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  JR九州 421系 F17編成  2010/01/17UP
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 421系 F17編成  クハ421−34 AU2X形冷房装置付き
モハ420 1960年〜
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
20.00 2.95 3.919 41.9
駆動方式 制御器(電圧) モーター(kw) ギア比
カルダン CS-12
(モハ421に装備)
MT−46B
100×4
4.82
ブレーキ 定員(座席) 冷房機 台車(製造)
HSC-D 128(76) なし
(AU2Xを取り付け)
DT-21B
残念ながら非冷房時代の数値です。
AU2X形冷房改造車の座席数は−8
鉄道車両諸元表:JR全車両ハンドブック 1995
 421系 F17編成  クハ421−34 AU2X形冷房装置付き      

JR九州 421系 F17編成 AU2X形冷房装置搭載車

421系は401系の交流60Hz版で、
1961年鹿児島本線(門司港-久留米間)の電化開業にあわせて1960年から新製された近郊形電車です。
車体は401系と同様で、クハについては、低運転台でデビューしましたが、クハ421-17から高運転台となりました。
JR九州に承継されたのは、これら後期のグループ(4連×7)です。
国鉄時代、塗装は赤電とよばれていた赤13号の車体にクリーム2号の帯を巻いたものでしたが、
JR九州ではクリーム10号の車体に青23号の帯に改められました。
九州の方々にとっては、新鮮なイメージでとらえられたかもしれませんが、
偶然かどうか、JR東日本の401系などと同系色で塗装され、
私には、独自性−九州らしさが感じられませんでした。

それはさておき、421系の兄弟車というべき423系は、全車JR九州に承継されました。
423系とは主電動機をMT-46(100kw)からMT-54(120kw)に増強したグループで、
1965〜68年に新製されました。
111系と113系の関係と同様のもので、
クハについても同じく、新たな形式は起こされていません。
423系も421系と同様、新製時には冷房装置が付いていませんでしたが、
国鉄末期の1986年から、冷房改造工事を施されることになります。
423系については、
国鉄の定番冷房装置(AU75形集中式冷房装置)も取り付けられたのですが、
九州でしか見られない独自の冷房装置である集分散型のAU1X形、
そして今回話題の中心となるAU2X形床置型冷房装置が装備されました。

そんなわけで、九州の近郊形電車はクーラーがユニークです。
冒頭の画像をご覧ください。このAU2X形のユニークさは一目瞭然です。
なんといっても、個性的なのは天井のキノコ?。
これは、排風装置なのですが、なぜこのようなカタチになったのでしょうか。
それにしても、このように様々な冷房改造車が登場したのは
いったいどういうわけでしょう。

AU75形集中式冷房装置は、国鉄の定番冷房装置となるだけの性能を有した信頼性の高い装置であると思います。
しかし、こいつはでかいのです。
一度トラックに乗せられているAU75形を見たことがあるのですが、
大型トラックの荷台いっぱいに乗せられたAU75形は、
電車の天井に乗せられているのとは全然違う圧倒的な存在感でした。
ですから、新たにこれを電車に載せる場合には、とんでもない大工事になるのはいうまでもありません。

次にAU1X形ですが、ユニットが4つになる分、車体の強度補強はAU75形ほどの工事は必要ありません。
しかしユニットがふえればその分コストはUPします。
AU1X形では、コストを引き下げるために電源に一工夫しました。
AU75形の場合、電動発電機(MG)の容量UPで、電源の確保にあてましたが、
AU1X形では、架線の交流20000Vから、変圧器をへて交流220Vを降圧するという方法をとったのです。
おかげで交流区間でしか冷房が効かないということにはなりましたが、コスト面では絶対有利です。

そしてAU2X形です。
AU1X形と同じ電源を採用することに加え、
AU1X形以上に、設置する際のコスト削減を徹底的に考えた装置となっています。
まず、クーラー本体は、床に置くことにしました。
そこにあった座席を撤去するのですから、
定員減という副作用はありますが、車体の強度補強は最小ですみます。
それだけではありません。
AU2X形にあっては、
なんと側板もそして屋根さえも、新たに穴を開けるということはしないという前提で製作されたのです。クハ421-68 AU2X形冷房装置搭載車

空気を取り込むルーバーの位置とカタチをよくご覧ください。
既設の窓のカタチそのままです。
そして天井の排風装置は、
既設のグローブ形ベンチレータを撤去したその穴の形状を
そのまま利用したものです。
あのキノコの形状こそは、あの小さい穴から、
より多くの空気を排出するがためのスタイルだったのです。
結果42000kcal/h×1のAU75形には及びませんが、
AU2X形は、36000kcal/hという必要十分な能力を持っています。
また外見からは分かりませんが、
冷風ダクトも取り付けが容易な構造となっています。
こうした工夫の結果、
工事経費はなんと1/3!
工期も1/2.5に短縮されました。

もっともいいことばかりではありません。
1台あたり300kgもの重量となる冷房装置を床置きするにあたっては、
床面が経年によりゆがみが生じていたため、
水平に取り付ける際には一台一台細心の配慮が必要でした。
なにせ、空気取り入れ口は既設の窓のカタチをそのまま利用しなければならないのです。
装置に合わせて切り欠くのとはわけが違うのです。
またダクトの取り付けについて、取り付け容易な構造とは書きましたが、
実際、取り付ける際には、車両一両一両ごとに寸法が微妙に異なっており、
そのたびに微調整が必要でした。
実は、現場の苦労が偲ばれる、冷房改造車なのです。

421系については、JRに承継された全車が、このAU2X形床置型冷房装置により冷房改造工事を受けました。
ところで、キノコの位置が違うものが421系にだけ存在します。
それがF17〜19編成です。(編成表93 P127)
ちなみに、この3編成は1988年。
すなわちJR化1年後の4月から6月にかけて、冷房改造工事をうけたもので、
最後の冷房改造車となります。(編成表88 P85)
この時点でJR九州の営業用電車は完全冷房化が達成されました。

さて、ここでF17〜19編成(編成表93 P127)の車番を見てみると…、
421系で最も古い車両のグループです。
JR九州は、最も高齢の営業車両に最後の冷房改造工事を施したということになります。
これは単なる偶然でしょうか。
実のところは分かりませんが、
JR九州は、もともとそう長く421系を使い続ける気持ちはなかったのではないか。という気がします。
421系は111系同様、モーターの出力が低く、いわば足手まといになる系列です。
また、すでに国鉄時代に半数以上廃車されている系列です。

でも、JR九州が、福岡地区の電車をシャトル化し、
列車本数を増やすという施策は当を得ていました。
電車はもっともっと増やしていきたい。
でも、営業環境では厳しいJR九州にあって優先すべきは特急列車のイメージアップです。
他のJR各社に先駆けて、新型特急である783系(ハイパーサルーン)を88年にデビューさせているのがその証拠です。
普通列車については、
「多少問題があっても何とか在来車種で切り抜けよう。
しかし、暑い九州のこと。冷房は欠かせない。
新車がだめでも、せめて100%冷房化を達成しなければ、乗客は逃げてしまう。
となれば、コスト面でも有利なAU2X形を非冷房車すべてに導入しよう。」
ということになったのではないでしょうか。

だからといって、ただ単に安価なものを乗っけておけばよいという発想で
100%冷房化が達成されたとは思いません。
AU2X形冷房装置は、元来、車端に2台並べて設置されていました。
しかし、そこからもう一方の片端へ冷気を送り、なおそこから空気を戻し冷房装置上のキノコから排気していたのです。
冷え方にもムラがあったのではないでしょうか。
AU2X形はもともと2台あるのです。
それなら前後に分散して設置し空調する方が効率的です。
パンタグラフを搭載した車両は無理でも、他の車両は分散して設置できます。
私は、この最後の冷房改造車であるF17〜19編成に搭載された分散型AU2X形こそは、
JR九州が、最後まで冷房装置の改良に取り組んだその証であるように思えるのです。

421系は、1996年までに全車廃車となり、消滅しました。
423系も、AU2X形を搭載したグループは1998年に姿を消しています。
結果から見るとAU2X形の冷房改造車は、8年から10年ほどしか存在していないことになります。
しっかり車体を補強した他の冷房改造車より寿命が短かったのはやむを得ないでしょう。
でも私は、目立ったその姿もさることながら、彼らの存在感のほうが、むしろ大きかったのではないかと思っています。
JR九州のスタートダッシュを100%冷房化で支えた彼らの功績は決して小さくはないのですから。


421系の珍車といえば… モハ420-22の秘密

421系には、サヤ420形という異色の形式が存在しました。
じつは、このモハ420-22は、これを改造した車両なのです。
モハ420-22 サヤ420形改造車
モハ420-22      基山駅

サヤのヤは事業車ということですが、彼らは特殊電源車と呼ばれていました。
さて、どんな仕事をしていたのでしょうか。

1964年。東海道新幹線開業のあおりで
直流電車である「こだま形」151系は、交流区間である九州地区へ乗り入れさせることになりました。
当然そのまま走ることはできません。
下関駅 - 博多駅間については
電気機関車(下関駅 - 門司駅間はEF30形、門司駅 - 博多駅間はED73形)で牽引することにしたのです。
しかし、単に電気機関車に151系を牽引させるだけでは冷房機などのサービス用電源が確保できません。
そこで電源車としてサヤ420形を製造し電気機関車と151系の間に挟んで給電したとこういうわけです。
他の方法も考えられたようですが、
翌年の1965年には交直流電車である481系に取って代わることが予定されていたので、
最も手っ取り早く、かつ後の始末が楽な方法がとられました。
そんなわけで、改造を容易にするために座席は通常通り配置され、
通路やドア部の床などに電源用機器が配置されていたとのことです。
481系導入のあかつきには、当初の計画通り151系は481系に置き換えられ、
サヤ420形は不要となり、モハ420形に改造されました。

新たにクハ421形およびモハ421形が新製され4両編成3本に組成されました。それがF31〜33編成です。

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参考文献;鉄道ピクトリアル 「新車年鑑1988」No496 1988.5 
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