![]() |
2012/10/19 UP | ||||||||||||
J鉄局TOP>珍車ギャラリー>京成電鉄 旧3000系 3000形
−都心に乗り入れる熱い思い−京成電鉄 旧3000形−京成3000形当初、「青電」塗装で登場した3000形は、そのスタイルからしても、 750形(1954年〜製造。京成初の本格的なカルダン駆動車)と見た目、大差はないように見えました。 しかし、その開発意図は大きく違っていたのです。 3000形に課された課題。それは1960年に開業する都営地下鉄浅草線と相互直通運転するというです。すなわち3000形は京成電鉄初の地下鉄乗り入れ対応車両となります。 いや、3000形は、地下鉄路線に乗り入れる郊外形の電車として、初めての存在となるエポックメイキングな存在なのです。 (厳密に言えば1931年に開通した阪急京都線(旧 京阪電気鉄道 新京阪線)の西院 -大宮(旧 京阪京都)の地下線区間が、 この先例となるのでしょうが、京都の「地下鉄」として同区間を認識している人は、おそらくいません)。 それまでの地下鉄は、従来の鉄道とは異なる別の存在で、都市の地下に穿たれたトンネルを走行する閉じられた存在だったと申せましょう。 すなわち、銀座線(1927年)、御堂筋線(1933年)、丸ノ内線(1954年)、東山線(1957年)こそが、いわゆる地下鉄でありました。 郊外形の電車が都心の地下鉄路線に乗り入れるということは、 現在では至極当たり前のことですが、実質、この都営1号線すなわち浅草線に乗り入れる京成3000形こそが、その第1号なのです。 第1号であるからして、越えなければならないいくつものハードルがありました。 まず、何はさておき安全面での対策です。 地下鉄線内で火災が起こった場合を想定して、その対策を施す必要があります。 3000形は地下鉄に乗り入れるためA-A基準による車体不燃化対策が施されています。 加えて浅草線は、京急との相互乗り入れを前提としていたので、 17m級だったそのサイズを改め、京急と共通の18m級にストレッチしました。 扉の位置が微妙に異なるわけで、整列乗車をする乗客が混乱する結果を引き起こすことになるわけですが、あえてこれも受け入れました。 そして、最も難儀な問題。それはレールの幅です。 都営1号線すなわち浅草線は京急の1,435mm軌間で建設が進められていました。 一方、京成電鉄のレール軌間は1,372mmでした。 (ちなみに京成電気軌道は創始期において、東京市電(後の都電)との接続駅であった押上駅をターミナル駅として位置付けていました。 そして当駅からの都電乗り入れを想定し、これに合わせるカタチで1,372mmとされたのだそうです。) 京成電鉄は、これを1,435mmに改軌することを決断したのです。 1959年10月9日から、12月1日にかけて、 京成全線を13の工区に分けて改軌工事が行われました。、 これに合わせて、車両の改軌工事も行われたわけです。 周到な準備がなされたことでしょう。思えばとんでもない難事業です。 なぜ京成が1372mmから改軌して都営と共に京急の1435mmに統一することとなったのか。その経緯は他に譲ることとして…。 3000形も1,372mmだった台車軌間を1,435mmに変更します。 台車は車軸を交換するだけで軌間変更が可能な構造となっていました。 京阪の旧3000形(1,435mm)が富山地方鉄道(1,067mm)に転出するのに、 軌間の違う台車に履き替えて軌間変更をしたという例はあります。 しかし、製造当初から軌間変更を意図して製造された車両は京成3000形だけです。 「青電」塗装でデビューした3000形でしたが1960〜61年にかけて、3050形と同様の 「赤電」塗装(ツートンカラー)に変更されました。 心機一転、都心に乗り入れる熱い思いを表しているようです。 さてそのような経過で登場した3000形は、1958年に 3001〜14(2連×7本=14両)が新製されました。 オールMのカルダン駆動車で、モーターの出力は75kWで統一されてはいるのですが、 3001〜3008は汽車製KS-114台車・TDカルダン・東洋電機製TDK810/2Dモーター、 3009〜3014は住金製FS-318台車・WNカルダン・三菱電機製MB3028Dモーター と2パターンがあるのもおもしろいところです。(両者は混結可能) このように台車・駆動装置・モーターの製造会社を2通りの組合せで発注するという方法は前述した750形からの承継ではありますが、 以後これが1972年製の3300形まで続きます。 足回りだけではありません。 思えば、この3000形をはじめ、3050形・3100形・3150形・3200形・3300形と、 総じて「赤電」などと呼ばれるようになった旧3000系列のデザインおよび設計は、 この3000形がベースになっているのです。 3300形でさえ、もはや、地下鉄線内乗り入れの運用は見られませんが、 現在、懐かしの塗装に改められ、最後の活躍ぶりを見せてくれています。 彼らをご覧になった折りには、 改軌当時の困難を乗り越え、 後の京成電鉄の車両に大きな影響を与えた旧3000形のことを思い出してやっていただけたらと思います。 参考文献 鉄道ピクトリアル 特集「京成電鉄」 2007年版 No787 保育社版 私鉄の車両12「京成電鉄」 カラーブックス 568 「日本の私鉄15 京成」1982.5 旧3000形の対する更新工事は1977年から78年にかけて施工されました。 初期車については4連に固定化。(02・03・06・07の運転台を撤去し中間車化)、 後期車についても中間車化、2両ユニットで3050形(3000形)の基本4連に挟みこみ、 6連を組成することになりました。 1980年より、ツートンカラーの赤電色からファイアーオレンジ1色の塗装(新赤電色)に変更されています。 しかし冷房化はなされませんでした。 そのために短命で北総開発鉄道が開業した1991年に運用を離脱、廃車解体されました。
|
|||||||||||||
![]() |
鉄道写真管理局 (JR/JNR)へ (私鉄/都市鉄道編)へ 鉄道車両写真集INDEX 鉄道切符管理局 ローカル線切符紀行へ リンク集へ 鉄道資料室へ |
||||||||||||