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2007.4.15UP | ||||||
J鉄局TOP>珍車ギャラリー>京成のインバータ制御試作車3200形 3291-94京成のインバータ制御試作車 3291-94の秘密京成電鉄3200形 (T台車を併せ持つ電動車)3200形は昭和39から42年にかけて作られた通勤用車両です。前年度に作られた3150形との違いは、直通運転する都営地下鉄の延伸に合わせ、ラッシュ時対策として両開きドアを採用したことにあります。 外見だけではありません。とりわけ3221以降については、通称6M車と呼ばれ、4両とも電動車でありながら、両端の先頭台車はモーターのないT台車となっているのです。 当然3201-20とも性能を揃えるため、出力を75から100kwにアップしています。(ともに編成総出力は600kw) 一方モーターのないT台車には電気ブレーキは作動しませんから、T台車のみ空気ブレーキを別あつらえして、他の車両とブレーキ力を合わせています。 特急開運号(1600形)の後継となる3291-98セミクロスシート車さて先ほど3200形は通勤電車だといったのですが、実は最後に(昭和42年12月)登場したグループ(3291-98)は、セミクロスシート車として登場しました。シートピッチの関係上、車体も片開きドアに逆戻りしました。3150形にも3ドア片開きのセミクロスシート車(3191-94)が存在するのですが、見た目は、これと変わらない車両となってしまったわけです。 何故このような車両が、登場したのでしょう。 それは京成の特急専用車(=湘南電車(80系)のようなマスクをもつ2ドアロマンスカー)1600形が、引退の時期を迎えていたからです。 とはいえ見た目、いかにも通勤電車である3291-98が好評を博したとは思えません。 結局、成田空港の開港が遅れたことにより身をもてあましていた旧AE車にその仕事を譲ることになり、 昭和48年(成田空港開港の5年前)、5年あまりで特急車としての地位を追われてしまいました。チョット気の毒な気がします。 VVVF試作車として、再デビューする3291-94昭和60年。3150形に引き続き、3200形も車両の更新とともに冷房化工事が施されます。さて彼らのうち、もと開運号の3191-94は、京成初のインバータ電車として登場することになりました。 なぜ彼らに、白羽の矢が当たったのでしょう? 私は、彼らが片開きであるが故に、都営地下鉄に乗り入れることがなかった分、自社線での運用に限定されていたのがその原因ではないかと考えています。 昭和60年当時、インバータ制御は、もはや珍しいといえるものではありませんでした。 ただインバータ制御のメリットである電力の再利用は、一般には頻繁に起動、停車を繰り返す各駅停車において顕著なものです。 しかし京成は、ほぼノンストップ運転のスカイライナーに、これを導入しようと考えていたのです。 平成3年、成田空港ビル直下に新駅が開業することになりました。その時、新生JRは、253系N’EXを導入し勝負を挑んできました。 ノンストップ運転とはいえ、カーブが多く線形に恵まれているとは言い難い京成は、旧AE車においても定速度制御を導入するなど、 自社線内における東京(上野)−成田空港間60分運転に心を砕いてきたのです。 3291-94は、そんな新型スカイライナーAE100にインバータ制御を導入するデータを提供したのです。 実際にスカイライナーに乗ってみると、思った以上にノッチのON、OFFが繰り返されており、十分な電力回生率が見込まれるように思えました。 3291-94は残念ながら平成16年に廃止されてしまいました。 しかし、短い期間ではあっても特急車として先輩格だった彼らは、不遇な後輩(旧AE車)にその仕事をゆずるかたわら、 普通電車に身をやつしながらも、京成線内を走るそのすべを次世代の後輩に残して消えていったのです。
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