2012/10/19 UP | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
のHP | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
J鉄局TOP>珍車ギャラリー>JR九州 14系15形 特急「富士」+「はやぶさ」
−JR九州 14系15形 特急「富士」+「はやぶさ」 −−JR九州 最後のブルートレイン−−コンテンツ§1:14系15形「富士」「はやぶさ」が登場する経緯。 §2:@号車 スハネフ14-100番台 −−国鉄時代に14系化されました。 §3:C号車 オハネ15-1100番台 −−1000番台ではありません。1100番台です。 §4:B号車 オハネ15-2000番台 −−1人用個室寝台車 「ソロ」。 §5:A号車 オロネ15-3000番台 −−「さくら」が一足早く廃止されたわけ。 §1:14系15形「富士」「はやぶさ」が登場する経緯。2005年、寝台特急「富士」は、特急「さくら」の廃止にあわせ,特急「はやぶさ」と併結することになりました、編成表をご覧ください。
「富士」「はやぶさ」ともに同じ6両編成で、その組成も同じです。 所属も同じ熊本運転所で共通運用となりました。 これが「富士」「はやぶさ」の最後の姿、 つまりJR九州最後のブルートレインということになります。 さて、この時、24系25形編成だった「富士」は14系15形編成と改められたのですが、 この時に14系改造したオロネ25が オロネ15-3000番台です。 (時期は違いますが、14系改造されたものは他に、オハネ15_1100番台;オハネ25_100番台改造 オハネ15_2000番台;,オハネ25_1000番台改造 ソロ) 14系改造するとは、どういうことでしょうか。 また、なぜそのようなことをしなければならなかったのでしょう。 そのことをお話しする前に、ここで、まず、20系以降の寝台特急、 すなわちブルートレインの歴史を「富士」を例にとって振り返ってみたいと思います。 寝台特急「富士」は1964年、20系(品川区)でデビューしました。 東京−熊本.大分間の特急「みずほ」の大分編成を独立させたものです。 1965年以来、西鹿児島−(日豊線経由)−東京間、1574.2kmという国鉄最長距離列車となる「富士」は、 東京を18:00に出発し、終点の西鹿児島には翌日の18:26に到着する(1975年3月の時刻表による) というまさに日本一の風格を備えた寝台特急でした。 (80年に宮崎(90年〜南宮崎)行きとなります。) 1976年10月。 「富士」は「はやぶさ(1958年、東京-鹿児島間にデビュー)」とともに24系25形となり、デラックス化が図られました。 その当時の基本編成(ともに西鹿児島行き)に組み込まれたA寝台車こそが、 オロネ15-3000番台の種車となるオロネ25です。 ブルートレインがもっとも華やかだった時代は、この頃だったように思います。 しかしJR化された86年には、食堂車とAネは基本編成から付属編成(大分、熊本止め)に移動されてしまいます。 より長距離を旅する乗客を優先するべきではないのか。 と思うのですが、ロビーカーも付属編成に連結されてしまいました。
JRへの転換以後も、変わらずの人気を誇るブルートレインでしたが、 人気のほどには実績が伴わないのが、実情でした。 国鉄末期となる80年代前半にはもう、乗客数に陰りが見え始めていたのです。 テコ入れしなければならない一方で、投資には慎重にならざるを得ませんでした。 そんなわけで人気の車両は回転を速くして効率よく運用する必要があったのです。 それでも寝台特急は縮小の一途を辿ります。 93年、TWE、北斗星以外の食堂車は廃止となりました。 94年には、「みずほ」は「さくら」に統合されました。 95年、個室B寝台カルテット廃止。 99年には「さくら」は、熊本止めとなった「はやぶさ」と併結。 14系15形+24系25形という組み合わせとなりました。 (佐世保編成はこの時廃止されています。)
さて、ここで14系を24系に併結するとあっさり申し上げましたが、 実は、とても無駄なことなのです。 14系と24系の違いは、上記の編成表から読み取れます。 14系の特徴は、カニ24という電源車を持たないことです。 もちろん電源が不要ということではありません。 電源車(カニ)に搭載していた発電用ディーゼルエンジンを小ぶりにして寝台車の床下に装架したスハネフ15が、電源を供給しています。 24系のカニは、14両編成であっても1両で電源を供給できます。 能力的にはスハネフの発電用ディーゼルエンジンなど不必要なのです。 ところで「さくら」は、なぜ14系だったのでしょう。 それは、肥前山口で分割し、長崎ゆきと佐世保ゆき 二つの編成を用意しなければならなかったからです。 24系「はやぶさ」も熊本で分割しましたが、切り離された付属編成は車庫行きです。当然サービス電源は無用です。 しかし「さくら」の場合、分割以後も長崎ゆきと佐世保ゆき 双方に電源が必要です。 集中電源タイプの20系時代。「さくら」の佐世保編成は肥前山口−佐世保間用に別途、マヤ20形電源車を待機させていました。 しかし、マヤ20は旧型客車を改造した簡易電源車です。急場しのぎの感は否めません。 双方にカニを連結するよりはましですが、片道1時間ほどのために、手間をかけ、時間も余計にとられていたのです。 そこで「14系さくら」+「24系はやぶさ」です。 廃止になった14系「佐世保編成」を「はやぶさ」に充当するという手があるではないか。とも思えます。 しかしそれはなされませんでした。なぜでしょう。 一つは、「佐世保編成」には「はやぶさ」ほどの設備がないということです。 加えて、もしここで24系「はやぶさ」編成にお暇をだしたとしても、 新たに使えるところがない。という寂しい現実もありました。 14系よりも新しくかつ人気の改造車を廃車するにはあまりに惜しい。 という事情があったのです。 2005年に「さくら」は廃止されました。 「はやぶさ」は、これを機に14系15形となりました。 これまでのいきさつを考えると「何を今更。」というところです。 いえいえ、ちゃんと理由があります。 新たに「富士」と併結することになったのです。 ここでお話は振り出しに戻ります。 97年に大分止めとなり。 99年には「はやぶさ」編成と共通運用になった「富士」編成は、 ともに6連で充分。という状況になってしまったのです。 双方、単独で九州まで走らせる意味がない。 そこで併結運転をするのなら、分散電源形の14系の方が有利です。 24系は、14系や12系といった分散電源方式の客車とは原則として混結できません。 それは、電源車から遠くはなれた客車にまで電気を供給するため、編成全体の通電容量を考慮して、 編成の海側・山側両方に電源用三相交流補助回路の引通しを設けているからです。 そこで、この電源ラインを14系対応すれば、スハネフ14の電源を利用できます。 これがJR九州における14系改造です。 JR北海道でも14系改造を行っています。急行「はまなす」に使用されているスハネフ14-550がそうですが、 こちらは廃車になったスハフ14形から電源用エンジンを再利用しています。(オハネフ25 218.220→スハネフ14 551、552) しかし、JR九州の場合、14系「さくら」が廃止されたことで、 電源用ディーゼルエンジンを搭載するスハネフ14をそのまま転用することが可能でした。 生物の場合、「減数分裂」は殖やすための営みですが、 JR九州は、寝台客車の数を減らしながらも、 24系編成を分裂させ14系として再起させることで、ブルートレインの灯を灯し続けたのです。 14系15形に生まれ変わった「富士」「はやぶさ」についてお話ししてきましたが、 それらを編成する車両の素性はというと、もう少し複雑です。そう、いわば、ワケありの珍車ぞろいです。 さて先に、JR九州の14系改造では電源用ディーゼルエンジンを新たに搭載していないと述べましたが、 次にあげるスハネフ14-101は国鉄時代に電源用ディーゼルエンジンを搭載して14系化されています。 §2 @号車、スハネフ14形-100番台 −24系だった14系寝台車 その1−
14系寝台車は、12系客車(1969年〜)をベースに作られました。 冷暖房用などのサービス電源を、床下のディーゼル発電機でまかなう「分散電源方式」を採用した寝台客車です。 1971年デビューしました。 20系B寝台車の幅を大型化したことが特色の一つですが、中段寝台の自動昇降装置を取り付けたことも変更点です。 面倒で危険な作業でもあった寝台車のベッドの収納などを省力化し、人件費を少しでも削減しなければならない当時の国鉄時代が忍ばれます。 24系のデビューは1973年。14系の後になります。 14系と同じく中段寝台の自動昇降装置を取り付けたことが変更点ですが、 24系が電源車を用意し、ここから客車へ電源を給電する、「集中電源方式」を採用したという点が一番の違いです。このことは前述しました。 でも…「集中電源方式」は先々代となる20系と同様のシステムです。いわば後戻りした格好です。 14系では何か都合の悪いことでもあったのでしょうか。 それはまず、安全性です。 実は14系14形の登場まもない1972年。北陸トンネルで火災事故が発生しました。 事故車となる青森行き 急行「きたぐに」は当時10系客車の15両編成でした。 火災が発生したのは食堂車でしたが、火勢の激しさとトンネル内の暗闇で消火作業は難航。多くの犠牲者を出しました。 この事故を教訓に、地下鉄や長大トンネルを走る車両の難燃化・不燃化の基準が改訂され、車両の防火対策が進められることになったのです。 その時、ディーゼルエンジンを客室の床下に置いた14系の分散電源方式は、防火安全対策上において問題があると指摘されました。 危険性のある装備は、これを電源車に集中し乗客から隔離するという発想です。 あと、床下エンジンの騒音と振動も14系の問題点としてあげられました。 しかし、24系は、長大編成ならば問題はありませんが、短編成でもって様々なニーズに応えてゆこうとする流れにはそぐわないものでした。 加えて、14系の分散電源方式が、防火安全対策上において問題があるというのなら、 ディーゼルエンジンを客室の床下に置いた気動車はどうなるのでしょう。 当然、新型気動車は車体自体を難燃化し、徹底した防火対策を施しています。 「羮に懲りて膾を吹く」とまではいいませんが、分散電源方式を悪者扱いするのは少し的を外れているような気がします。 そんなわけで14系は、1973年製の14形(3段寝台であったB寝台車+A寝台車=188両)のみで生産がストップしていましたが、 1978年、15形(2段寝台で登場したB寝台車のみ63両)にグレードアップする形で、生産を再開しています。 オハネフ24-16〜18は、製造後、早くも3年後の77年、すなわち14系15形が登場する1年前に改造。 床下に電源エンジンと発電機を搭載して14系に編入されました。 これが、スハネフ14-101〜103となるのです。 14系としては5年ぶりの復活です。 14系15形の登場を待ちきれなかったのではなかったかと推察されます。 (102は事故により1982年廃車。103はJR東日本が継承しましたが1998年廃車。) 82年に2段寝台化された101はJR九州に受け継がれ、(85年より熊クマ) 長らく「さくら」に充当されてきました。 そして「さくら」亡き後、「富士/はやぶさ」に転用されることになるのです。 §3:C号車 オハネ15-1100番台 B寝台車 −24系だった14系寝台車 その2−オハネ15-1100番台は、24系25形B寝台車の基本形式であるオハネ25形を14系化したものです。1997年から1999年にかけて8両改造されました。 「さくら」用のオハネ14形基本番台や700番台「カルテット(4人用個室)」が廃車となるその後の穴埋めに転用するためです。 より状態のいい、かつ使い勝手のいいB寝台車を優先的に残してゆこうという姿勢が感じられます。 系列すら入れ替わるというような、改造をした場合、そのままの車番すなわち製造順番号でいられることはまれで、 新たに改造順に番号が割り振られるのが普通でした。 §2では、電源用ディーゼルエンジンを取り付けたスハネフ14-100番台のお話しをしましたが、 ここでは、101〜103が新たに付番されていました。 しかし、オハネ15-1100番台は、系列までもが入れ替わるという改造をしたわけですが、その中身はというと 引き通し線の変更などがなされただけですので、見た目はとくになんの変化もありません。いわば小規模な改造です。 さて、オハネ15-1100番台の種車であるオハネ25-100番台は, 8年の長きに亘って製造されました。 今回改造されたオハネ25-102とラストナンバーの246を較べた時、 車番はどちらがどれだけ古いのか、あるいは新しいのかを如実に現しているといえるでしょう。 JR九州では、このことを重視。元番号に+1000することで種車の歴史を残したのです。 こうした例はJR西日本の113系など、他JR各社でも多く見られます。 それにしても、これらのインフレナンバーから、同仕様の車両がどれほどいるのかは全く把握できません。 私のような車両マニアにとっては残念ですが、車両を維持管理する立場からいうと、車歴が即座にわかる方が重要なのです。 加えて100番台は、上段固定であるということも意味しています。 1100番台という割には1200番台も多いので、1000番台と ひとまとめにしてしまいたいところですが、 そうはゆきません。彼らの番号にはちゃんと意味があるのです。
§4:B号車 オハネ15-2000番台 B寝台車「ソロ」 −24系だった14系寝台車 その3−オハネ15-2000番台はもとオハネ25-1000番台でした。その窓の数が多いことからもわかることですが、多くの個室を備えたB個ネ車両です。 種車のオハネ25-1000番台は、1988年にJR九州が、「富士」「はやぶさ」用に用意したものです。 オハネ25-100番台(101.105.107.110.245)を改造し、オハネ25-1001〜5として再デビューしました。 (なお当時はまだ現番号+1000という割り当てにはなっていません。) 個室の数は18室、つまり定員は18名ですから、決して効率はよくありません。 ちなみにプルマン形のオロネ14形の定員は28名です。 どうして、こういう車両が造られることになったのでしょう。 B寝台は長い間、あくまで輸送力確保の手段と考えられてきました。 ですから定員数の多い開放式寝台車のみが製作されてきたわけです。 最初に個室式B寝台車として登場したのは、オハネ14-700番台。 1984年に「さくら」・「みずほ」用に導入された4人用寝台「カルテット」です。 これとて定員数は32名。三段式のオハネ14-の48名に較べれば少ないですが、二段式に改造されたものと同じ数になります。 でも都合よく4名様のオーダーがあれば、「カルテット」はお値打ちですが、なかなかそうもいかないのが現実です。 「カルテット」は前述のように1995年にその取り扱いを取りやめ、オハネ15-700番台自体も1999年には全て姿を消すことになります。 しかし、個室そのものには強い要望がありました。 それは、プライバシーの確保や防犯意識の高まりによるものです。 国鉄民営化後には、在来客車の改造によって1人用B寝台個室「ソロ」、2人用B寝台個室「デュエット」などが登場。 「北斗星」をはじめとする主要な寝台特急列車に連結されるようになりました。 また、1998年に新造した285系電車「サンライズ」も、個室B寝台を中心とした構成となっています。 さて1人用個室「ソロ」の場合、寝台料金は6,300円です。 設備はカプセルホテル以下ですが、プライバシーを確保できる分くつろげます。 それでいて従来型の開放式寝台とは同料金なのです。 この差は歴然としています。 なぜ、同料金だったのか。私は不思議でならなかったのですが、 ユーザーにとっては、超お値打ちの選択肢です。人気車両となったのは当然のことでしょう。 さて、オハネ25-1000番台が、14系化されることになったのは1999年のことです。 14系「さくら」が、熊本止めとなった24系「はやぶさ」と併結。14系15形+24系25形という組み合わせとなった時点です。 等級こそ違いますが、1999年に全廃されたオロネ14形の後継と考えていいでしょう。 結果「富士」「はやぶさ」から「ソロ」はいったん姿を消すことになります。 かくして改番を余儀なくされたオハネ25-1000番台ですが、オハネ15については1000番台は空いています。(前述の1100番台と競合しない) ですから、そのまま1000番台でもいいわけです。 しかし、外観上からもそうですが、「ソロ」は普通のB寝台車とは違います。 その違いを明確にすべくJR九州は、現番号に1000をプラス。-2000番台を割り当てました。 §5:B号車 オロネ15-3000番台 A寝台車 −24系だった14系寝台車 その4−
1969年等級制廃止以後、特急用として初めて(1972年)登場したA寝台車は「オロネ14形(14系14形)」です。 ついで翌1973年には「オロネ24形(24系24形)」が製造されますが、ともに開放式寝台でした。 (中央に通路を配し、レール方向に寝台を並べる「プルマン式」定員28) どういうわけか20系「あさかぜ」でデビューしたナロネ20形(1人用×10+2人用×4)のような個室「ルーメット式」は作られなかったのです。 20系「あさかぜ」は、その豪華さから国鉄ブルートレインのフラッグシップ的存在でした。その核となるのが個室寝台車です。 14系であれ、24系であれ、 新型ブルートレインには20系を凌駕する豪華さ、快適さを兼ねそなえた個室寝台車を期待したファンは多かったのではないでしょうか。 もちろんこのことだけが理由ではありませんが、 1970年代後半より利用率の減少が顕著となり、国鉄はブルートレインのテコ入れを余儀なくされます。 24系ではB寝台車を2段式寝台(24系25形 1974年)で製作することになりました。 相対的にその価値が低下したA寝台車に於いてもグレードアップする必要に迫られ、1976年、24系に「オロネ25形」が登場することになるのです。 20系客車以降製作されなかった個室寝台車です。 寝台を枕木方向に配置、片側通路とした1人用個室を14室用意しました。 後に「シングルデラックス(DX)」と名付けられます。 個室寝台車は、居住性の改善のみならず、プライバシーの重視の見地からも好評で、 以後、寝台車の個室化が加速します。 オロネ25は、こうした寝台列車高級化の先駆けといえるでしょう。 オロネ25は、当初、東京駅発着の九州特急「はやぶさ」、「富士」、「あさかぜ1・4号」および、共通運用の「出雲」に使用されました。 さて14系はというと、プルマン形のオロネ14形以外は製造されませんでした。 もっとも、JR東日本ではオロネ14形700番台を、JR西日本ではオロネ14形300番台を登場させA寝台車の個室「シングルDX」化改造を行っています。 (種車はオロネ14形 一部オハネ14形) しかし、JR九州では、14系寝台特急「さくら」に相も変わらずプルマン形のオロネ14形を使い続けました。 そして1999年。「さくら」は佐世保編成を廃止、24系「はやぶさ」と併結となり、 これを機に、オロネ14形は全廃されてしまいます。 以後、JR九州では2005年まで,14系のA寝台車は姿を消すことになります。 さて、九州方面へのブルートレインが短編成化の一途をたどり、 JR九州最後のブルートレインとなる、「富士」「はやぶさ」は併結列車となり、そのため14系で編成することになることになったのは2005年のことです。 そう、14系には、もはやA寝台車がありません。 そこで、24系であったオロネ25を転用することになり、オロネ15-3000番台が登場することになるのです。 14系化改造するわけですが、電源用ディーゼルエンジンを搭載するわけではありません。 前節でご紹介したオハネ15-1100番台、オハネ15-2000番台同様、電源はスハネフ14から供給を受けます。 改造ののポイントは、引き通し線の変更です。 ところで、オロネ15形は、ずーっと空形式だったわけですよね。 0番台(基本番台)でいいじゃないか。と思うのですが、 オロネ15には唐突に3000番台が付与されました。 なぜでしょう? §1からお読み頂いているお方は、もうおわかりですね。 オロネ15形は、JR九州における24系→14系化改造の3番目に相当するのです。 @:オハネ15-1100番台 1997年改造 A:オハネ15-2000番台 1999年改造 B:オロネ15-3000番台 2005年改造 JR北海道はJR東日本と「北斗星」を共同運行することからか、寝台車の車番の変更については慎重です。 国鉄時代から寒冷地用に500番台が割り当てられてきたという伝統も引き継いでいるようです。 対して、JR九州は寝台車に限らず大胆に車番の変更を行っています。 でも、大胆というのなら、なぜJR九州は、「さくら」のテコ入れをしなかったのでしょう。 すなわち…オロネ14形の個室改造です。 「富士」「はやぶさ」用に用意したB個室「ソロ(オハネ25-1000番台)」が登場したのは1988年。 アメニティの点でオロネ14形を上回るB個室「ソロ」が同じ東京駅を出発し九州へ向かっていったのです。 私は「さくら」のA寝台車に高い寝台料金を払う気にはなれませんでした。 「さくら」の廃止を待たずしてA寝台車が先に姿を消したのは無理からぬことです。 1992年、24系25形「はやぶさ」と併結することになった「さくら」には、もはやA寝台車はありません。 その代わりに§4でお話ししたオハネ15-2000番台「ソロ」が連結されたわけです。 確かにぐっとお値打ち感はUPしました。しかし、それでも「さくら」は所詮モノクラス特急のまま…。 「さくら」のブランド回復には至らなかったのです。 「さくら」が、「富士」や「はやぶさ」に先がけて、姿を消した理由…。 それは、「さくら」がブランド力を失ったからではないでしょうか。 参考文献 ブルートレイン 三宅俊彦氏 JTBキャンブックス 2009年 鉄道ピクトリアル 特集 14系24系 寝台客車 T/U No'791 /792 2007.7/8 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鉄道写真管理局 (JR/JNR)へ (私鉄/都市鉄道編)へ 鉄道車両写真集INDEX 鉄道切符管理局 ローカル線切符紀行へ リンク集へ 鉄道資料室へ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
のHPです |