![]() |
2016/07/15 UP |
|||||||||
J鉄局TOP>珍車ギャラリー>松本電気鉄道 クハ10形 102
両運転台付きのクハ(制御車) −松本電気鉄道 クハ10形 102−松本電気鉄道では1958〜64年にかけて、モハ10形6両(101, 103, 105, 107, 109, 1011)とクハ10形1両(102)を導入、車両の近代化を図りました。 車体はいわゆる「日車標準車体」で17m級の中型車ですが、当時としてはスマートな張り上げ屋根の車体です。 主制御器はHL方式(非自動間接制御)、ブレーキ装置はSME方式で統一されており、総括制御が可能です。 かねてから沿線人口はさほど多くはないのですが、 ハイカーを島々(新島々)まで運び、ここからバスで上高地まで送り届けるというルートは当時メインルートでした。 東京、そして大阪方面からの夜行列車に連絡する早朝の臨時列車は、なんと始発が午前4時前で、 6時台の定期列車の始発まで5本ほどが設定され、新島々までノンストップで運転されてました。 かくいう私もこのルートを3回利用しました。どの列車もハイカーたちで賑わっていた記憶があります。 こうした波動輸送に加え、朝のラッシュに対応するためにも両運転台で総括制御が可能な10形車両は松本電気鉄道にとって 大変重宝な車両だったと思います。 彼らが誕生した昭和30年代というのは、松本電気鉄道(上高地線)にとって、もっとも充実した時代といっていいでしょう。 1965年から始まった,梓川流域の電源開発にあって、その資材運搬の任にあずかり、貨物輸送も1967年にはピークを迎えることになります。 そんな財政上の明るい見通しもあって、近代化が推し進められたのでしょう。 とはいえ、10形はそのすべてが木造電車の車体更新車で下回りは再利用されています。 そんな歴史を見ることができるのが、彼らの車番です。 モハ10形なのに、101という車番というのは妙ですね。 また、どういうわけか。102はモータのない制御車でクハ10形です。そして、モハ10形は103.105…と追番されてゆきます。 いうまでもありませんが、クハは自走できません。 そのことを明示するために多くの鉄道事業者は形式を付与する際には工夫を凝らしてきました。 1011という車番が存在するに及んで 私はかつて こいつがクハだと思い込んでいました。 なにはともあれ、松本電気鉄道において偶数番号はクハという風に割り切ってもいいのですが、 どうして松本電気鉄道は10形に、このような車番を割り当てたのか。 これを探ってゆきたいと思います。 前述したように、10形は更新車です。登場順にならべてみると…こうです。 1958年12月 デハ5 → モハ105、 1959年 7月 デハ3 → モハ103、 1960年7月 デハ13→モハ107。 1961年7月 デハ9→モハ109。 1962年7月 デハ1 → モハ101。 1963年5月 デハ18→モハ1011 1964年 月 クハ16→クハ102。 車両番号は登場順ではないのですね。 例外はありますが、下一桁1.3.5.9は種車の番号に由来しているということがわかります。 ちなみに例外となる7.11そして2はどんな車両なのでしょう。 ここで、もう少し詳しく各車の経歴を示すと…こうです。 モハ101, 103, 105 1923年に日車で製造されたデハ1, 3, 5が種車。(5は1930年に2から改番) モハ109 1927年4月、汽車製造製のデハ9が種車。 モハ107 1950年10月 西武鉄道から譲受したデハ13が種車。 モハ1011 1954年10月 京王帝都電鉄から譲受したデハ18。 例外となる7.11そして2は移籍車両でした。 初代5号機や7号機がどういう存在だったのか、はたまた存在したのか。 詳しいことはわかりませんでしたが、どうやら戦前には電動車に奇数番号を、移籍組には2桁番号を割り振る慣例ができていたようです。 そしてモハ10形が、種車の車番を引き継いでいるのは、それはメンテナンスの点でメリットがあるということでしょう。 松本電気鉄道上高地線は、規模の小さな事業者です。余分な車両を保有するゆとりはありません。 常にカツカツの車両運用を強いられる中で、大正から昭和一桁生まれのメカを保守(おもり)しなければならないわけです。 たとえば「109の具合が…」というときに足回りの構成がイメージできることは大事なことではなかったかと想像できます。 ここで クハ102 です。 1952年12月に国鉄から譲受したクハ16が種車となります。 いわゆる買収国電で、もとをたどれば池田鉄道デハ1(1926年日車製)。 1932年12月に信濃鉄道に譲渡され、1937年の大糸線国有化時にモハ20003に改番されたものです。 1949年には電装解除されクハ29013となり、これが1952年に松本電気鉄道クハ16となったわけです。 松本電気鉄道にとってはモハが欲しかったところでしょう。 しかし戦後の混乱期の尾を引きずっていた当時、クハでもありがたかったに違いありません。 それはさておき、慣例に従えば10 or 12というところでしょうが、16となりました。 偶数ですし2桁でもありますから条件は満たしています。 松電唯一のクハは、これを更新したわけですから、116というのがもっとも納得できる番号ですが、102に落ち着きました。 1964年の更新の際、台車を27MCB-2からTR10に交換。 電動機も制御器もありません。あえて旧番号にこだわる理由はなかったからでしょう。 さて、このクハ102を珍車としてピックアップしたのは、車両番号だけではありません。 自走できない制御車(クハ)であって、かつ両運転台車を持つ珍車だからです。 両運転台付きの電動車は単行で運用できるという。究極のメリットがあります。 しかし両運転台付きであろうがなかろうが、制御車は電動車に併結しないことにはお話になりません。 片運転台付きの場合、機回しをするという手間がかかる場合もありますが、 どのみち電動車のお世話になるのだから、併結パターンさえ決めておけば、片運転台でも問題はないはずです。 ですから、両運転台車であった電動車を電装解除したために両運転台のままという例(高松琴平電鉄880.890形など)はありますが、 多くは片運転台化されています。(北陸鉄道クハ1200形、水間鉄道クハ551形など) そう考えてみると、登場時から両運転台をもつクハ10形は とても珍しい車両なのです。 あと思いつくのは十和田観光電鉄のクハ4400くらいでしょうか。 でも車体更新車であるというところがポイントです。 ネットの画像検索で種車であるクハ16を見つけました。前述したように電装解除した車両です。 端正なダブルルーフの車体で両運転台付きの池田鉄道デハ1の面影をそのまま残していました。 おそらく、コントローラーもそのままだったに違いありません。 つまり両運転台車であった電動車を電装解除したために両運転台のまま更新したということでしょう。 でも、それならばなぜ、更新時に再電装しなかったのでしょう。 1964年という時代、日車のお得意先である名鉄ではHL車が大量に製造されています。 当時、旧型電動車の足回りを調達することはそんなに難しいことではなかったと思われます。 再電装しなかったのは、現場がその必要を感じなかったということです。 ちなみにクハ102は増結専用車両というわけではありません。 Mc-Mcにプラスされて使用されることもありましたが。上高地線は山岳路線ではありません。 Mc-Tcであっても全く問題なくMc-Mc編成に混じって活躍していたのです。 私が撮影した1011の足回りには制御器が見当たりません。 おそらく検査、保守等の理由で取り外されている状態であると思われますが、 いざとなればこの状態でも営業線に出たのではないでしょうか。 かつてクハ16時代、台車はブリル社製の27MCB-2をはいていました。 ソフトな乗り心地の台車(もとは電動台車)で日本にも多く輸入され定評があります。 しかし、更新時あえてTR-10に変更したのは,よりシンプルで堅牢なものを現場が望んだからに違いありません。 前述したように、規模の小さな事業者である松本電気鉄道に余分な車両を保有するゆとりはありません。 常にカツカツの車両運用を強いられる中で、年代物のメカを大切に保守(おもり)してきました。 10形は、1986年12月、1500Vへ昇圧されるのに伴い全車廃車されることになるのですが、 松本電気鉄道では大正から昭和一桁生まれのメカを60年以上大事に使い続けてきたわけです。 元祖省形電車ともいうべき「ハニフ1」を永く使い続け、これを保存してきた松本電気鉄道。 保守にあたったスタッフの職人魂を私は感じます。 参考文献:「特集 甲信越、東海地方の私鉄」鉄道ピクトリアル:1984年4月号 No431 松本電気鉄道は2011年4月に、諏訪バス、川中島バスを合併し、商号をアルピコ交通と改めています。 |
||||||||||
![]() |
鉄道写真管理局 (JR/JNR)へ (私鉄/都市鉄道編)へ 鉄道車両写真集INDEX 鉄道切符管理局 ローカル線切符紀行へ リンク集へ 鉄道資料室へ |
|||||||||