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2013/03/10 UP |
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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>JR西日本 福知山電車区の183系たち
この春(2013年3月)、いよいよ福知山電車区の183系が引退します。 また一つ、国鉄形が姿を消すわけで、寂しい限りですが、実はこの183系、 その全てが改造車で、種車がこれまた全て485系という、いわく付きの車両なのです。 まあ、簡単にいってしまえば、 「交流電化区間から直流電化区間をまたいで運行してきた交直流電車(485系)を新たに直流電化された区間へ転属させるにあたり、 交流機器を取り外し直流電車(183系)化したもの。」 ということになるのですが、実際はもう少し複雑です。 時代順に整理しながら、183系の珍車たちをご紹介したいと思います。 −§1 1990年−特急「北近畿」用183系登場−まず、福知山区183系の基本となる183系700・800番台についておさらいしておきます。福知山線及び山陰本線(福知山 -城崎間)直流電化(1986年11月)に伴う 新設L特急「北近畿」用に転用すべく485系・489系の交流機器を取り除くことで発生したグループです。 ところが、改造されたのは、いつか?というと…90〜91年です。 つまり、電化開業以来5年のブランクがあるのです。 じゃあ、それまではどうしていたのか? 実は485系のままで走らせていたのです。 →485系時代の特急「北近畿」はこちらをご覧ください。 電化開業当時、福知山区へやってきた多くは日根野区からの転入車でした。 特急「くろしお」を担当する日根野区ですが、「くろしお」も直流区間のみの運行です。 381系だけでなく「くろしお」もまた、電化当初、交直流電車である485系で運行していたということですね。 国鉄末期でしたから、新型直流電車を用意できなかったという事情があったのです。 それどころか、会計検査院から「いたずらに形式を増やすな。」というお達しもあったようです。 いらないものをぶら下げて走っているというのもいかがなものか?とも思いますが…。 なお、参考文献によると、再度、雷鳥用として転用することも視野に入れていたようです。 さて、日根野区の485系もそれ自体、日本全国から集められたものですが、 「北近畿」用にも、その不足分を補うべく勝田区や南福岡区などから485系が福知山区へやってきました。 はみ出したものを寄せ集めたというわけではないでしょうが、 先頭車改造を施したもの、半室をグリーン室にしたものなど個性派が集結しました。 それにしても直流区間だけなのに、全て485系(交直流車)で揃えたのは、妙だなと思いませんか? オリジナルの183系や189系だっていたわけです。 これが答えになるのかはわかりませんが、5年後の1991年に、 JR西日本は七尾線電化にあわせて福知山線用の直流電車113系800番台に485系の交流機器を取り付け、 交直流電車(415系800番台)を登場させています。 交流機器は、高価なデバイスです。 ひょっとしたら、機器を転用することを予想して485系を集めたのかもしれません。 415系800番台については珍車ギャラリーで取り上げています。こちらもご覧ください。 結果、残されたCS15制御器、MT54モータ、そして3.50の歯車比という組み合わせは、オリジナルの183系と同じということになりました。 そこで、福知山区の485系たちは直流用特急電車である183系を名乗ることになったのです。 この時に揃えられたのは、G編成(4連×7)と、増結用の中間車ユニットであるGU編成(2連×4)で36両です。 (485系の中間車ユニットも一部残されました。多客時には183系と485系の併結編成が見られたのです。) ここで注目すべき珍車は、なんといってもクハ183_750番台でしょう。 サハ489を先頭車改造したクハ481_750番台が種車となります。 JR西日本には751.2の2両が継承され、この2両を直流化改造したものです。 チャームポイントはクーラーです。 クハ481形の300番台に相当する非貫通の先頭車でありながら、AU12形クーラー(キノコ形)を搭載するという珍車です。 →クハ481-751はこちらを →クハ183-752はこちらを 次は、というと、クロハ183_701ということになるでしょう。(このページTOPに画像あり) クハ481_354を種車とするクロハ481_302の改造車で、この番台区分に属する車両は1両しか存在しません。 あとのクロハは、クハ481_200番台を種車とするクロハ481_200番台の改造車です。 もっとも、このクロハ481_800番台の貫通路は使用されていないので、使用する段には区別されていません。 §2 1993年−山陰本線電化=北近畿ビッグ X ネットワーク完成−1996年3月。山陰本線(園部 - 福知山間)および北近畿タンゴ鉄道(福知山 - 天橋立間)が電化されました。これを機に、京都から 城崎ゆき「きのさき」 福知山ゆき「たんば」 天橋立ゆき「はしだて」 がデビュー。 加えて、大阪からの「文殊」と「北近畿」とを合わせて、北近畿ビッグXネットワークが構成されました。 この時、T編成が登場しました。 681系サンダーバードは94年から96年にかけて量産されるのですが、 それに押し出されるカタチで大量に直流化され福知山入りしたグループがT編成です。 前述の「北近畿」用183系が国鉄色がベースだったのに対し、T編成はJR西日本色に改められ、イメージアップを図っています。 加えて、@号車にクロハではなくクロを連結する点が違います。 なお、シート配置は1×2、腰掛けはサンダーバードと同等品です。 増結用の中間車ユニットTU編成(1〜5)を含めて6連×7本分、42両が用意されました。 ここで注目すべき珍車は、まずはクロ183_2751ということになるでしょう。 クハ489-703を種車とする改造車で、この番台区分に属する車両は1両しか存在しません。 あとのクロは、クハ481_200番台を種車とするクロ183_2700番台(2701〜06)です。 →クロ183-2751(画像捜索中) →クロ183-2701はこちらを 画像が見当たらないことのいいわけをするわけではありませんが、この二つを外見上区別することはちょっと難しいです。
§3 2003年 183系200番台登場C32編成 +A41編成クハ183_709-モハ182_202-クモハ183_202+クハ183_206-モハ183_806-モハ182_702-クロ183_2701 (もと モハ484_318-クモハ485-202+クハ481_263) 2001年から2003年にかけ、683系が投入され、485系には余剰車が生じていました。 「しらさぎ」も683系化されたわけですが、この「しらさぎ」編成は米原で分割併合をするため、 電気連結器・自動解結装置を装備していました。 これらを、綾部駅などでの分割併合の際に活用しようというわけです。 この時に追加された183系は200番台を名乗ります。 もっとも、「しらさぎ」編成をそっくり持ってきたわけではありません。 「しらさぎ」は3連+7連でした。それほどの量はいりません。 むしろ必要なものは、先頭車だけといっていいでしょう。 しかし、中間車であるモハ484まで、183系(200番台)改造をして福知山入りさせています。 なかよくペア(MMユニット)でお輿入れしたということですね。 「納得!」と言いたいところなのですが、このM-Mcのペアは編成表のデータによると、 この改造を機に全てスワップ、つまりお相手を交換しているのです。 加えて、183系200番台は、交流機器を使用停止して改番したグループです。 つまり使いもしない交流関連機器を抱えたまま導入されたのです。 前述したように、183系は交流関連機器を撤去しており、 特に、モハ182なんかは、モハのくせに、サハではないかと思えるくらい床下がスカスカです。 身軽になった、モハ182にクモハ183を連結することはできなかったのでしょうか? どうして改番までしてモハ182-200番台を導入したのか。 私にはわかりません。(ちなみにモハ183は基本的に種車のまま) 技術的に合理的な理由がきっとあるのでしょう。
§4 クハ183形600番台さて、§3の編成図で示したように「A編成のクハには電気連結器付きの200番台がもれなくついている。」 といいたいところなのですが、A43編成には、クハ183_601がついています。 A43編成 +クハ183_601-モハ183_810-モハ182_706-クロ183_2703 さて、クハ183_601とは何者なのでしょう? 調べてみると、クハ489_605を改造したものでした。 489系は485系の信越本線用バージョン。つまり碓氷峠を越えるスペシャル仕様です。 489系についてはこちら(珍車ギャラリー:JR東日本の489系)もご覧ください。 そしてクハの600番台とは、碓氷峠のシェルパ(後押し機関車)であるEF63形を連結するサイドに配置されたTcです。 クハ481形でいえば200番台に相当するデザインですから、他のクハ183系200番台と同じマスクということになりますが、 連結部は前述した使用目的から当然のごとく強化されています。 JR西日本には、604と605の2両が継承されていました。 そして、605については「しらさぎ」用7連に使用され、連結器も電気連結器に取り替え済みだったのです。 これを利用しない手はありません。 というわけで、183系のA編成に組み込まれたのですが、同じように200番台を付与されても良さそうなものです。 しかし、489系として横軽時代の600番台を付与されました。 600番台が空いていただけのことだよ。といわれればそれまでですが、 きっと彼のルーツについて知っていた人がつけたのに違いない。 と私は思っています。 参考文献:鉄道ピクトリアル 新車年鑑 1991年版 No550 1996年版 No628 2004年版 No753 |
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