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2008.7.13UP 2008.7.21追補1 |
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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>神戸電鉄1100系Ver’3 1500形
最後の影武者 神鉄 1500形(1100系Ver’3)さて、問題です。上の写真の1501と下の写真の3014。どちらが古い電車でしょう。
見かけはどう見ても3014の方が新しいのですが、答えは1501です。 (3014=1989.3 1501=1991.2) 1501は1501形に属する車両ですが、1000番台の車番が示すとおり1000系列の車両です。 1965年にデビューから、26年の長きにわたって増備され続けてきた系列ですから 神鉄の1000系列はなんとも息の長いシリーズです。 もちろん3000系は、1000系のあとにデビューしています。でも製造初年は、1973年なんです。 そうは見えないですよね。 事実、3000系は登場した当時、従来の神鉄のイメージをガラッと変えてしまうほど斬新なものでした。 そんな彼らも、1991年まで18年間の長きにわたって増備され続けてきました。 とまれ、ということは、「3000系が増備されていた18年間は、1000系列の車両も一方で増備され続けてきた。」ということです。 3000系は、神鉄初のアルミカーであり、なんといっても冷房装置を標準装備した期待のエースです。 デビュー当時乗客の誰からも、歓迎されたこの3000系に、神鉄はどうして全面的に切り替えなかったのでしょう。 まずは、貫通路がないということに注目してください。 3000系は、4両固定の編成で用いるために製造されたもので、神鉄における大半の需要はカバーできますが ローカル線や小単位の編成で間に合わせたい場合や、逆にラッシュ時等5両編成が必要という場合には対応できないのです。 その際は、1000系列のように、2連、3連のユニットに、単行の車両を組み合わせ、 輸送需要にあわせ変幻自在に対応できる車両の出番となるのです。 加えて、車両コストの問題もあります。 アルミは軽量であり、塗装コストも削減できるメリットはありますが、素材としては高価です。 そして冷房装置も車両コストを押し上げます。 今や、冷房装置は当たり前ですが、70年代においては、大手私鉄でも非冷房車は数多く、 営団地下鉄に至っては冷房車はほとんどいなかったのでは? とにかく、北神急行(1988開業)の開通も控えており、乗客の流れがどう変わるかもわからない段階では、 高価な車両ばかりを作ってばかりはいられなかった事情があったのではないかと思われます。 つまり、そんな事情をふまえ、神鉄のイメージアップを担う、エース3000系を増備しつつも、 ローコストで、かつ、きめ細やかな運用をこなす、裏方車両が神鉄に必要だった。ということがいえるのではないでしょうか。 そして、その最後の裏方が、1991年に登場した1500形(1100系のバージョン3)です。 1991年というのは、神鉄の車両にとって大変重要な1年となります。 10月に北摂ニュータウンの新しい足となる公園都市線が開通することになったからです。 まず、2月25日に最後の1000系列車両となる1500形3連が2編成(1501-1601-1502 1503-1602-1504) 4月6日に最後の3000系車両となる3000形4連が1編成(3017-3118-3117-3018) 6月18日、7月17日、8月4日と新系列車両である2000系3連が3編成が相次いで誕生します。 (2001-2201-2002 2003-2202-2004 2005-2203-2006) 北摂ニュータウンはまだ若い町ですから、4両編成はいりません。でも1000系列では、格好が付きません。 そんなわけで、新線開業のイメージアップを担うことになったのが、新鋭のアルミカー2000系なのです。 神鉄は、この新線開業を期に、車両デザインを一新することになるのですから、その意気込みが伺えます。 しかし、実のところ、2000系は1000系列の3連バージョン1100系と性能的には同等なのです。 つまり、1500形と同じということです。 では、1500形は、いったい何のために生まれたのか? 名目は、当時老朽化が進んでいた800系更新車を取り替えるための新車です。 しかし、形式が改まったのは、1100系と同じく3連ユニットでありながら公園都市線でのワンマン運転に備えるべく、 ワンマン仕様となった点なのです。 えっ?公園都市線は、2000系じゃないの。 そうです、その通りです。 1500形は、2000系の予備車両として誕生したのです。 悲しいかな。1500形は、生まれながらにして裏方となる運命だったのです。 でも、私はここで、彼らを「影武者」と呼びたいと思うのです。(多少意味合いは違うのですが…、) 彼らの働く現場である神鉄の路線は、50パーミルというとてつもない勾配路線が4分の一(有馬線に至っては半分近く)を占めます。 湊川を出発してからというもの、六甲山の山間をぐいぐい登ってゆくその力強さ、凛々しさは、特筆ものです。 ブレーキがまたハンパではありません。 エアーブレーキが作動不能になっても電気ブレーキだけで停止寸前まで減速するという頼もしいものです。 かつて、源義経主従が駆け下ったことで、歴史上のトピックとなった鵯越を、今日も、ものともせず駆け下る1500形。 そんな彼らに敬意を表してのことです。 もうひとつ、彼が珍車である理由をお教えしましょう。 それは、彼の形式称号、わかりやすくいえば名前です。 神戸電鉄では、形式称号に「形」を用いていますが、参考文献の分類にならい、わかりやすいように、1100系第3バージョンと紹介しました・ この例でゆくと、1500形は、1000系列の3両編成グループで、T車を含むが故に105Kwモーターをもつ1100系で、 デ1100形−サ1200形−デ1100形 2ドア車 デ1150形−サ1250形−デ1150形 3ドア車 に次ぐ第3バージョンというわけです。 ところが、この第3バージョンには、「デ」とか「サ」とかの記号がなく、番号のみとなっているのです。 実は、1987年に施行された鉄道事業法によって付与する必要がなくなったからなのですが、 大概の鉄道事業者は、慣例に従いあえて変更するようなことはしていません。 でも、1100系を長く作り続けた神戸電鉄では、1991年新造の1500形から「デ」を取っ払うことにしたのです。 なお加えていうと、デ1320形改造の1370形(1996.7改造)にまで、「デ」を取っ払っているのです。 全くの新系列である2000系からなら、まだわかるのですが、 同系列の車両にまで新規則を適用するとは、神戸電鉄はなんときまじめな会社でしょう。
参考文献;鉄道ピクトリアル 「特集 山陽電気鉄道、神戸電鉄」No711 2001.12 |
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