鉄道写真管理局 珍車ギャラリー
  JR東海 113系T編成  2010/03/20UP
2011/11/25更新
JS3VXWのHP toppageへリンクHP  
 J鉄局TOP珍車ギャラリー>JR東海 113系T編成(JR東日本乗り入れ用 ATS-P形搭載車 )

東京行き−JR東海113系 T編成(JR東日本乗り入れ車 )

 JR東日本乗入れ用ATS-P取付車
−鉄道車両写真集−
JR東海 113系T編成(JR東日本乗り入れ用 ATS-P形搭載車 )
 の車両たちへJUMP
 JR東海 113系T7編成 クハ111-738          有楽町駅 
違う鉄道会社の車両が混結して走るという例は
あまりありません。
私鉄同士では、
東武鉄道6050系+野岩鉄道6050系(61100番台) 
東武鉄道6050系+会津鉄道6050系(61200番台)
くらいでしょうか。
JR関連でいうと。
JR四国2000系+土佐くろしお鉄道2000系があります。
でも、ともに同系列の車両で、よほど
注意深く見ないと別会社と気付くことはありません。
なお前者は東武鉄道に、
後者はJR四国に車両の管理も一任されています。

異種混結となると、かつて
JR西日本183系800番台+KTRタンゴディスカバリー
というのもありましたが…。

もっともJR同士となりますと話は別です。
かつて寝台特急であった「さくら」「みずほ」は
@〜G号車までが、JR東日本(品川運転所)所属、
H〜M号車まではJR九州(熊本客車区)所属
の14系客車でした。
ついでに機関車はというと、
東京−下関間はJR西日本(下関運転所)のEF66形、
下関−門司間は、JR九州(大分運転所)のEF81形。
九州内はもちろんJR九州で、
ともに大分運転所のED76形が担当しました。
JR各社が総出で協力し合っていたのがわかります。

(しかし、調整は結構難航したのでしょう。
JRの長距離列車はその数を大きく減らしてしまっています。)

長距離列車ばかりではありません。毎日利用する通勤列車にも混結はありました。
国鉄時代、静岡運転所に配置された113系4両編成(17本)は、T編成と呼ばれ、
1986年11月から東海道本線東京口に乗り入れていました。
JR化以後、このT編成はJR東海に引き継がれ、そのまま東京駅まで乗り入れ、
JR東日本の113系と併結運転を行ってきたのです。

なぜT編成が必要とされたのでしょう。
現在、静岡県内の東海道線ローカル列車の基本編成に4連も必要ありませんが、
国鉄時代は、4連以上が基本でした。しかし、JR化が迫る頃に、デビューした211系は基本が3連。
もとは飯田線用の119系(2連)も「するがシャトル」として本線にデビューと短編成化が進みます。

一方首都圏の混雑は増加の一途を辿ります。11両編成には増結の4連が欠かせない存在となってきました。
そこで余剰気味であった静岡区113系4連にお呼びがかかったというわけです。

加えてT編成は、伊東線から伊豆急行線に乗り入れる運用にも使用されました。
4+4の8連が基本でしたが、4連でも使用され手頃な長さが重宝されたようです。

JR化されるにあたって、これらT編成をごっそり国府津区に移籍させるという手もあったかもしれませんが、
すでに368両という数を抱えていた国府津区にあっては、
新たに68両を一気に引き受けるだけの余裕はなかったものと思われます。

T編成は静岡区のままJR東海が承継することになりました。

さて1993年10月。
JR東日本は、東京駅 - 小田原駅でATS-P形の使用を開始する旨通告してきました。
T編成(JR東海)も同様の対応工事をしないわけにはいきません。
1992年から1994年にかけ、
JR東日本と同様のATS-P取付改造が施工されることになりました。
これに合わせて全車両に110km/h運転対応のブレーキ力向上工事が施工されています。
JR東日本は、いざ知らず、JR東海では、T編成だけが対応すればいい話なので、
他編成と区別できるよう改番することになりました。(改番は1994年2月)

東京側(奇数向き)クハ111形は700番台(2000番台車は2700番台)、
それ以外の車両は600番台(2000番台車は2600番台)に改番されました。
番号の対象は以下の通りです。

東京側15号車 (奇数向き)クハ111形
クハ111-203・204・206・207・209・213・221・238・241・247・251・195・197・
  →703・704・706・707・709・713・721・738・741・747・751・795・797
クハ111-2107・2122・2133
   →2707・2722・2733

静岡側12号車(偶数向き)クハ111形
クハ111-508・509・510・511・512・513・514・519・524・530・531・542・544・546・
   →608・609・610・611・612・613・614・619・624・630・631・642・644・646・
クハ111- 2022・2032
   → 2622・2632

13/14号車 モハ113/112形-
モハ113/112-302・307・233・234・247・248・249・254・276・277・280・288・
     →602・607・633・634・647・648・649・654・676・677・680・688・
モハ113/112-2075・2084・2087・2097・2098
     → 2675・2684・2687・2697・2698

ご覧いただければおわかりいただけると思いますが、
車号は百の位を6、7に変更しただけなので
700番台に元番号と順番が入れ替わる、
つまり古い電車なのに番号だけは若いという車両が発生しています。(太字)
それだけではありません。
この改番で113系の700番台と2700番台があらたに起こされたのですが、
113系の700番台と2700番台は、国鉄時代にすでに存在しており、
それらは、湖西線、草津線むけに作られた耐寒耐雪装備の113系となっています。

できれば空いていた600番台で統一したいところです。
しかし600番台で統一することができなかったのは、種車の番号を残したことに尽きます。
かつて湖西線、草津線むけの113系700番台と2700番台においては、
偶数向きクハ111形を区別する際、+50することでこれを解決したのですが、
T編成の場合、251・195・197の3両がいるためにそれはできなかったのです。

113系の700番台と2700番台は、JR西日本の所属となり、1991年に
高速化対応工事を施された際に+5000を加えたカタチで改番されており、
1994年当時はすでに存在していなかったので、
結果として113系は、同時に番号が重複することはありませんでした。
JR東海は、合理的な改番をしたということになるでしょう。
まあ、もとより重複しても何の問題もなかったでしょう。
JRとなり、番号の付与も基本的にはJR各社独自の裁量でなされるようになりました。
事実、ジョイフルトレインには重複する番号の車両が存在します。
でも国鉄時代なら、番号の重複はもとより、
その可能性をふくむ改番もあり得ないことでした。

113系の700番台と2700番台は、
本来、湖西線、草津線むけに作られた耐寒耐雪装備の113系です。
しかしJR東海には湖西線も草津線も存在しません。
JR東海の113系700番台と2700番台は、
あくまでJR東日本乗り入れ用のT編成を区分した車番なのです。

T編成は、2004年10月から始まった
JR東日本E231系の投入による国府津区の113系の置き換えにあわせて、
東京口での運用を終了しました。

その後は、しばし自社線内のローカル運用で使用されたT編成でしたが
その際、元番号への復帰することはありませんでした。
東京地区での過酷な運用がたたり、加えてJR東海線内で活躍する機会に恵まれないT編成は
2000番台でさえ、他の113系より一足早く、2007年までに全車廃車となってしまいました。

もはや、T編成であったということ以外に
こだわるべきものは何もなかったと言うことになるのでしょう…。

ところで、なぜJR東海は、東京乗り入れを継続しなかったのでしょう。
東京-熱海間は、JR東日本屈指のドル箱路線です。
そこへ出稼ぎに行くわけですから、相応の実入りはあったはずです。

うがった見方かもしれませんが、私には
JR東日本が、JR東海をドル箱路線から駆逐したい
という思惑があったのではないか。と考えています。
というのもJR東日本が、113系の後継である近郊形車両に
JR東海が、合わせてくるようなことは、
よもや考えられないE231形を採用したということです。

まずドアの数です。
JR東海は113系の後継となる近郊形車両に3ドアを採用しています。
しかし、JR東日本は、4ドア車であるE231系を後継車に採用したのです。

加えて、編成の構成です。
E231の先輩格にあたるE217が113系と同じ
基本11連+増結4連であるのにもかかわらず、
東海道線用のE231系は基本10連+増結5連となりました。

静岡区で、短編成を中心に運用しているJR東海にすれば、
5連を自社内で運用するのはやっかいです。
JR東日本管内での限定運用となれば、
JR東日本の言いなりになるしかしようがありません。
加えて、もはや3ドアの313系では、乗客の支持を得られません。
さすれば、JR東海所属のE231系?。
それはさすがにプライドが許さなかったようにも思います。
新幹線品川駅開業(2003年9月)に向けても、
JR東海は、あまり既得権を強く押し出せなかったということもあったかもしれません。

JR東海は在来線において、東京駅から撤退することとなったのです。


 補注 2000年にT編成を解かれたT編成の一部については、、
先頭車が元番号に戻されています。

クハ111-797・704・751、611・619・622
   →197・204・251、511・519・522

−鉄道車両写真集−
JR東海 113系T編成(JR東日本乗り入れ用 ATS-P形搭載車 )
 の車両たちへJUMP

参考文献;JR全車両ハンドブック 1995」 1995.8
J鉄局 トップページへ  鉄道写真管理局 (JR/JNR)へ (私鉄/都市鉄道編)へ 鉄道車両写真集INDEX 
 鉄道切符管理局 
ローカル線切符紀行へ  リンク集へ   鉄道資料室へ
JS3VXWのHPです