。 キハ80系の電源は、先頭車のキハ82形に搭載された発電用エンジンがこれを供給します。 キシ80形もここから電源の供給を受けることになりました。 一編成に最低2両はある先頭車=キハ82形ですが、食堂車は電気を食います。 食堂車が含まれる編成の場合7両編成が限界となり、それ以上の長さを組成する場合は、 電源車として先頭車キハ82形を中間に組み込まざるを得なくなってしまいました。 分割併合もしないのに、中間にキハ82形が組み込まれていたのはそんな事情があったからです。 いろいろ不便なキシ80形ですが、ジャンパ栓(各種制御用の配線を束ねたものと思ってください。)を車内で左右クロスさせる構造となっており、キハ80形を180度回転させてもそのまま繋げるメリットもありました。 また食堂車には乗客用扉がないことから、これに連結するキハ80形の乗客用扉を双方食堂車側に設定でき、 扉の間隔を他の号車とおおむね揃えることができたのもメリットといえそうです。 良きにせよ悪しきにせよ、編成の中ではじめてその存在が大きな意味を持つ。それがキシ80形なのです。 というわけで、長大編成の気動車特急の要ともいうべき存在のキシ80形だったわけですが、 時代の流れは、特急列車のシャトル化(短編成高頻度運行)へと向かっていました。 食堂車の経営が成り立つためには、その列車の中にお客様が沢山いなければやってゆけません。 さらに列車に合わせてご乗車いただき、長時間乗っていただくことから、 車内で腹ごしらえせざるを得ない状況を作り出すことが肝要です。 結果、特急列車のシャトル化が遅れた北海道で、キシ80形は大活躍することになります。 国鉄最後となる気動車の食堂車はキサシ181形ですが、181系は北海道には配属されなかったため、 キシ80形よりも先に姿を消しています。 内地では、電車特急(昼行、在来線)による食堂車が、1985年3月に全廃されています。 北海道でも1980年からは183系がデビューし、食堂車のない特急列車も現れました。 でも80系使用の道内特急列車では、食堂車が標準装備です。 1985年3月まで、なんと臨時列車をも含む全列車で食堂営業を行っていました。 しかし、そんな状況も長くは続きませんでした。 北海道においても翌1986年10月に食堂車はその姿を消し、 在来線の昼行特急列車における食堂車の営業は、JR化を待たずに全て終わってしまうというのは前述の通りです。 キシ80形は、最後の在来線昼行食堂車でもあったのです。 ああっという間に、北海道でも姿を消してしまった食堂車でしたが、まだニーズはあると考えたのでしょうか。 JR北海道では、廃車処分保留のまま残っていたキシ80形29.36.37の3両を承継したのです。 そして1988年3月。 29号機を改造、キシ80 501として、再デビューさせることになります。 ページトップの画像をご覧ください。 オリジナルのキシ80形とは、全く別のスタイルです。 実は、北海道向けのジョイフルトレイン”第3弾”トマムサホロエクスプレスの食堂車として、改造されたのがキシ80_501なのです。 トマムサホロエクスプレスの開発にあたっては、トマム、サホロといった石勝線沿線のリゾート輸送に加え、 S63年6月より開催される「世界.食の祭典」および「青函博」に協賛する列車として運行するという目的もありました。 キシのデビューは他車より3ヶ月ほど遅れましたが、当初から食堂車を組み込む予定だったのです。 世界中の人々が注目しているわけですから、キシ80形そのままでは面目丸つぶれです。 車体は、リゾート列車として新造されました。 ハイデッカー構造の他車とデザインを共通化しているので、天井も高く堂々たるスタイルです。 スタイルだけではありません。 厨房の臭いを考慮し、空調系統は客室と分離するなど、特注の豪華な内装と相まって、 かなり気合いの入った車両となっているのです。 しかしこのことでかなりのコスト高になったと思われます。 加えて、種車のキシ80形は、当時かなり痛んでおり、 そんな台枠に作り込んでいかなければならない現場の苦労もいかばかりかと推察されます。 結論から言うと、これが、キシを復活させた理由であり、後に続くキシが現れなかった理由でもあるのです。 「世界、食の祭典」は、90億円とも言われる赤字を出し失敗。 入場者数は175万人、当初の見込みである400万人を大きく下回りました。 キシ80_501が、この博覧会の期間中どういう運行をしたのか分かりませんでしたが、 アールデコ調の豪華な内装とはうらはらの、お寒い結果だったのではないかと推察できます。 そして、本来の使命である石勝線沿線のリゾート輸送ですが、 はたして、それは食堂車を必要とするものといえたのでしょうか。 繰り返しになりますが、食堂車の経営が成り立つためには、その列車の中にお客様が沢山いなければやってゆけません。 でも、トマムサホロエクスプレスは、わずかに5両編成。 定員(キハ84-101.2=44×2 キハ83-101.2=52×2)も少なく、満席であったとしても合計で192名です。 また車内で腹ごしらえせざるを得ない長距離列車かと言えば、さにあらず。 千歳空港(現南千歳)−トマム間なら、1時間半もかかりません。 ハイデッカー構造で眺めも抜群、全席に液晶モニターとエアチューブイヤホンを装備したパーソナルAVサービスがウリのトマムサホロエクスプレスは、座席におけるアメニティも申し分なく、食堂車で食事をしている時間がもったいないほどです。 参考文献である「食堂車ノスタルジー」によりますと、 最初のうちは「JTBグルメ列車」などとして華々しい活躍をしていたようですが、 「筆者の実感としては、フルコースディナーというよりは喫茶的な利用が多かったようだ。」 とも書かれています。 かくしてキシ80_501は、1998年ごろから、編成から外されるようになり、 「トマムサホロエクスプレス」が、「マウントレイク大沼」にリニューアルされた折にも、お呼びはかかりませんでした。 オリジナルのキシ80形は、編成の要であり、列車の華とも言うべき存在でした。 対して、トマムサホロエクスプレスはそれ自体が”華”とも言うべき魅力に富んだ車両です。 食堂車(キシ80-501)は、素晴らしい出来映えではありました。 しかし、あれだけの手間とコストをかけた割には、プラスアルファー的な存在でしかなかったのです。 参考文献;鉄道ピクトリアル 新車年鑑 1989 食堂車ノスタルジー 岩成政和氏 イカロス出版 2005.3
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