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2006.12 .17UP 2008/12/09追補 |
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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>京阪3805 ダブルデッカー
*8000系と共通化改造された M車のモーターは、TDK8160C 175Kw*4 ギヤ比5.25 制御装置は、ACRF-H8175-792Aで8000系と全く同じ。 京阪特急 最後の3000系−なぜ3505編成だけが生き残ったのか。私にとって、京阪特急といえば、3000系です。阪急京都線沿線に住む私にとって、川向こうの京阪に乗ること自体が少なく、馴染みもないのですが、 なかなか乗れないだけに鴨川べりをしずしずと走る、 ライトオレンジとカーマインレッドの特急専用車−3000系の姿に憧れる気持ちが強くありました。 ある日、辛抱できずにわざわざ京阪廻りで京都へ行ったとき、当然、この3000系に乗ったのですが、 淀屋橋の駅で一斉に転換する座席に思わず「おおっ。」と声を上げ、 横置きシリンダーで2レバー式の運転台に目が釘付けになったのも懐かしい思い出です。 しかし、3000系は、わずか20年ほどで主役の座を8000系に譲ることになるのです。 −いったい何故でしょう。 1989年10月。鴨東線の開業により、京阪特急は、出町柳が起点となりました。 このことで不足する車両を補うために開発されたのが、8000系です。 老朽化した?3000系を淘汰するのが目的だったわけではありません。 とはいえ競争の厳しい京阪間において、3000系の後継となる8000系はやはりハンパではありませんでした。 ブロンズ色の大型連結窓はゴージャスで、3000系譲りの美しい内装と相まって大幅にイメージアップがなされました。 また6連が主体だった3000系にあっては、この8000系の中間車が、組み込まれオール7連となったわけですが、 同一編成に組成されてしまったことで、あの名車3000系でさえ見劣りがしてしまうことになりました。 このことが、3000系の引退を早めた理由ではないかと思うのです。 実際、この混結編成は、2年ほどで解消されるのですが、その分3000系は姿を消してゆくことになります。 わずか20年ほどで姿を消してゆくそのウラには、鴨東線の開業が大きく影響しているものと思われるのです。 阪急の特急専用車 2800形が通勤形車両と姿を変え存続したのに対し、 より特急用として特化した3000系は1900系のように改造されることもなくひっそりと姿を消してゆきます。 車齢が若いこともあって、富山地方鉄道や大井川鉄道に一部引き取られますが、 短編成で狭軌の台車を履く3000系はやはり哀れです。 先日、富山地方鉄道で10030形となった3000系に乗車しました。 健気にもローカル列車用としてワンマン運用に就く彼女らでしたが、明らかに色あせた車内に涙が出そうになりました。
*3108(M )→3155(M3)に。(3055とMM’ユニットを組む) *3106(M )→3205(M2)に。(3105とMM’ユニットを組む) *3606(T)→3855(TD)に。 *3506,3005→保留車
*3506(Tc)を3655(T2)に改造,もう一台の保留車3005は廃車 そんな不遇な仲間たちがいる一方で、まだ1編成だけ、3000系が特急用としてまだ運用を続けているのです。3505編成です。 京阪特急は現在8000系×10編成に、3000系×1編成を充当していますが、95年12月以来、10年以上この体制です。 どういうわけか3505編成だけが、改修工事を施され、8000系と同等品で足回りを固め内装も一新したのです。 −でもなぜ、1編成だけ? 鉄道ピクトリアル#695や、新車年鑑などでは、 検査態勢の見直しなどの事情により、特急車の予備車率を高める必要があったとされていますが、 ひょっとして、その鍵を握るのは、今回ご紹介する3805ダブルデッカーではないかと私は思っているのです。 鴨東線の開業により、便利になった京阪特急ですが、 京都における中心的ターミナルである三条からでは、座れないという困った事態が生じてしまいました。 今は枚方市など途中駅にも停車するようになりましたが、かつて京阪特急は、七条を出ると京橋までノンストップです。 七条で座れなかったときは本当に悲しい。 スピードだけでいえば、JR京都線にも阪急京都線にも勝てない京阪特急です。 座れるというサービスを提供することは重要なことなのです。 そのためには、列車を増発するという方法があります、編成両数を増やすという方法もあります。 しかしそのためには、車両数を増やす、設備を改めるなどコストがかなりかかってしまいます。 そこで、もっともお手軽な方法といえば、車両の座席そのものを増やすと言うことになるでしょう。 そこで浮上してくるのが2階建て車両です。 もっとも、乗り降りに時間がかかるなど運用上の問題に加え、車両の構造にも問題がないわけではありません。 軌道線がルーツである京阪において、車両の基本サイズはJR等よりも2M短い18M級です。 台車間に十分な2階建て部分を確保できるのか? 2階建て車両自体は、近鉄のビスタカーをはじめ、決して珍しいものではありませんが、 京阪において、それが吉と出るか。凶と出るかは大問題だったわけです。 でも、2階建て車両が可能なら、それはやはり乗客の注目を浴びます。 京阪は、独自に試作車を製作することで、この夢にチャレンジしたのです。 ここで、退役途上の3000系に白羽の矢が当たったというわけです。3606を種車に大改造が始まりました。 京阪の車両は、川崎車両とその後継の川崎重工製でそのほとんどを占めます。 その一方で、2600系など車体を更新するカタチで、自社工場においても、新たに車両を作り出せる技術を持っているのです。 この技術が遺憾なく発揮されたのが3805(登場時は3855)ダブルデッカーだったのです。 もちろん単に座席を増やしただけではありません。座り心地にもこだわり、ノルウェー製のシートを導入しました。 外観についても視線の高さにあたる部分が間延びしないよう、時代祭の行列イラストを取り入れました。 95年12月。3855ダブルデッカーを含む3505編成は、デビューしました。大人気だったのはいうまでもありません。 8000系にあっては、3855で得たノウハウを駆使し、97年より8801形ダブルデッカーを増備、8両編成となりました。 3000系も保留車だった3506(Tc)をT化し8連化。現在の体制が整います。 もし、京阪がダブルデッカーの試作車を自社で作り上げるだけの力がなかったら、 また仮に、出来たにせよ、3855ダブルデッカーが失敗作だったら、 3000系最後の一編成は、もう京阪から姿を消していたのではないでしょうか。 8000系が名車であることについて異論はありませんが、私個人としては3000系のほうが魅力的です。 その端正なスタイルと上質な内装で京阪特急のステイタスを一気に高めた3000系は、 3805(8連化と共に編成替え→改番)ダブルデッカーを加えたことで、ますます魅力的な存在となっています。
2008年11月の中之島線開業に伴い、 新型車両の新3000系がデビューすることになりました。 たった1編成で3000系を名のるわけにも行かず、 最後の3000系3505編成は、番号を明け渡し、 8000系の一員として8030系を新たに名乗り、再デビューを果たしています。 とりあえず、従来の塗装のままですが、 新しい京阪カラーに改められる予定と聞きました。 8000系は、まあいいとしても、 8030系はこのままの塗装で頑張って欲しい気がします。 時代祭の行列イラストがなくなるのは、惜しいですし、 旧3000系には、ライトオレンジとカーマインレッドの従来塗装が 絶対似合っていると思うのですが…。 新塗装となった8000系の画像もリンクしておきました。 併せてこちらもご覧ください。
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