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2014/09/15 UP |
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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>高松琴平電鉄800形
−最新の増結用Tc 高松琴平電鉄800形−
ラッシュ時、とりわけ朝の通勤電車は大混雑ですね。 地方鉄道においても同様で、乗客数はこの時間格段に増えます。 都市の鉄道会社はこれに対処すべく、大幅に列車本数を増やすという対策をとるわけですが、地方鉄道はというと、 たいていその路線が単線であるため、容易に列車本数を増やすということができません。 あと残された手はというと、編成両数を増やすということになります。 しかし、ラッシュ時にしか使用しない長い編成を維持するというのも無駄な話です。 そこで、通常使用する車両に増結車を繋ぐことで、これをしのぐというのがよく見られたパターンでした。 さて、この増結車なんですが、自走できればいいですよね。 通常編成(動力車)に依存することなく増結することが可能ですし、必要とされる地点まで自力回送できます。 加えて、通常編成が何らかのトラブルを起こしたときにピンチヒッターに使用することもできるわけです。 ところが地方鉄道では、自走できない増結車を用意することが多かったのです。 自走できる車両は、その分コストがUPしますし、維持費も余計にかかります。 古いデータですが1990年の私鉄車両編成表を見てみると、 弘南鉄道クハ3770形、十和田観光鉄道クハ3800形、栗原電鉄C15形、新潟交通クハ45形、 富山地方鉄道クハ170形、北陸鉄道クハ1720形、野上電鉄クハ100形、一畑電鉄クハ100形、 などが自走できない増結車の例となります。 そして高松琴平電鉄(以下琴電)はというと850.860.880.890.80.230がこれに該当し多種多彩です。 さて、ご覧いただいて気づかれたと思いますが、ここにあげた地方鉄道の多くが、その後廃止されています。 財政的に厳しい地方鉄道では、多少は不便であっても、 こうした自走できない増結車しか用意できなかったというフトコロ事情を如実に表しているということになるでしょうか。 会社が存続していたとしても、現存する車両はこの中では地鉄のクハ170形のみです。 弘南にしても、一畑にしても、代替の増結車は存在しません。 唯一、琴電だけが増結車を新たにデビューさせました。(2006年9月) これは珍しい事例であると言っていいでしょう。 それにしても、どうして増結車がいなくなってしまったのでしょう。 それはラッシュ時であっても、かつてほどの乗客数ではなくなってきているという現実があります。 一方で、新たに車両を導入するにしても、地方鉄道会社に新車を購入できるほどの余裕はありません。 そこで大手私鉄の中古車で、これをまかなうということになるのですが、在来車の代替用となる小型車はなかなか見当たりません。 いきおい車両は大型化してしまい、結果それで輸送量に見合うということになっているという場合もあります。 そこで今回ご紹介する800形なのですが、どうして琴電だけが増結車を増備したのか。大いに興味がそそられるところです。 さて琴電(高松琴平電鉄)は琴平線、長尾線、志度線と3つの路線からなるのですが、 800形は、特に志度線向けに配属された車両です。 どのような車両なのかということをお話しする前に、この志度線についておさらいしておきたいと思います。 志度線は琴平線や長尾線とは違い 1911年に東讃電気軌道が開業させた今橋−志度間がルーツとなります。 讃岐電鉄と名を改め琴平電鉄、高松電気軌道と合併し高松琴平電気鉄道が発足したのは戦時中の昭和18年のことでした。 昭和20年には不要不急の路線に指定され、八栗−琴電志度間を休止、資材を供出させられる。 ということもありましたが、昭和24年には復旧し、昭和28年には、現在の高松築港まで直通運転を開始しました。 瓦町駅でスイッチバックさせてまでも高松築港までの乗り入れを長尾線より優先したということですね。 志度線が、国鉄高徳線と競合しているということもあってのことでしょう。 ところで、志度線と琴平線の接点となるのは瓦町駅ですが、琴平線の架線電圧が1500Vであるのに対し志度線は600Vでした。 高松築港−瓦町は複線となっていますが、直通運転開始当時は単線並列(600V+1500V)で運転されていました。 (ちなみに長尾線も600Vで、こちらは瓦町駅折り返し。) 高松築港−瓦町が文字通りの複線運転となったのは昭和41年(1966年)のことです。 志度線の1500V昇圧によって実現しました。(なお長尾線の1500V昇圧は1976年) しかし車両については共通化されることはありませんでした。 それは、志度線(長尾線も)の線路規格が低く設定されていたからです。 わかりやすくいうと琴平線は18m強の車両でも入線可能ですが、 志度線は16m(長尾線は17m)以下しか入線できないということです。 琴電には、旧型車両が数多く残り、電車博物館といわれたわけですが、小型車を大切に使い続けざるを得なかったという事情があります。 よって車両の近代化は思うに任せず、長く冷房車も導入できなかったため、 乗客から見放され、じり貧状態になっていたのです。 そんな琴電は、本業の鉄道事業以外に活路を見いだそうとします。 瓦町駅ビル開発です。 1994年。駅ビル化された瓦町駅にはコトデンそごうが入居することになりました。 結果、志度線は琴平線と線路が分断されることになり、高松築港への乗り入れはできなくなりました。 以後志度線は瓦町駅で折り返し運転することになります。(代わりに長尾線が直通運転を行うことになりました。) 駅ビル建設という巨額の投資ができるなら、志度線の高規格化の方が先ではないか? という気もします。 また、結果、瓦町駅での乗り換えを強いられることになった志度線ですが、 ホームは隅に追いやられ、利用者への配慮はまるで見えてきませんでした。 「そごう」の言いなりだったのか?そんな気さえしました。 しかし−−そのパートナーとなった そごうグループが2000年に破綻します。 2001年 コトデンそごうは民事再生法の適用を申請。 再起を図ろうとしますが、同年、コトデンそごうは閉店に追い込まれます。 瓦町駅ビルには、後継テナントとなる高松天満屋が入居しました。 しかし巨額の負債を吸収できず、関連の諸事業も共倒れし、 高松琴平電鉄は同年12月、民事再生法適用を申請することになったのです。 そんな琴電激動の時代である1998〜2002年にかけて登場したのが、800形の種車となる600形と700形です。 そごう側にたつ経営陣はいざ知らず、ずっと鉄道事業に心血を注いできた琴電のスタッフは、 志度線分断というこの危機を何とかしなければならないと強く思っておられたに違いありません。 志度線待望の冷房車となる600形700形ですが、導入に至るまでのハードルはいくつもあり、またかつてないほどに高いものだったのです。 まず、前述したように、もはや大手私鉄には、中古の小型車は見当たりません。 名古屋市営地下鉄の東山線,名城線用15m車(1969〜74年日車製)に目をつけたのは本当にすごいと思います。 というのも、東山線,名城線はパンタグラフではなく台車の集電靴で集電する第三軌条方式です。 集電靴の代わりにパンタグラフを新たに載っけた例は他には見られない珍しいものです。 またモータと制御器は600V仕様です。1500Vに昇圧改造しなければなりません。 加えて今回、入線にあたっては冷房装置を設置することになるのですが、。 これがまた大変。 初期改造車は京王の発生品「RPU-2203(8000Kcal/h)」を中央に小田急の発生品「CU193(10500Kcal/h)」を両端に2機、 後期改造車は「RPU-2203」を中央に泉北高速の発生品の「CU191P(10500Kcal/h)」を両端に2機 という、変則的な組み合わせとなっています。 寄せ集めといってしまえばそれまでですが、限られた屋根のスペースで、かつこれを中古品でまとめ上げたのです! よくぞここまで…。と私は頭が下がる思いです。 そうそう、在来の旧型車両は手動加速仕様になっています。 これらの車両とも連結運転できるよう自動加速の設定を調整しました。 ブレーキも同様です。異種混結は簡単なものではありません。 在来の琴電車両の履歴は、千差万別です。 そして600形700形の種車となるのは、東山線用の250形・700形・300形と名城線用の1200形・1600形・1700形・1800形・1900形です。 冷房装置どころの騒ぎではありません。 そこで700形600形の区別はというと、東山線用も名城線用も関係なく 700形は、先頭車である300形・1200形の改造車。 600形は、先頭車改造された他形式のグループとなります。 ですから、ひっくるめて600系としてもいいような気もするのですが、どれもこれも一筋縄ではいかない車両ばかりです。 改造工事にあたった京王重機整備のスタッフも大変だったに違いありません。 志度線用に600形621 〜30、700形721-722の2連×6本=12両 長尾線用に600形601 〜12、700形701-702の2連×7本=14両、 が導入されました。 志度線の代わりに高松築港への乗り入れを果たした長尾線ですが、 長尾線車両は、志度線の車両基地である今橋車庫を退去せざるを得ないことになりました。 そこで琴平線の車両基地であった仏生山車庫に拠点を移すことになるのですが、 こうなった以上、長尾線車両は琴平線用車両と共通化する方が効率的です。 そこで琴電は長尾線の高規格化に着手しました。 その結果、琴平線用だった1300形1200形を長尾線に投入し、600形を志度線に転属させることができました。 志度線ではラッシュ時に旧型車による増結が行われていましたが、これを置き換えるため、 長尾線から転用された600形を増結車に改造することにしました。 これが800形です。 801←607 802←608 803←609 804←610 すべて2006.9改造 増結車として使われてきた旧型車の代替用ということで電装は解かれましたが、 もちろん冷房車です。自車で冷房電源が賄えるようにパンタグラフをそのまま残しています。(偶数車には新たに設置) ですから見た目、単独でも使えそうに見えます。 でも、単車でも用が足りてしまうなんてなことには、なってほしくないものです。 800形は、自走できないハンディを軽減すべく、全車瓦町側向きになるように、方向転換が行われました。 「そごう騒動」の際、「琴電は、いるか、いらないか。」というという論議にまで発展しました。 車両に「いるか」のキャラクターがあしらわれているのもそんな経過があったからだとか? しかし、琴電は本業である鉄道事業で存続し続けるという方向に舵をきったのです。 もう、後ろ向きにはならない。 そんな決意を800形は示しているように私には見えます。 参考文献 鉄道ピクトリアル 新車年鑑 1999年版/2007年版 No676/795 |
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