鉄道写真管理局 珍車ギャラリー 栗原電鉄 ED351   2015/07/14UP
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ED351 1955年 東洋工機 製
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
11.5 2.640 4.076 35.0
制御器 モーター(kw) ブレーキ 台車
単位スィッチ式
MT-26
(85kw×4)
EL-14
自動空気
ブレーキ
TR-22
参考文献:鉄道ピクトリアル 特集 東北地方のローカル私鉄 no477 1987.3
ED351   若柳車庫     1984.8

栗原電鉄 のED351形は、元東武鉄道ED661です。
日光軌道線用に製造されたものです。
軌道線用に作られた機関車というのもそうざらにあるものではありません。

まず、この日光軌道線についてお話しします。

東武鉄道日光軌道線の前身となるのは日光電気軌道です。
意外なことに観光目的ではなく、
沿線の清滝に開設された古河電気工業 日光電気精銅所で生産される製品を
国鉄日光線経由で輸送することを主な目的として建設された路線でした。

それにしてもなぜこんなところにこんな工場ができたのでしょうか。

古河電気工業は、富士電機、富士通とともに「古河グループ(古河三水会)」の中核企業であり、
旧・古河財閥の母体企業でもあります。
創業者である古河市兵衛は、明治10年に足尾銅山の開発に着手、
これを産出量トップとなる鉱山に成長させたことで古河財閥の礎を築きました。
その後、古河財閥は、この足尾銅山を基盤に事業の多角化を推進し、
鉱山開発(古河機械金属)、電線製造(古河電工)、電気機器製造(富士電機)、通信機器製造(富士通)と
その裾野を広げていったのです。

さて古河グループは、足尾銅山の発展にあわせ日光電気精銅所をスタートさせることになるのですが、
その電力を確保するために、明治39年に細尾第1発電所の営業運転を開始しました。
これは中禅寺湖という天然の大貯水池から取水することで2,000kWを発生させる水力発電所です。
電力は17.6km離れた足尾銅山にも供給されました。
足尾と日光というとかなり離れているイメージがありますが、
実は現在、足尾線の終点、間藤の駅前から東武日光駅まで、日光市営バスが運行されています。
国道122号線を走り、日足トンネルを越えるとすぐに、いろは坂の入口です。
所要時間は30分。思っていたよりずっと近いのです。

この電力を、なるべく送電ロスを少なくして供給できるところに工場を作ったというわけです。

それはさておき同線は路面併用軌道として建設されました。

谷間の地形ではありましたが、東照大権現のお力でしょうか。
立派な参道が都合よく利用されたものと思われます。

軌道法では列車長や編成両数が規制されることから、
開業当初、電動貨車あるいは電車が牽引する貨車によって貨物輸送がなされていました。

日光電気軌道は東武鉄道の傘下となり、
1929年の東武日光線開業で日光軌道線は観光路線としての性格も強まりました。
しかし、以後日本は戦時体制に突入してゆき、
日光電気精銅所でもジュラルミンなどの戦略物資の精錬事業が開始されました。
当然、貨物輸送路線としての日光軌道線はその重要度を増してゆくことになります。
終戦間近のの1944年9月には、国鉄の貨車が直通(車扱貨物)するようになり、
ED40形(ED406・ED4010)が東武鉄道へ貸し出され、貨車を牽引していました。

終戦後の混乱期を経て、1950年6月には朝鮮戦争勃発による特需によって、
非鉄金属の需要は急増、足尾鉱山でも生産力が回復し、日光軌道線も輸送力のUPに迫られます。

しかし、ED40形はアブト式機関車を改造したものです。
これらの代替機となるのがED610形ED611なのです。

ED611は、車体裾にRをもつ丸っこい東洋電機独特の形状となっています。
1952年が製造初年となる相模鉄道のED10形のイメージですね。
興味深いのは主電動機が、電気式気動車であった国鉄キハニ36450形から流用・改造されていることでしょう。
(キハニ36450:1931年日車製)(キハニ36451:1931年川崎製)
(MT26:モータ出力_85kw×4)
台車は国鉄TR23形とよく似た日鉄自製:ST-31をはいています。

制御器は当時一般的な電磁空気単位スイッチ式ですが、
発電ブレーキ:EL-14Aを搭載しているところが特色です。
山間を走る日光軌道線には必須のものといえるでしょう。
軌道線ということもあって集電装置は、トロリーポール。といいたいところですが、
すでに架線吊架方式が変更され、電車の集電装置もビューゲルに変更された後の入線となるため、
当初から通常の菱枠パンタグラフを2基搭載しています。

1955年から同線の貨物輸送を開始しました。
日光軌道線の貨物を一手に引き受ける主役の登場です。

しかし、モータリゼーションの波は大都市だけでなく、この日光の地にも及んできました。
道路網が整備され交通量が増加。
さらに第一・第二いろは坂の開通により自家用車・バスが中禅寺方面へ直通可能になりました。
貨物輸送もトラックに切り替えられることが多くなり、旅客、貨物ともに輸送実績が激減、その存在意義がなくなってゆきます。
加えて日光市内で交通渋滞も発生し始め、
地元からの撤去要請を受けた東武鉄道は、日光軌道線の廃止を決定。
1968年2月廃止されてしまいます。
1955年の導入当時、まさか13年後に働き場所が無くなるとは、想像もできなかったのではないでしょうか。

廃線と同時に廃車となったED661ですが、まだまだ使えます。
彼は、望まれて栗原電鉄ED351となるのです。

栗原電鉄の歴史は、栗原軌道により1921年(大正10年)に石越駅 - 沢辺駅間が開通されたことから始まります。
(1年後には岩ヶ崎(後の栗駒駅)まで延伸)
この当時の路線は、非電化で軌間762mmの典型的な軽便鉄道でしたが、
旅客収入だけでは経営が苦しく鉱山関連の貨物輸送も重要な収入源となっていました。
ところが、1923年に発生した鉱山の火災により鉄道貨物はほぼ途絶え、
鉱山再開後もトラック輸送が中心となったため栗原軌道は厳しい経営が続いていました。

そんな栗原軌道を救ったのが、三菱鉱業です。
1934年に経営権が移って以降、三菱鉱業は細倉鉱山での操業を強化。
栗原軌道を貨物輸送の要としました。

1942年。栗原軌道は1941年に栗原鉄道に社名を変更し、
翌年には細倉まで延伸され、石越-細倉間の26.6キロが全通しました。

終戦後、鉱山の操業は半ばストップした状態が続いたのですが、
前述したように1950年6月の朝鮮戦争勃発による特需によって、
細倉鉱山でも粗鉱産出量が16万トンを越えるなど生産力が回復し、
鉱石の輸送を担う栗原鉄道も輸送力のUPに迫られることになるのです。

1950年に電化がなされ、
1955年には軌間が762ミリから1067ミリへと改軌されました。
改軌によって国鉄との貨物直通運転が可能になり、輸送力は飛躍的に拡大します。
社名も栗原電鉄に改められました。

そして1970年には産出量が80万トンを突破することになるのです。
ED351は、その前年の1969年に入線しました。
期待のエースと言っていいでしょう。
再び主役の座を与えられ、その期待に応えて大活躍した彼は幸せだったに違いありません。

しかし、1971年のニクソンショックあたりから風向きが変わってきました。

円高が進み、日本の非鉄金属業界は競争力を失います。
細倉鉱山の経営は縮小に転じ、続く1973年の第一次オイルショックによって、
細倉鉱山をめぐる情勢は悪化の一途を辿り、貨物輸送も落ち込んでゆきます。
そのパワーにものをいわせ、先輩格であるED20を尻目に主役の座についたはずのED351でしたが、
その力をもてあます結果になってしまいました。

合理化によって何とか鉱山の存続を図っていた細倉鉱山でしたが、
1985年のプラザ合意に伴う急速な円高により、国内に残っていた鉱山は壊滅的な打撃を受けます。
1986年には国内の16鉱山が閉山し、細倉鉱山も1987年2月、
まだ採掘可能な鉱石を残しながら閉山に追い込まれました。
彼は、その年、3両いたED20形より先に、その役目を終えることになりました。


そんな彼には、兄弟ともいえる機関車がいます。
北陸鉄道のED301です。彼が製造された前年、1954年に東洋電機で製造された箱形電機です。
台車は、電気式気動車であった国鉄キハニ36450形(2両分)から流用されたものです。
(キハニ36450:1931年日車製)(キハニ36451:1931年川崎製)
つまり、キハニの台車とモータとを分け合っているわけですね。

1952年より建設が開始されていた大日川ダムおよび大日川第1・第2発電所への資材輸送がED301の製造の契機となりました。
資材輸送の終了後は、沿線貨物の需要もさほどなく1976年には石川総線の貨物営業は廃止されてしまいました。
その後、除雪用として残されたED301ですが、能美線、金名線と廃止され、
その仕事も僚機のED201で十分間に合うため、滅多に動くことはありませんでした。

その結果、2010年まで生き延びたED301でしたが、ともに寂しい晩年を過ごすことになったのもなんかの因縁でしょうか。


                   参考文献;鉄道ピクトリアル「東北地方のローカル私鉄」 No477 1987.3
 
北陸鉄道 ED301 TR改 台車付き ED301 H6年更新 東洋工機 製
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
11.6 2.7 3.96 30.0
制御器 モーター(kw) ブレーキ 台車
HL-74

MT54
(120×4)
SME TR改
*鉄道ピクトリアル No701(2001.5)のデータより
ED301                 西金沢

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